21話 ガーベラ
ガーベラは貴族の出身である。本名はナリアであった。ガーベラという名前は、メイド争いを勝ち抜いて、王宮に仕えるようになってから与えられる名前だ。それは決まって花の名前であり、王女から一輪の花を賜る儀式-【
それが今では髪はボサボサ、不眠不休のために隈ができるわで、美しいといえる状態ではなかった。そして、新たに植え付けられた花の種は王女マリーへの憎悪と開花したのだ。
◇
王宮の一室にガーベラがいた。王宮に仕えるメイドの一人が紅茶をいれている。心身ともにやつれた彼女を労わろうとしたのだ。椅子に座るガーベラの前に紅茶が置かれるが、ガーベラはそれを飲もうとしなかった。
「ここはどこですか?」
吐き出されるのは疑問だけであった。
「ここは王宮よ」
そう返答しながら紅茶を飲むメイドである。
「何故、私がこんなところにいるのですか?」
「何故ってあなた王宮のメイドだったでしょ」
と意味の無い問答を繰り返していると誰かが扉を鳴らした。
「入っていいかしら?」
その声はマリーのものであった。メイドは畏まった素振りで扉を開ける。ガーベラの視界に映ったのは憎きマリーの姿であった。
「王女……!」
マリーの横から傍付きのメイドが現れる。マーガレットという女性だ。その女らしさの体には幼少期から教えこまれた武術と剣技が染み付いている。マーガレットがいるとマリーを襲えないと察したガーベラは大人しくなった。
「他のメイドは置いてきたわ。みんなで来ても騒がしいだけでしょ?」
二人が部屋に入ると入れ替わりに最初にメイドは出ていった。王女マリーの許しがない限りそこに居座るのは無礼だからだ。
「さあ、手っ取り早くすませましょう」
マリーはガーベラの前に立つと手をかざす。そして詠唱を始めた。
「《完全な世界の顕現》」
淡く小さな光の粒がマリーの中で発せられる。それは床に落ちると床は水面のように揺らぎだす。そしてその波紋がだんだんとだんだんと広がってゆき、世界が現実が波打ってゆくのだ。そして光が粉のようにサラサラと消えていくと新たな世界が顕現された。それは紛れもない現実であり、本当の世界である。
《完全な世界の顕現》、それは歪められた世界を元の世界に戻す力。ガーベラにかけられた洗脳が《想いの力》によるものであれば彼女はこれで元に戻るはずだ。
マリーは詠唱を終えると、ガーベラに近づいた。
「ガーベラ、表を上げて、そして私の名前を呼びなさい」
「………王女、殺す!」
この試みは無意味であった。ガーベラはマリーを恨みつづけていたのである。それはまるで親の仇かたきを見るような目であった。
暴れようとするガーベラをマーガレットが抑えにはいる。ギリギリという強く握る音が聞こえた。ガーベラの腕はぷらんと垂れ下がってもなおもマリーを仕留めようと足掻いているのだ。
「どういうこと?想いの力の洗脳じゃなかったの?」
マリーは後ずさりながらこの現状を信じたくないようだ。
「マリー様!いかが致しましょう!」
「いえ、もう一回詠唱するわ。マーガレットはそのまま抑えてて」
「わかりました!」
マリーはもう一度詠唱する。
「《完全な世界の顕現》」
淡くそして小さな光がマリーの中から発せられると、水面に落ちた水滴が作る波紋のように、だんだんとだんだんと広がってゆく、そして現実が波打つ。それは数回波打った後に新たな現実となった。
「どう、かしら?」
マリーのその眼下には血に飢えた猛獣のごとくガーベラが睨みつけていた。
「……そんな」
――では、想いの力でなく。原始的な方法で洗脳したってこと?彼女に憎悪が芽生えるまで拷問でもなんでもやったってこと?
「ふざけんな!悪逆非道の女王め!私の家族を返せ!」
――は?彼女は何を言っているの。
混乱したマリーはふとガーベラに初歩的な質問をする。
「あなた名前は?」
「…………………」
口を割ろうとしない。マリーは彼女の顎を掴み、もう一度問いただす。
「あなた名前は?」
彼女ガーベラであるならばガーベラと言うはすだ。【冠花の儀】で賜った花の名を口にするはずだ。
「…………ナリア・アルスバーンだ」
ガーベラと思われた少女の口からは別の名前が発せられた。
――アルスバーン?アルスバーンですって?
「か、カルネラ・アルスバーンという名に心当たりはあるかしら?」
興味本位であった。アルスバーンという姓は幾らでもある。それでもやはり気になったのだ。
「それは私の兄様の名だ」
気味が悪いわ。まるで見えない何かと戦っているような感覚。カルネラ・アルスバーンって誰?どうしてガーベラはガーベラと名乗らなくて、ナリア・アルスバーンと名乗るの……?
彼女を元メイドとして扱うのがいいのかしら?最初からいなかった人物として扱うのが、でも私に対するその憎悪は何?私が何をしたっていうの?
「マリー様!」
気づけば地面に倒れていた。立ちくらみでもしただろうか。私はどうしたらいいのか分からず、とりあえずもう一度詠唱してみることにした。
「《完全な》――」
「そのくらいにしておきましょう」
それは喋るカエル-ハルヴェイユの声であった。今となっては翼の生えた喋るカエルというべきか。その翼を羽ばたかせることもなく浮遊して移動するそのカエルに止められたのだ。
詠唱のしすぎせいか、私は気を失った。
***
マリーは夢を見ていた。それはとても長い夢である。
――これは夢?何やら甲冑を纏った兵士がたくさんいるのだけど。
「……マリ…アマリリス様!」
「え?」
マリーが気がつくとそこは王宮の玉座の間であった。メイドたちの姿が見えない、周りに見えるのは騎士たちであった。
「これより第一次進軍を開始します」
――進軍って?マーガレットたちはどこ?、そんな事もすぐに忘れてしまい。思い出したかのように振る舞う。
「では、侵攻開始」
私でない私がいた。これは現実なのか、それとも夢?、でも現実だと実感するにつれて学院での記憶が消えていって、この世界での記憶が思い出される。
――そうか、私は戦争を始めたんだ。
それはアマリリスが絶望し完全な世界を諦めた後の話。彼女は《想いの力》を捨て、原始的な方法、つまり戦争で、世界を統一しようとしたのだ。永久なる平和のために。
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