第16話 ミナ、床を破壊し、未踏破領域を探索すること

「フェリア、ちゃん……?」

「……いえ。すみません。わたしを守ってくれたんですよね。……ありがとうございます」


 フェリアの瞳に宿った敵意はほんの一瞬で消え失せ、代わりに深い悲しみが宿る。


「一体、何……」


 彼女の真意を確かめようとしたその時、唐突に床が崩れ落ちた。


「なっ……」

「ミナさん!」


 魔剣を発動させる暇さえなく、なすすべなく落ちていくミナを、フェリアが飛び込んできて抱きとめる。そのまま二人は一瞬の落下の後、更に床が抜けて落ちていった。


「いた、た……」


 酷く痛む背中にうめきながら、ミナは状況を確認する。どうやらかなりの距離を落下したらしく、周囲は真っ暗で何も見えなかった。生き埋めになってしまったのかもしれない。


「ご無事ですか? ミナさん」

「うん……なんとかね。フェリアちゃんは平気?」


 暗闇の中、フェリアの声が聞こえる。暗くて見えないが、どうやら彼女はミナに覆いかぶさるようにして、すぐ目の前にいるようだった。


「はい。ただ動けないので、後ろに下がって貰えますか?」

「あ、ちょっと待ってね」


 ミナはゆっくりと後ろに這いずってフェリアの下から抜け出し、背嚢に吊るしたランタンを手に取る。指先で小さな文様を描き魔術を発動させると、周囲に明かりが溢れた。


「──フェリアちゃんっ!」


 そして目の前に浮かんだ光景に、ミナは息を呑む。彼女たちと一緒に落下してきた膨大な瓦礫に、フェリアは押しつぶされていた。


「はい。すみませんが、この瓦礫を斬って頂けませんでしょうか?」


 しかし人間なら即死、良くても大怪我は免れ得ないその状況で、フェリアは苦しそうな様子を見せることもなく平静な声色でそう頼む。


「斬るって……フェリアちゃんを傷つけずに瓦礫だけ切れるか、自信ないわよ」


 明かりをつけたとは言え、真っ暗な中、不安定なランタンの炎だけが光源だ。フェリアの上に乗っている瓦礫がどんな形をしているかも良くは見えない。


「あ、大丈夫です」


 だがフェリアはこともなげに言った。


「その子の刃では、私は傷つかないので」

「いやいや……コウ君が鍛え直してくれて、S級の鋭さのある魔剣なのよ? 人なんか触れてなくても斬っちゃいかねないわよ」


 広天の手によって打ち直された嵐の魔剣は、あらゆる能力が飛躍的に向上していた。嵐を巻き起こすその魔力もだが、切れ味や強度についてもだ。なにせあのウォルカノですら切り裂いたのだ。


「わたしは、人ではありませんから。人の姿をしていても強度は原型と同じなんです」


 だがそれでもフェリアには、自分の身体を傷つけることはできないという確信があった。


「こうして瓦礫に潰されていても、なんともないでしょう?」

「……それでも、万が一ということもあるわ。あなた自身の能力で掘ることはできないの?」


 たとえ傷つかないのだとしても、仲間に刃を向けるのはどうしても抵抗がある。


「すみません。土や岩なら操れるんですが、この瓦礫は人工物なのでできないんです……」

「そんな縛りがあるのね」

「マスターが言うには、自然の土石は土行で、人工物は金行なので、属性が違うのだとか……」


 困るミナに、フェリアは申し訳無さそうに答えた。


「あっ、フェリアちゃんがツルハシの姿になれば、引っ張り出せるんじゃない?」

「なるほど。それは名案ですね。では、お願いします」


 フェリアはミナに向けて片手を伸ばした。途端に瓦礫を支えきれずにべちゃりと押し潰されるが、大丈夫と言うように彼女は手を振った。


「……何、これっ……」


 ミナがフェリアの手を握った途端、彼女の脳裏にフェリアの『使い方』が浮かび上がる。


『宝貝としての基本機能、だそうです。使い方がわからないというのは、道具として何よりもの欠陥ですから』


 ミナの疑問に答えるフェリアの声は、頭の中に直接響いた。それが、使い手と宝貝の間にだけ通じる念話のようなものであることも、ミナの頭に叩き込まれた知識の中に存在している。


