第40話『よろしくね』

 すたんっ。

 今度こそ足から着地して、常闇の大空洞に乾いた音が残響する。

 それに紛れさせるように——、


「ふぅ……」


 下手な着地をしていれば、たったいま降ろした彼女から『あの』盛大な溜め息を頂いてしまっていただろう。

 いや、姿が違うぶん、受けるダメージはさらに大きいかもしれない。

 再び訪れたドリディド鉱山の地下について早々に、安堵の息を吐くことになるとは……。

 ……しかし、あれだけ大暴れしたのだ、完全に崩落してしまっている可能性も考えていたんだが。


「なるほど、さすがは石に作用する《加護》というわけだ」


 この空洞の全体が見渡せるわけではない。

 しかし、松明がわずかに照らし出す足元を見ても、大破壊が起こった痕跡が欠片たりとも見当たらず修復されていた。


 きっとあのとき岩が自在に動き回っていたのも、魔法ではなく《磊神の加護》とやらの力だったのだろう。


 ——そんな俺たちを、訛りのあるひび割れた懐疑の声が迎えた。


「……オマエ、ホントウニ、ヒトゾク、カ?」


 前回と同じ方角から聞こえた声に視線を向ければ、すでに光源から位置をつかんでいるのだろう。

 中空に浮かぶ二つの光点と目が合う。

 その瞳の色は、緑と黄色を行ったり来たりしていた。


「……ああ、もちろんだ」


 スルトの問いかけにほんの一瞬だけ言葉に詰まった。

 自分が人間であることに否応などない。

 だが、わずかに思ってしまった。


 もはやこれだけの力を持ってしまった己は、本当に『人間』なのだろうか、と。

 しかし、ここで自分を否定することは、彼らを否定するのと同じだから。

 

「ナラバ、コンドコソ、コワシテ、ヤロウ——コワレルマデッ」


 雷鳴のような音をたてながら壁より踏み出してきたスルト。

 ——だが。


「だめよ、スルト」


「っ!? ……ケリィ、ナノカ?」


 決して大きな声ではなかった。

 しかし、その声を雑音が阻むことなど世界の理が許さない。

 そう言わんばかりに、彼女の声は清浄な鐘の音のごとく空洞に凛と響き、地を踏み砕き迫る巨人の歩を止めた。


「どうしたの、そんなに驚いて。私のこと忘れちゃった?」


「——アァ。ホントウ、ニ……」


 まるで久々に友人に会うことができた活発な少女のように、声を弾ませながら俺の背後を抜け、スルトの前へと歩くケリュネア。


 その姿を認めた銀色の巨人は、ひび割れた声をさらに震わせる。

 そして、くずおれるかのように地面に跪き、彼女へ顔を近づけてから、はっとしたように顔の角度を変えて俺を見たあと、ぎぎぎっ、と軋む音をたてながらケリュネアへと視線を戻す。


「……マサカ、ソイツガ?」


「そう。聞いたわよ、この人と一戦交えたんだってね」


「ス、スマナイ……」


 わずかに声を低くして言うケリュネアに、すぐさま瞳を優しい緑から黄色にして、声を落とすスルト。

 その様は、まるで悪戯しているところを見つかった子供が、叱られるのを覚悟しているように見えた。

 ——そのやりとりには紛れもない絆を感じさせられた。


「なーんて、冗談。悪いのはせっかちなセブンよ」


「返す言葉もないな……」


 ころころと笑ったのちに俺を振り返り、ちろと睨む蒼眼。

 今度は俺がうな垂れる番だった……。

 それを見たケリュネアが、「ふふっ」と短く声を放ってからスルトとの会話に戻る。


「私のお願い、覚えてるわよね」


「アア……」


「私は信頼できる——私の夢を託すに足る人族の王を連れて来たわ。

 あなたも約束通り人族への恨みは忘れて、セブンとともに生きなさい。だからアダマも、もう作らなくても大丈夫よ」


 優しく諭すようにスルトへと語りかけるケリュネア。

 しかし、返ってきたのは拒絶の言葉だった。


「——イヤダ」


「スルト?」


「ヒトゾクヘノ、ウラミハ、ワスレル。ダケド、アダマヲ、ツクルノハ、ヤメタクナイ」


 不思議と巨人の声に剣呑な色はない。

 だが、譲れない何かがあるのか、スルトはしきりに顔を左右に振った。

 その様子に困惑した彼女は、その金糸のような髪をわずかに揺らし尋ねる。


「なぜなの?」


 その声音に責めるような気配など一切なく、むしろそこにはスルトの身を案じる深い思いやりを感じた。

 間違いなく、演技などではない。

 それを誰よりも理解しているであろう岩の巨人は、じっとケリュネアを見つめ、ついにその心情を吐露する。


「ケリィト、モウ、アエナク、ナルノハ、イヤナンダ……」


「! そう。あなたも、もう……」


「……ケリュネア?」


「——」


 スルトの言葉の意味を察したのか、ケリュネアの背から息を呑んだような気配が伝わってくる。

 だから思わず彼女の名を呼ぶ。だけど。

 しかしこちらへ振り向いた彼女が言葉を発することはなく、哀し気に微笑むだけだった。


「——あ」

 

