第50話 仕事着
茹でていたタケノコに串がすっと通る程度まで火が通ると、シュウはコンロの火を落とし、ガスの元栓を閉める。
洗った山菜などは新聞紙に包んで冷蔵庫に入れ、ひと通りの片付けを済ませたところで、シュウはクリスに声を掛けた。
「準備完了だ。そこにある制服の店に行こう。そのあと……そういえばロッカーに荷物を預けてたよな。それを取りに行って、戻ってくるか」
「うん」
しばらく何もすることが無く、目の前に置かれていた今日の新聞を広げて中身を見ていたクリスだが、それをサッと畳んでシュウに向けて頷いた。
シュウの店の場所は裏なんばと呼ばれる場所にあるのだが、その裏なんばの中で最も栄えているのは道具屋筋と呼ばれる商店街に繋がる路地やそのまた奥にある路地である。シュウの店は残念なことに最も栄えた場所にはないのだが、それでも少し歩けば栄えたところに足を踏み入れることになる。
実際に、シュウたちが店を出たのが一七時三〇分くらいなのだが、五分もせずに人通りが大きく増える。
シュウとクリスは店を出ると制服を売っている店へと歩を進めると、この辺りの飲食店はこの時間帯から活気づいてくるので、シュウに掛かる声もまた多くなる。
「シュウさん、まいど!」
「山さん、まいど!」
どこかで交わされたような挨拶をシュウが飛ばすと、相手の視線はその左手の先に続くクリスへと向けられる。
時間帯的に忙しい男たちばかりなので余計に話しかける余裕は無いようだが、それでもクリスはその好奇心が詰まった視線が刺さるように感じて居心地が悪そうだ。
シュウはそんなことは気にも止めず、古元グランド劇場の隣を抜けて道具屋筋と書かれたアーケードの中へと入っていく。
目的の制服を扱う店は、このアーケードを入ってすぐの場所にある。
「まいど、いらっしゃい。今日はどんな服をお探しで?」
店員のおばちゃんが声を掛けてくる。
この店の閉店時間は一八時なので、できるだけ商談を早く済ませたいのだろう。
「うちは和食系の居酒屋なんだけど、この子に合うサイズのもので、フロア主体の制服が欲しいんだ」
「えらい別嬪さんやねぇ……お人形さんみたいやわ。
簡易型の和服もあるけど、洋服系の方が似合いそやね……ほんならこっちの、これとか、これ、こんなんはどない?」
別嬪さんという言葉の意味がわからないのか、クリスはキョトンとしているが、お人形さんのみたいという言葉には反応し、頬を赤らめる。
それは事実だから仕方がないとでも思っているのか、シュウはおばさんと共に服選びに入る。
一着目は上下が別で、ベストとキュロットスカートの組み合わせになっている。二着目は黒のワンピースで、イメージとしては喫茶店のウエイトレスといったところだろう。
そして三着目はベストとパンツの組み合わせだ。イメージとしてはソムリエといったところだろうか。
「もちろん、ベスト無しにしてシャツにしてもええよ。これからは暑ぅなるからね。柄シャツに色付パンツ、サロンなんかを巻いてもええし、色付きのシャツとワンピースに前掛けサイズのエプロンとかも可愛らしいですよ」
おばさんのセールストークが冴え渡っている。
柄付きのシャツに色付きのパンツを組み合わせて見せてきたり、ブラウスの上にワンピースを乗せて更にエプロンを被せて見せる。とてもシンプルなメイド服のようにも見えるが、ストッキングやパニエなどを入れないし、ブラウスやエプロンもシンプルなものなので違和感はあまりない。
「うーん、着るのはクリスだからなぁ……クリスはどう思う?」
それでも自分ひとりですべてを決めてしまうわけにいかないと思ったのか、シュウは念の為クリスに尋ねた。
「え? メイド服!」
どこまでもクリスはメイド服に拘るようなのだが、残念ながらこの店にはメイド服は置いていない。
シュウがまた呆れたような顔をして肩を落とすが、店員はしっかりしている。
「すんません、うちでは付け襟と付け袖を使うメイドワンピースはあるんですけど、メイド喫茶みたいなメイド服はないんですよ。
そうですね、綺麗な青い目をしてはるんやし、白のTシャツにベージュのキュロットスカート、その上に紺のワンピースエプロンとかもどない?」
おばさんは目の前でコーディネートを考えて、並べて見せてくれる。
