第44話 大阪港へ

 二人は本町駅で御堂筋線から中央線へと乗り換えた。今度は近鉄近畿日本鉄道が乗り入れている路線なので、車両はアイボリーに茶系のラインが入った近鉄系の車両である。

 阿波座駅を出ると線路は地上へ上がり、窓の外の景色が見えるようになる。

 横並びの座席は連休ということもあって大阪港方面に向かう人が多いのか、なかなか空かないのだが、運良くクリスだけは座ることができた。

 とはいえ、座ってしまうと窓の外を流れる景色を楽しむことができないのが不満ですぐに席を立つと扉の前に立って景色を眺める。


「シュウさん、あのなんだか大きい銀色の建物はなぁに?」

「あれは室内で野球という競技をするための施設だね。あとはコンサート――演奏会のようなものが開かれることもあるんだ」


 クリスの質問に対し、まだ野球やアイドルの存在など知らないクリスのことを考えて、シュウはできるだけ日本語にして返事をする。

 クリスが試練をクリアすれば元の世界に帰れるのだから、他国語を覚えてもらう必要はないのだが、こうして英語禁止で暮らすのは難しいということを実感すると、少しは日本語以外の言葉も覚えてもらうほうがいいと思い、また教えることが増えたと溜息を吐いた。







 その後、数分程度で電車は大阪港駅に到着した。


「ここで降りる。大阪港駅……つまり、港のある場所だが……あまり期待するなよ?」

「どうして?」

「このあたりは海を埋めて作った人工的な土地だから、浜辺や漁港のようなものは残っていないんだよ」


 クリスは駅のホームから辺りを見回す。

 次の駅へと向かって走り出した電車の向こうに広大な空間が見え、その向こうには淡路島が見えている。すんすんと鼻を鳴らして息をすれば、海辺特有の潮の香りが漂っていることがわかる。


「そうなのね……でも、なんか独特の香りがするよ? これは海の香り?」

「ああ、そうだ。これは海の香りだな」


 シュウも潮の香りを嗅いで答える。

 実際は潮の香りではなく、プランクトンの死骸から出る匂いが原因なのだが、そこまでの説明もクリスには必要ないだろう。


「この先はまた地中に入っていくみたいね。そしてあの向こうに見えるのが海?」


 クリスは線路の先を指してシュウに問う。

 大阪港駅から先は地中を掘るのではなくチューブ状にしたトンネルを海に沈める方法で作られている。そのトンネルは電車と自動車の両方が通れるほどの大きさがあるのだが、その先はクリスの言うとおり大阪湾だ。


「ああ、そうだ。浜辺も見えないし、想像していたのと違うだろう?」


 シュウはクリスが思っていたであろう青い海、白い砂浜といった美しい景色ではないことを残念に思いながら返事をする。

 だが、クリスはそこまで残念そうにはしていない。


「そうね……でも、すごくたくさんの人が住んでいるんだもの。その場所を確保しようとしたら、海を埋めたりしないといけないのもわかる気がするかな」


 クリスが暮らしていた街は旧王都とはいえ、数万規模の人――戸籍がないので正確ではない――が住んでいるのだが、この大阪の街は二七〇万人を越える大都市だから自分には想像もつかないことがあると思っているのだろう。


「ねぇねぇ、あそこに見えるのは船かしら?」


 クリスは無邪気にもあれこれと指してシュウに尋ねる。


「あれはタンカーかな? 石油という油を外国から運び込むための船だね」


 貨物船にしては全く荷物が乗っていないように見えるので、シュウはタンカーだろうと推測する。実際に堺市から南に行けば工場地帯が連なっていて、貨物船も多く行き来しているので、遠くを進む船ではなかなか見分けにくい。


「帆がない船なのね。奴隷とかたくさん雇って漕いで進んでるの?」


 クリスの口から突然とんでもない質問が飛び出したので、シュウは驚いて慌てて否定する。


「いやいや、全世界的に奴隷なんていう制度は残っていない。それに、ほとんどの船はさっき言った石油という油を精製するときにできる重油を燃やして進むようになっているんだ」