 返すことできたのは、言葉にならない掠れた音のみで。

 ただそれだけで彼女は、俺が察したことを察したのだろう。

 

 そして身を翻した彼女が、正面にあるスルトの顔に触れようと手を伸ばしたとき、


「……きゃっ!」


 なんの前触れもなく、彼女は高い声を上げながら転んだ。

 一歩たりとも動いていないのに。


「——ッ!」

「ドウシ……? ……ケリィッ!?」

 

 その様子を目の前で見ていたスルトが、一拍あけてから悲痛な声で叫んだ。

 駆け寄りたい衝動を堪える足元で、ぴしりと硬質な黒銀の地面から軋る音がする。

 ——刻限が、迫っていた。

 彼女は起き上がろうとはせず、仰向けになって話を続ける。

 

「あなたももう、限界だったのね。『力』の行使でボロボロの身体を、《精霊》の力で繋いでいたんでしょう?。……違和感はあったの。これだけの時間、《加護》の影響下にあるのに内部しかアダマ化が進んでいなかったから」


 ケリュネアは転んだのではなく——立っていることができなくなったのだ。

 もはや左足の足首から先は光の粒子となり消えてしまっている。

 血が流れることはない。

 その内側はだったから。


「スマナイ、ケリィ。《セイレイ》ノ、ホトンドハ、オレガ、——オレハ」


「——ええ。ありがとう……私を待っていてくれて」


「……アァ!」


 ケリュネアがきっと、彼の言葉の続き正しく理解して告げた礼。

 それにスルトは、呻くように今にも泣きだしそうな嗚咽の混じる声をあげた。


「でも、ごめんね。実は私も、もう限界なの。——だからあなたがセブンに仕えるよう説得に来たつもりだったのだけれど……」


「オレハ! ケリィ、イガイニ、ナド——」


「ねぇ、スルト」


 彼の言葉を遮り、ケリュネアは真上にあるスルトの顔に手を伸ばしながら、


「『いつもの』、お願いしてもいいかしら」


「——イツモ、アブナイト、イッテル、ダロウ?」


 これから起こることに、なんの迷いも、憂いもない晴れやかな笑顔でねだるケリュネアに、スルトは溜め息まじりに返す。


「はあ、何年たっても乙女心は分からないままなのね。……最後のわがままぐらい素直に聞いてほしいわ」


「ワカッテ、イルサ……アア、ナンネンタッテモ、オレハ、ケリィニ、カナワ、ナインダヨ。

 ——ソノマエ、ニ」


「そう。あなたも彼に託すのね……」


「……おいお前! なにを——!?」


 そんなスルトの態度に、子供っぽく不満げに頬を膨らませる彼女にすぐさま白旗を上げる巨人。


 ——きっと遥かに遠い過去からこんなやり取りを繰り返してきたんだろう。


 そんな想像につい相好を崩しそうになっていると、ふいにスルトが腹部にその巨大な二本の指を突き入れたのが見え、俺は鋭く叫ぶ。

 ——が、そのときには既に軋む音をさせながら指を引き抜き、俺の目の前まで運ばれた白金の球があった。

 

「ヒトゾクヨ、コレハ、『ワビ』ダ」


「お前、これって……」


 声を震わせながらスルトの腹部を見やる。

 そこに、先ほどまで輝きを放っていたはずの『それ』はなかった。


「シンテツ《アダムス》。《カゴ》ワ、モウナイ。ダガキット、ヤクニタツ」


「……あっ」


 受け取ろうとしない俺に、球を押しつけ渡すスルト。

 その動きと託された球の灼けるような熱さに声を漏らす。

 それから手を戻した巨人は、両手でケリュネアを優しく掬い上げ、立ち上がりはじめる。

 

「セブン。私の言ったこと、忘れないでね」


「……すまない、ケリュネア……っ」


 徐々に上昇していく彼女を見上げながら、なおも謝罪の言葉しか返すことができない己をできることなら全力で殴ってやりたい衝動に駆られる。

 そんな風に歯を軋ませている俺に、彼女は優しい叱咤と励ましをくれた。


「はぁ、なんて顔をしてるの? 私は誰に命じられたのでもない。あなただってそう。

 それなのに、私と同じ夢を抱いたあなたがいるんだもの。

 だからこそ、私はなにも案じていない。

 ——きっと、『私』はあなたを待っていたのよ。これが、私が夢を叶えるための最後の役目。

 ……どうかよろしくねセブン」


「——ああっ!」


 そのどこまでも揺るぎない信念のたたえた微笑みに。

 『ケリュネア』の言葉に力強く応え、うなずいた。






「それにしても、ああ……やっぱり、ここから眺める景色は最高ね……」


「そうだな。オレも、この眺めが、一番気に入ってる」


「あら、それは初耳だわ」


「これからは、オレの方から、お願いすると、しよう」


「ふふっ。ええ、そうしてちょうだい」






 大空洞に轟音がこだまする。

 音が止み、残ったのは巨人だった銀色の岩と、手を焦がす白金の球。

 そして、夢と意志を託された一人の人間。


 一時間以上、彼はその場から一歩も動かず、その光景を見つめていた。

 鉱山に来る前。森でのケリュネアとの会話を思い起こしながら。

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