Tシャツにワンピースを着ているような格好で、下にはキュロットがあるという絶対防御タイプになっている。気分によってボーダーのTシャツなんかを合わせてもいい。無難だけれど、間違いのない組み合わせと言えるだろう。
それに、明日から着て働くというのだから裾上げが必要ないキュロットやワンピースというのは考えてみればいい条件である。
「あら、かわいいわね。これなら着てもいいわ」
メイド服が買ってもらえないのが気に食わないのか、お貴族様モードで上から目線な発言をするクリスだが、それを聞いてシュウの気持ちも定まった。
「じゃあ、このセット。クリスのサイズだと七号で……Tシャツは白、白地に紺のストライプ、ライトグレーの三着。エプロンは紺と臙脂色で一枚ずつ。キュロットは紺、ベージュ、カーキで一枚ずつでお願いします」
「はい、おおきに。靴はええの?」
シュウはクリスの足元を見る。
何か重いものを落としても大丈夫なように先端が補強されたものもあるが、厨房に入ることも少ないことを考えると、必要ないだろうとシュウは判断する。
「スニーカーにするので、今回はパスで。さっきのセットでお願いします」
「おおきに。ほな、レジの方へ……」
店員のおばさんに言われるまま、シュウはクリスの手を引いて奥に進み会計を済ませた。
七号サイズの服を折りたたんで入れた袋は結構な大きさである。
だが、今から朝ロッカーに入れた荷物を取りに行かねばならない。
店を出たシュウとクリスは大きな紙袋に入ったクリスの仕事着を持って、道具屋筋商店街から路地にでた。
路地の先に見えるのは昨日も寄ったデパートだ。左右にはライトが灯った赤ちょうちんがいくつも揺れていて、既に楽しそうな酔っぱらい達の笑い声が聞こえてくる。
すると、突然クリスがシュウの手を引いて動きを止めた。
そこには様々な食品サンプルを作り販売する店の入り口だ。小型化して作ったキーホルダーなどが展示されている。
「シュウさん、これはなぁに?」
実際には昨日、ハンバーグを食べた洋食屋の入口横に食品サンプルはあったし、他の店でも食品サンプルを陳列していた店があったことを考えると、クリスはお店に並んでいるのは本物だと勘違いしているようだ。
「これは、食品サンプルっていって、蝋を使って作った偽物の料理だよ。本物を毎日作って飾って出しても、虫が寄ってきたりするし、店を閉める頃に捨てなきゃいけなくなるだろう? だから色をつけた蝋をつかって作るんだ」
クリスはそこに並んでいるものの目的を聞いて目をまあるくして驚いた。
そして、目を近づけてレタスや昨日食べたハンバーグの食品サンプルをじっくりと観察し、再度シュウに尋ねる。
「こ、これは食べ物を模したモノなの?」
「うん、そうだけど?」
実はこの店では食品サンプルを作る体験もできたりするそうで、店に張り紙がしてあるのをシュウが見つける。
「実際に作らせてもらっったりもできるみたいだよ。今日は遅いから無理だけどな……」
途中までクリスに製作体験ができることを話しながらも、悪い予感がしたシュウは今からやりたいと言い出しそうなクリスを牽制する。
いつのまにこんなテクニックを覚えたのやらとシュウが自ら呆れそうになると、クリスは案の定、残念そうに声を上げる。
「なーんだ、ざんねん……」
子どものように俯いて小いさな石を蹴飛ばすと、クリスは口を尖らせたのだが、シュウは既に信号機のある通りの先を見ていた。
ぷうと頬を膨らませつつ、クリスはシュウの左手をギュッと握り返した。
荷物を持ったシュウは手を引いてデパートの方に歩いていくと、デパートの中から地下街へ抜ける通路を通り、朝使ったロッカーにたどり着き、荷物を取り出した。
「さて、また一度店に戻って荷物を置いたら、情報収集だな」
「そうね。どんな美味しいものがあるのかしら?」
シュウはこれからの情報収集に向けて気合を入れていたところ、まったく違う方向の返事をしたのでカクンと膝を落として転けそうになる。
「あはは、なにそれ!」
クリスはそのシュウのリアクションを見て笑っている。
その楽しそうに笑う笑顔もとても綺麗だ……などと考えるのではなく、クリスの天然さに言葉を失い呆けた顔でクリスを見つめた。
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