第29話:ラシド・シディック

「ラシド、本当にあのラシドなのか?」


 ゼファーが信じられないものでも見るようにアディルを見ている。


「皇子はご立派になられましたな。もはやすっかり王の顔ですわい」


「お主は変わらないな!なにか不老の霊薬でも飲んでいるのではないのか!?」


 二人は手を取りながら愉快そうに笑い合っている。


 なんだ?二人は知り合いなのか?


 ヘルマの方を見ても不思議そうな顔で頭を振っている。


 ということはヘルマとゼファーが知り合う前の関係ということか。



「ああ、すまなかった、紹介がまだだったな」


 そこでゼファーがこちらを振り返った。



「この者は本名をラシド・シディックと言ってな、かつて余の教師をしていたのだ」


 マジかよ!


 こんなボケかけの老人がゼファーの教師?



「…ラシド・シディック…どこかで聞いたことがあるような」


 その名前を聞いて首を捻っていたリンネ姫はやがて思い出したように目を丸くした。



「…まさか!シディックの奇跡の…?」


「そのように呼ばれていたこともありましたな。もう遠い昔の話ですわい」


 驚愕するリンネ姫にアディルはやれやれというように手を振った。


「知っているのか?」


「知っているどころではない!」


 リンネ姫は興奮冷めやらぬというようにまくし立てた。


「七十年前、ベルトラン帝国を農業大国にした立役者がこのラシド・シディックなのだ!数年で農業生産量を倍にした手腕はシディックの奇跡として我が国の教本にも載っているほどだぞ!」


「いやはや、そんなに持ち上げられると恥ずかしいのう」


 そう言いながらもアディルはまんざらでもないようだ。



「しかし…なんでそれほどの人がウルカンシアの荒れ地で世捨て人みたいな真似を?」


「ラシドは先々王からの重臣だったからな」


 ゼファーが答えた。



「その影響力を快く思わぬ者がいたのだ。政界を退いてからは余の教師をしていたのだが、それすらも追われてしまってな」


「なに、煩わしい人間関係に飽きただけですわい。年も年だし自分の好きなことがしたくなったのですよ」


 珍しく悔しそうな顔をするゼファーに対してアディルは全く気負いがないように笑っている。



 というか七十年前に業績を残したってことはこの人は今何歳なんだ?



「余が王になってからその行方を探させていたのだが…まさか名前まで変えていたとはな…」


 ゼファーは呆れたように軽くため息をつくと真面目な顔つきに戻った。



「今日お主が来たのはローカスの件についてなのだな?」


「やはり知っておられましたか」


 アディルが重々しく頷いた。


 そこには先ほどまでの好々爺然とした姿は全くなかった。



「これは国家の土台を揺るがす事態となりかねませぬ。早急な対策が必要ですぞ」


「わかった、すぐに執政官を招集するのだ。元老院にも連絡をしろ。非常事態宣言をだす可能性を考慮して軍との連携を行えるようにしておけ」


 ゼファーは側に控えていた従者に矢継ぎ早に指令を出すとこちらに振り返った。


「すまないがこれで本当に失礼する。お主たちフィルド王国に再び協力を要請することがあるやもしれぬ。その時にまた改めて連絡することにしよう」




 それだけ言うと部屋を出るために踵を返した。


 その眼は既にベルトラン帝国に向かれている。



「待った」


 俺はそれを呼び止めた。


「だったらそれに俺も参加させてくれないか?」



「なに…?」


 俺の言葉にゼファーがこちらを見た。


 それは友人に対してではなく相手が獲物になるのか敵になるのかを見極めようとしている王の眼だった。


「今回の件は俺にも気になる点がある。それにいずれフィルド王国と協力する可能性があるなら最初から参加していた方が都合が良いんじゃないか?」


「陛下、それは流石に…」


 ヘルマの言葉をゼファーは手で制した。


「本気で言っているのか?」


「この場で冗談を言う気はないよ」




「よかろう」


 しばらくの沈黙ののちにゼファーが口を開いた。


「元よりテツヤには月桂樹の位を与えているのだ。参加する資格はある。案内してやれ」


 そう言って今度こそ本当に部屋を去っていった。



「テツヤ!」


「すまない、でもどうしても気になるんだ。みんなは先に帰っていてくれないか?」


 俺は心配そうな顔ですがりつくリンネ姫に笑顔を返した。



「これはフィルド王国にとっても看過できない問題、そうなんだろ?」


 俺の言葉にリンネ姫が小さく頷く。


「蝗害は今までの虫害とは規模が違う。私もこの事をすぐに報告しなくてはならない」


「だったら尚更だ。俺はこっちで情報を収集する、リンネ姫は向こうで対策を取ってくれ。その方がフィルド王国にとっても良いはずだ」


「…わかった。お主に任せよう」


 リンネ姫が力強く頷いた。


 その眼にもう迷いはない。


 そしてその唇が軽く俺の口元に触れた。


「だが気を付けてくれ。お主の言う通りこれは予断を許さぬ事態だ。何が起こるのか私にもわからぬ」


「ああ、わかってる」



 俺はリンネ姫にウィンクをした。


「きっと解決してみせるさ」

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