「油を燃やして船は進むの? どういう仕組みなのかしら……」


 内陸にある街で暮らすクリスにとって、船とは近くにある川を渡るための乗り物であり、帆を張って風の力で進むか、櫂を漕いで進む船しか見たことがない。

 その船が油を燃やすことで進むというのだから、その仕組みが気になるのも仕方がない。


「うーん、説明はできるんだけど……家に置いてきた図鑑がある方がわかりやすいと思う。帰ってから教えるよ」


 シュウはまた今日も教えると約束したことが増えたことで、いい加減どこかにメモを残さないと忘れそうになっている自分がいることに気がついた。

 そして、ごそごそとスマホを取り出すとメモアプリを開いて、入力しておく。


「うん、ありがとう。ねぇねぇ、あの橋は何段にもなっていてすごいわね。こっちはすごく高くまで上がっていくようになっているわ。

 高速道路……だっけ? 車が走っているのが見えるね」


 クリスは次に橋に興味を持ったようだ。

 この大阪港駅のプラットフォームから望む景色はいろんなものが見えて、飽きないのだろう。


「そうだな。さて、水族館に行こうと思ったんだが……そろそろ腹が減る時間だよな」

「朝ごはん食べてから時間経ってるものね……」


 シュウとクリスはそろそろ腹の虫が鳴き出しそうな予感を感じていた。

 二人は階段を降りて、改札口を通り抜けると水族館へと向かう大きな通りに出る。


「正面にあるのが、人を載せて運ぶ船が出るところで、その近くに日本で一番低い山だったところがあるんだ。天保山っていう人工の山なんだけど、頂上に登ると認定証がもらえたりする」

「へぇ、低い山なのに面白いわね」

「数年前にあった大地震の津波で、東北地方にある山が削れて日本で一番低い山になったらしいんだ……」

「わぁ、それは残念ね」


 そんな会話を楽しみがら二人は水族館の方向に歩きながら店を探すのだが、なかなか良さそうな店を選ぶことができない。この駅近辺にはあまり飲食店がなく、名店と呼ばれるような店もない。インド・ネパール料理店や、茶碗蒸しうどんなるものを出す店などを見つけるのだがどうもピンとこない。

 そうして、歩いていると水族館に併設されたショッピングセンターの入り口に到着していた。


「さっきの駅から見えていたけど、これはなに?」


 クリスが併設された観覧車を指してシュウに尋ねる。


「これは観覧車。このカゴに乗って景色を楽しむものなんだが……」


 実はシュウは高いところが嫌いで、高さ一一五メートルもある観覧車には乗りたくない。だから、今日は風が強くて揺れるから乗れないと言えないかと考えるのだが実に穏やかな風が吹いていて無理があることを悟り、行列ができているから並ぶ時間がないと言おうかと入り口を見てみると人も疎らですぐに乗り込むことができそうだと感じてしまう。


「混み合う前に昼めしを済ませてしまおう。そして水族館だな」


 シュウはこれでごまかせるだろうと思いながら、今からの行動予定を提案する。

 そろそろ昼時ということもあり、水族館に併設されたショッピングセンターも混み合う時間帯である。逆にその混み合う時間帯は水族館は空いているというのもあっての提案だ。


「ええ、わかったわ。でも、これにも乗ってみたいな……」


 クリスはいつものように上目遣いで縋るようにシュウを見つめ、強請ってくる。

 正直、シュウはその目と表情には敵わないと思いつつ、一周にかかる時間が十五分と書かれているのを見てしまうとやはり躊躇してしまう。

 二人きりになることは家でも同じなのでなんの問題もないのだが、何よりも高いところが苦手なのだ。しかも一一五メートルの高さがあれば、風で結構ゴンドラが揺れる。それに耐える自信がシュウにはない。


「そうだな、時間があれば乗ろう。先に昼食、次が水族館。今日は仕入れがあるから、市場が閉まる前に行かないといけない。水族館を出て余裕があれば……ってことでいいだろう?」


 クリスは初めて見る海の魚たちや海獣を見るのだから、かなり興奮して楽しむことだろう。それを思えば、観覧車に乗る時間など無くなるとシュウは算段した。

 そんなシュウの思惑など知らないクリスは、シュウの都合というものを考慮すれば仕方がないと諦めざるを得ない。非常に残念そうにクリスは返事をする。


「明日は店を開くのなら仕入れは必要だもの……仕方ないわ。その時は諦める……」


 がっくりと肩を落とすクリスを見てシュウは内心「申し訳ない」と連呼しつつ、ショッピングセンターの中へと入っていった。

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