第47話 水族館(2)
この水族館は中心に太平洋の魚を集めた巨大な水槽があり、そのまわりを通路が周回して降りていくように設計されている。通路の外側にはまた別の地域の展示エリアが設定されていて、ゴマフアザラシとアシカの泳ぎを見て楽しんだクリスは、パナマ湾、エクアドル熱帯雨林帯などを堪能したあと、南極大陸のエリアにやってきた。
「ねぇ、シュウさん。地球にはこんな鳥がいるの?」
「ペンギンって言うんだけど、飛べないように羽が退化しているんだ。でも、水中ではすごく速く泳ぐんだ。ほら……」
ちょうど目の前にいたアデリーペンギンが水中に飛び込むと、すごい速さで泳ぎだしてすぐに見えなくなった。
クリスもそれは見ていたようで目を瞠っていたのだが、すぐに帰ってきた他のペンギンが上陸してヨチヨチと歩く姿を見つけて指す。
「ほんと! でも、上陸したあとの歩き方が可愛らしいわ。あの灰色でモコモコしたのは違う種類?」
「いや、あれは子どもだね。毛が生え変わると、大人になるんだ」
クリスの指したペンギンはコウテイペンギンの子どもだ。
堂々と……ただ立っているだけの姿なのだが、親ペンギンは明らかに他の種類よりも大きくて威厳があるような気がしてくる。
そして、カマイルカが常に泳ぎ続けているタスマン海や、色とりどりの美しい魚が群れるグレートバリアリーフと進むと、中央の大きな水槽から離れていく。
現れたのは瀬戸内海を再現したエリアだ。
「おっ、ここはよく知ってる魚がいっぱいだぞ。タイにヒラメ、ホウボウだろ、それから……イシダイ、カワハギ、タコまでいるな。このあたりの魚は食べられるぞ」
ほぼ生簀を眺めるかのようにシュウが水槽の魚を指して、その名前を言う。
クリスは種類が多すぎて覚えられないのだが、赤い魚体をしているのはタイ。赤いけど細長い魚体ならホウボウというのまでは理解した。なお、タコはその醜悪な見た目に慄いたのですぐに覚えた。
「それで、美味しいの?」
クリスは食べたことがない海の魚の味など想像できるはずもない。だから少し不安げな視線でシュウを見上げて尋ねた。
だが、シュウは自信を持って答えることができる。どれも美味い魚だと。
「タイはまだ美味しい時期だけど、他の魚は旬を過ぎてるな。マダコはあと一ヶ月もすれば旬になるよ。あ、イサキがいるな……あれはそろそろ旬を迎えるぞ」
シュウは魚屋のように旬の魚を知っていて、どれが美味しいかをすぐに教えてくれる。
その姿を見ていると、クリスはシュウの好物は魚なのではないかと思う。実際にそんな話をしているときのシュウは目が生き生きとしていて、とても楽しそうに見えるのだ。
「よし、決めた。今日の晩ごはんは鯛めし。もう決定!」
シュウが握った手を引いてクリスを次の特設ゾーンへと導く。
そこにはマンボウがぷかぷかと泳いでいるのだが、ぽかんと開けた口がとても愛らしい。
「変わった魚ね……」
「うーん……さっきいたカワハギだとか、他の場所にいたハリセンボンと同じでフグの仲間だよ。だから、美味しいんだが……なかなか手に入らないな」
クリスはマンボウの風貌を見て思ったことを言ったのだが、シュウの食材モードが激しいことについ可笑しくなってしまう。
「あはは、シュウさんは食べるモードになっちゃってるよ?」
「ええっ?! 食べられるかどうかを教えて欲しいって聞いたたからなんだけど……」
シュウも確かに極端に食べ物として魚を見すぎていた気がしてきて、やりすぎたかなと反省し、恥ずかしそうに後頭部をポリポリと掻いた。
その後、チリの岩礁地帯ではカタクチイワシとマイワシを見たシュウがまたテンションが上がる。シュウはイワシが好きなのだ。
「よく見ると、下顎が見えないくらい小さいのがカタクチイワシ。身体の横に黒い星がいくつも並んでいるのがマイワシだな」
「で、美味しいの?」
見分け方を説明しただけのシュウを誂うようにクリスが味を尋ねる。
「ああ、どちらも美味しい魚だよ。特にマイワシは今から旬だからなぁ……今日、仕入れるかな?」
「ということは……晩ごはん?」
シュウは先ほど鯛めしを晩ごはんにすると宣言したばかりである。男たるもの、簡単に意見を変えるわけにはいかないと思いつつ、新鮮なマイワシも捨てがたい。
「うーむ」
誂い半分で言ったことを呻くような声を出して検討し始めるシュウを見てクリスが呆れたような顔をして一歩下がると、シュウはクリスに尋ねる。
「おかずはイワシがいいのか? 汁物にもできるが、どっちがいい?」
シュウがイメージするのはイワシのつみれ汁なのだが、クリスは海の魚を食べたことがないので、返答に困ってしまう。
「ごめんなさい、海の魚は食べたことがないからわからないわ……」
「あ、そうだったな。ごめんごめん……」
シュウは本当に申し訳無さそうに顔を歪めて謝ると、また晩ごはんのメニューを考えながら先へと進んだ。