「……こんなのって……」


 ミナが念じると、フェリアはすぐさまツルハシの姿に戻った。瓦礫が崩れる前にミナはフェリアを引きずり出し、再び人間の姿に戻す。


「ありがとうございます、お手数おかけしました」


 にこりと微笑むフェリア。しかしミナは、内心で更に広天への怒りを募らせていた。


 フェリアは、のだ。必ず使い手に使われないと、人とツルハシの姿を行き来できない。それは彼女の自由意志を大きく侵す、ひどい仕打ちのように思えた。


「ここは、地下のようですね」


 しかし当のフェリアはそれを気にした様子もなく、周囲の暗闇を見回していた。


「え、ええ……この遺跡は地上一階、地下二階の三階層だから。多分ここは最下層ね」


 この場にいないものに怒っていても仕方がない。ミナは素早く気持ちを切り替え、頭上を見上げる。


「これはちょっと上がれそうにないわね……」


 フェリアが庇ってくれたのだろう。よく大怪我もせずにすんだものだ、と思えるほど遠くに、空の光が見えた。嵐の魔剣の力は、まっすぐ頭上に飛ぶような器用な動作には向いてない。こういう事態に備えて魔術師であるエレクトラを雇ったのに、彼女を置いてきてしまった。


「はぐれた場合は動かずに助けを待つのがセオリーだけど……」


 果たして助けに来るだろうか、とミナは口には出さず胸中で呟く。


 広天に心酔しているエレクトラは彼に従うだろうから、判断するのは広天だ。そして、フェリアの事は見捨てる可能性が高いのではないか、と思った。


 ミナの事をどう判断するかはわからないが、自分は仮にもA+級の冒険者だ。この程度の状況は何とでもなるし、何とかしなければならない。


「マスターの事が心配です。ミナさん、探しに行きましょう」

「そうね」


 この期に及んで広天の心配を優先するフェリアの頭を一つ撫で、ミナは暗闇の中を歩き出した。





「はっ!」


 ミナの振るう剣が、巨大な蝙蝠を切り払う。真っ暗闇の中、音もなく飛んでくる獣は厄介極まりなかったが、狼人リュカントロポスは夜目にも優れている。ランタン程度の光源があれば、はっきりとその姿を見ることが出来た。


「ミナさん、気のせいかも知れないのですが……」


 フェリアがどこか心細げに、そう尋ねた。


「わたしたち、どんどん下に降りていってませんか……?」

「そうね」


 あっさりと首肯しながらも、ミナは内心焦っていた。『堕ちたる都市』は確かに全三階層の遺跡であるはずだ。しかし今進んでいる道はどう考えても、三階層より更に地下に進んでいる。すなわち、未踏破領域に足を踏み入れてしまったということだった。


「フェリアちゃん、この都市の事を知ってるのよね。今いる場所が何なのか、わからない?」

「多分……下水道じゃないかと、思うんですが……」


 当然のことながら、水はとうの昔に枯れ果てていて一滴足りとて残っていない。けれど言われてみれば確かに、水路の名残のようなものはそこかしこに見受けられた。


「なるほどね。ってことは、第三階層は上水道だったわけか」


 魔術師たちの通説では、『堕ちたる都市』では上下水道を共用していたと言われていた。だがどうやら、それは誤りだったらしい。


「あ、でも、合ってるかどうかはわかりません。わたしはこの都市を知っていると言っても、その頃は自分の意志で動くことは出来なかったので……知っているのは、ごく僅かな範囲だけです」

「その時の持ち主はコウ君じゃないわよね。最近会ったって言ってたもの。じゃあ……ずっと前の勇者かしら」


 ミナの問いに、しかしフェリアは首を振った。


「いえ。この街で私を手にしていたのは勇者様ではありません。わたしは、そう」


 遠くを見るような瞳で、フェリアは独白のように、口にする。


「この街で、生まれたんです」

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