41話 新たなる世界の複製
砂漠に落ちた小さな宝石。ある若者が恋人にダイヤの指輪を渡そうと、広大な砂漠を歩いていた。恋人に会うには砂漠を歩かなければならない。
大切な指輪だったので箱から取り出してあるかどうか確認していたら、そのダイヤがポロッと落ちてしまったのだ。慌てて来た道を振り返るけど、風によって既に埋もれており、砂を払ってみるけど見る限りの砂で見つけられそうにない。せっかくのダイヤが無くなってしまった。若者は落胆し、恋人に指輪が渡せないことを嘆くであろう。
しかし、若者は閃いた。新しいダイヤを嵌めればいい、と。幸い、ダイヤの大きさや形は分かっていたので新しいものを注文してその指輪に嵌めることができた。そうして、恋人にダイヤの指輪を渡すことができたのだった。めでたし、めでたし。
砂の中のダイヤはそのままにして、新しいダイヤで複製を作る。《新たなる世界の複製》はそのような力である。
「だが、その恋人が指輪を受け取ったかどうかはここでは語らにゃいにゃ」
黒猫アルストロメリアの語る物語を二人のマリーは聞いていた。
「〈正当なる観測者〉があれば落としたダイヤがどんな形か分からなくても分かるわけね」
「まあ! 猫さんが喋っておられます! 賢い猫さん!」
アルストロメリアは「オレ様は猫じゃにゃいにゃ!」と反論しつつ話を続けた。
「〈正当なる観測者〉はダイヤを砂に埋もれたまま形を把握する能力にゃ。砂、これは無数にある並行世界で、ダイヤがたったひとつの望む世界にゃ。すべての砂とダイヤは把握できるけども、ダイヤを探し出せる訳では無いにゃ。この砂漠のどこかにダイヤはあると分かるだけで、どこにあるのかは分からにゃいにゃ」
「新たなる世界の複製ってのは?」
「代わりに新しいダイヤを作ることと同じにゃ。無数にある並行世界はそのままに新しい世界を創造する力が《新たなる世界の複製》にゃ」
これは世界線を手繰り寄せること、ではない。世界を線で例える。それぞれの世界をα世界、β世界、γ世界とする。
―――――α
―――――β
―――――γ
《新たなる世界の複製》は、世界線を「足す」ことである。《新たなる世界の複製》によって世界は次のようになる。
―――――α
―――――β
―――――γ
―――――α'
α世界に影響を与えずα世界と同じ世界を創ったのが、α'世界である。世界の分岐、シュレディンガーの猫で言うなら「猫が死んだ世界」と「猫が生きた世界」において、世界は分岐して枝分かれし続けるのが並行世界であった。枝分かれした別の世界を折ってつけるのでなく、今ある分岐点にその世界を生やす力とも言える。
「世界の分岐点に新しく枝を生やす力とも言えるにゃ」
「ちょっと待ってください。それは過去の世界を生やせるってことでしょうか? 分岐点に枝生やすことは未来を創造すること。創造したのが私にとって過去であったなら、過去を未来に創造することになります。これはおかしいです」
意義を唱えたのは大きなマリーのほうであった。それを聞いた小さなマリーも同調する。
「それはそうよね。時間は過去から現在、現在から未来に流れるもの。枝分かれに生やしたのが過去であったら、現在から過去になってしまうわ」
重大なるパラドックスである。これを解決しないと先に進まない。しかし、黒猫アルストロメリアは大きなため息をついて、呆れたようにいったのだった。
「どこの世界のアマリリスも勘違いが甚だしいにゃ。これは宿題として持って帰ってもらうにゃ」
アルストロメリアはこのパラドックスに明確な回答を持っているらしい。黒猫アルストロメリアが最初に語ったのは『本当の世界はあるかどうか?』であった。眼鏡によって視覚が疑われたあと、五感すべてを疑うことになった。マリーは小さくされ、『本当の世界』はないことに気づいたのだった。アルストロメリアの存在は「すべてを疑え」と主張してるのだ。ならば、次に疑う対象はすでに分かってるだろう。
「《新たなる世界の複製》」
その黒猫が詠唱すると新たなる世界が創造された。小さなマリーがいた世界と大きなマリーがいた世界だ。ただ、並行世界が新しく創造されてもマリーたちはそれを感じることはできなかった。
「《不当なる観測者の権限》」
次に詠唱されたのは、別の世界に意識を移動させる力だ。アルストロメリアは《新たなる世界の複製》で好きな世界を創造し、《不当なる観測者の権限》ないしは《正当なる観測者の権限》でその世界に跨ぐことで事実上のタイムトラベルを可能としている。
「では、さらばにゃ貴様ら。もう出会うことはないことを祈ってるにゃ」
小さなマリーの視界が光で包まれていく。元の世界ではマリーの大きさも標準サイズで配置されている。これでマリーは元の大きさに戻れる。
ちょうどその時、朝日が昇ってマリーの寝室に日が差し始めていたのだった。長い濃い夜は明けた。
* * * *
* * *
* * * *
マリーが気づくとそこは洋服部屋の鏡の前であった。
「あれ? ここは?」
手元には白いワンピースを持っている。これから着替えて、町で繰り出そうとしてる前であった。
「あ、わたし、元の世界に戻ってきたのか……でも」
鏡の世界に入る前に戻ってきた。マリーが元いた世界である。
「……これって時間を戻ってないかしら?」
時間の進みはどこでも同じだ。そう考える人は少なくない。ここに居ても地球の反対側居ても一秒は一秒である。だったら、別の世界で進んだ一晩の時間もこの世界でも進むはずだと思ったようだ。この当たり前と思う「時間の進み」もまた疑わなければならない。
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