割れたグラス
桜川 ゆうか
割れたグラス
「別れようか」
そう言った敦を、思わず凝視していた。まさか、本当に別れると言うとは思わなかった。
確かに、距離を置こうと中途半端な発言に、私がはっきりしてほしいと要求したのは事実だった。ただ、敦はこの前のクリスマスに、結婚しようという発言もしていた。
それが、ひと月も経たないうちに、翻した。どう受け止めていいのか、わからなかった。
家に帰るのにも、敦の車に乗らないと、駅からは遠かった。車に乗るのも、なんとなく気分が落ち着かなかった。こんな場所まで引っ張り出して、私を一人で放り出すというわけではないようだが、あまり話そうとも思えなかった。
こうなったら、どこかで派手に遊びたい気分だ。カラオケでもして、少し気持ちを切り替えられたらいい。ただ、私にはそんな余裕はなかった。金の切れ目が縁の切れ目、とはよく言ったものだけれど。たぶん、この別れも、それが原因だった。
私のお金の使い方が悪いのは、どうしても否定できない。きちんと書き留めているにもかかわらず、まったく意味を成していないと感じる。稼がないといけないとわかっているのに、一生続けて行かれそうな仕事など、見つけられない。
才能はあると思ったのに。何か一つに絞りきれない。何をしていいのか、皆目見当もつかなかった。
駅からは自分で帰る。この交通費だって、決して安くはないのだ。こんな場所まで呼び出されたのに、結局、別れる話になった。これでどうやって、少しでも気分よく帰れるだろうか。
重たい感情を抱えたまま、一人、電車に揺られる。帰宅にかかる時間は2時間弱。かったるい。周りのすべてが無意味に思われて、このまま消えてしまったほうが楽だな、と思う。
暫くの間、私は自宅でだらだらと過ごした。何もする気になれなかった。
両親は、そんな私を疎ましそうに見た。父は、お前に結婚なんかできるわけがないと言った。
どうでもいい。生きたいという気持ちも薄れていた。ネットゲームで仁という男と話しながら、私はこのまま架空の世界に住めたらいいのにと思っていた。
家に引き籠り、ゲームばかりしていると、あらゆる感覚が狂ってくる。
やがて春になり、暖かくなってきたので、私は少し部屋を片づけようと決めた。だらだらした生活に似つかわしく、部屋もひどい状態だった。学生のころの資料がそのまま、まとめて袋に入れて放置されていたり、遊ぶわけでもないゲームが置いてあったりした。
棚の上には紙の束が散乱して、冬の間、着まわしていたセーターが、まとめて積んで置いてある。着たものだから、これは洗わないといけない。
プラスチックの引き出しをきれいにしようと思って、戸棚から古い布を持ってくる。さらに、部屋に戻ると、棚の中段に入っていたスプレーを取るため、私は手を伸ばす。
だが、うっかり手を滑らせた。
――ガッシャーン!!
足元で大きな音が響いた。
慌てて床を見ると、以前、敦からもらった、影絵グラスが割れていた。
幸い、ガラス片は飛び散ることなく、綺麗に割れたらしい。すぐ近くに落ちたにもかかわらず、私は無傷だった。
私は茫然として、グラスを眺めていた。そして、自分の中で、何かが変わったと気づいた。グラスと同時に、壊れたものがあった。緑川敦。このグラスをくれた当人の、私の中での居場所だ。
ああ、そうか。奇妙に納得している自分がいた。誕生日、クリスマス、ホワイトデーにしても、敦のプレゼントは私の好みに合わない場合が多く、私はあまり楽しみにしていなかった。
私自身は、贈りものが得意だった。相手をよく知っていれば、絶対に喜ばせられる自信があった。
プレゼントは金額じゃない。それは、相手がどれだけ自分を理解しているかを測る、一種のバロメーターになる。ふさわしくない贈りものは、ふさわしくない相手だという意味だったのかもしれない。
壊れてよかった。どうせ必要なかったから。
割れたグラス 桜川 ゆうか @sakuragawa
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