ウミガメが泳いでいるエリアや、じっとしていて生きているのかどうか心配になってしまうカニがいるエリアをゆっくりと通り抜ける。
そして、最後のエリアへと足を踏み入れた。
いくつもの水槽が並べられていて、そこにフワフワと漂っているのはクラゲだ。しかもいろいろな種類別に水槽が用意されていて、その一つひとつの水槽が異なる趣を持っている。
「わぁ、これはキノコみたいね。かわいい……」
「ほんとだな、とても形のいいキノコみたいだ」
最初にクリスが声をあげたのは、カラージェリーフィッシュだ。
青や黄色、赤紫といった変わった色のクラゲがポヨンポヨンと水を掻き出して上昇すると、疲れたのか重力に任せるように底へ沈み、また上昇しては沈むという動作を繰り返している。そんなクラゲがたくさんいるのだから見ていて飽きることがない。
また、他の水槽前に移動すると、青い水槽にその身を白く透けさせてふわりふわりと漂うように浮いているクラゲを見る。
そして、何故か体表の一部が光るクラゲや、傘が白く、その中央が黄色――目玉焼きのようなクラゲもふわりふわりと漂っている。
幻想的な音楽が流れているのも影響しているのか、そんなクラゲたちを見てクリスは心が癒やされたようで、穏やかな表情でただ浮かんでは沈むクラゲたちを眺めていた。
シュウは特にクリスが強い不安を抱えているのを知っていたが、その不安を取り除くつもりで水族館に連れてきたわけではない。だが、クラゲたちによる思わぬ収穫に安堵の息を吐いた。
水族館を出て時計を見ると、既に時間は一五時を少し過ぎていて、仕入れのために向かう時間になってしまっている。
シュウは観覧車に乗らずに済んだことで内心はホッとしつつも、クリスには残念そうに報告する。
「クリス、すまない……もう仕入れに向かわないといけない時間帯なんだ。観覧車はお預けということでもいいか?」
「え? もうそんな時間なの?」
シュウの予定では、ここからまた地下鉄中央線に乗って森ノ宮駅へ出てクリスのICカードを買ってからJRで天満駅へと向かうつもりである。
シュウの自宅や店の近くにJRの駅がないので、ICカードを買えるのは他に機会がないがのが理由だが、地下鉄中央線で堺筋本町まで出て堺筋線に乗り換える方法もあるが、その場合はJR天満駅まで徒歩で往復しなければならないので面倒なのである。
「そうだな、ここから駅まで歩く時間を考えると、目的地の天満市場に一六時に着くには今から移動しないと間に合わないんだ」
天満市場は一七時には店を閉め始めるところも多く、一八時になれば店はもう閉まっているところばかりになる。しっかりと目利きをして商品を選ぶためにも一六時には市場に到着したい。
「クラゲに見惚れ過ぎちゃったから仕方ないわね……じゃぁ、今度船に乗る時に来たらお願いね?」
その時までに試練が見つかるのであれば、叶えられない約束が増えてしまうのだが、シュウはスマホを取り出すとメモアプリに「天保山観覧車」と入力した。
やってきた道を逆に進み、切符を買って大阪メトロ中央線に乗って、森ノ宮駅で降りる。
階段を上がってすぐにJR森ノ宮駅があり、反対側には大阪城公園が見えるのだが二人はそれどころではない。クリスが欲しがっていたICカードのマークがある自動券売機で購入したのだ。
「ふふふっ……」
不審な笑い声を出して、クリスは嬉しそうに笑みを浮かべる。
自分が強く欲しいと思っていたものを買ってもらえたのだから無理もない。
「おい、なんか大丈夫か? 落とさないようにしてくれよ……」
そうクリスに注意をすると、シュウはICカードを入れるためのケースや財布も買わないといけないことを思い出す。
幸いにも大阪のおばちゃん御用達な店が多く並ぶ天神橋筋商店街を通るので、そこで良さそうなものがあれば、選んでやろうと考えながらシュウはクリスの手を引いて京橋・大阪方面行きのホームへと急いだ。
ちょうど階段を登りきったところに、オレンジ色の車体をしたJR大阪環状線の車両が滑り込んでくる。
時間帯的に私学の中高生たちが多く、同じ車両に乗り合わせた女子中高生は憧れにも似た視線をクリスに注ぎ、男子中高生は開いた教科書の上からただぼんやりとクリスを見つめている。
一方、見られているクリスの方は、走り出した電車の窓から見える歴史的建造物を指してシュウに尋ねていた。
「ねぇ、あれはなぁに?」
「あれは大阪城天守閣だ。今から四百年ほど前にあそこに建てられた城で、大阪の象徴とも言える建物だな。戦争や落雷で何度も焼けて建て直されているけどね……」
シュウの説明にクリスは少し考え込むような姿勢を取ると、次の質問を投げかけた。
「城主があそこに住でいたの?」
「いや、城主は近くにある別の建物に住んでいたんだ。あの天守閣は権力の象徴ってやつかな……」
などと話をしていると、電車は大阪城公園駅に到着して天守閣は見えなくなった。
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