メリーさんとアンジェリカ
「あー、疲れた」
マンションのドアを開けるとそんな言葉がため息と一緒に溢れた。ここしばらく、残業が続いていたせいで、前ほどじゃないが家に着くのは遅くなっていた。なので今日もいつものからあげ弁当だ。そして今日もメリーさんは懸命に働いていた。ただ俺が来るたびにキッと睨みつけてくるのだけはやめてほしい。
そして今日は週末だ。となるといつものようにメリーさんがやってくる日でもある。メリーさんも疲れてるだろうから今日はジャスミンティーでも用意してやるか。俺は届いたばかりのティーセットとジャスミンティーの茶葉を箱から取り出すと、スマホ片手に紅茶の美味しい入れ方を見ていた。
そんな中、ピンポーンとインターホンが鳴った。
ん、メリーさんが来るにはまだ時間があるはずだ。スマホに表示されている時刻は午後九時を過ぎたばかり。宅配便も注文したものはないから多分違う。とりあえず出てみるかと部屋のドアを開ける。すると隙間から見えたのは、見たことのない少女だった。
メリー……さん?
そう思ってしまうのも無理はない。隙間から見えたその姿は俺の知ってる都市伝説とは違っていたが、彼女にどことなく似ていた。いつも着ているゴスロリファッションに身を包んでいるのもそうだが、雰囲気というのだろうか、どことなく普通の人間とは違う存在感がその少女から感じられた。漆黒の闇のように真っ黒な長い髪と、それに合わせたような黒いドレス。フリルの部分は紅で染められ、さながら夏の夜に咲き誇る彼岸花のように見えた。
「ご機嫌よう」
少女の小さな口から、鈴を転がしたような響きの声が漏れる。俺も思わず「ご、ご機嫌よう」と、戸惑いながらも返す。
……。
…………。
………………。
「えーっと、何か用?」
「貴方、メリーさんって知ってるかしら」
……思わずやっぱりかと嘆息した。
大体こんな時間にこんな格好でやってくる奴なんて大方、あの厄介な都市伝説絡みだろうと思ってたけど、案の定だった。
俺が何も言わないでいると、それを肯定と捉えたのか、「知ってるみたいね」少女はそっとドアノブに手をかけた。
「だったら話は早いわ。ここを開けてくださるかしら?」
「断ると言ったら?」
「その時はどうしようかしら」
少女は無表情のまま笑った。変な表現かもしれないが、俺にはそう見えた。氷のように無機質でありながら、それでいてねっとりと絡みつくようなそんな笑み。顔で笑っているんじゃない。彼女の中で笑っていた。
少女の指がそっとドアの隙間に滑り込んでくる。その様子が白い蛇が獲物ににじり寄るようで、でも俺はドアを閉めることが出来なかった。さながら蛇に睨まれた蛙といったところだ。
指がドアチェーンにかかる。艶かしく蠱惑的で思わず見惚れてしまうほどだった。
逃げられない。そう思った時だった。
「ちょっとー! 何やってんですかー!」
なんか聞き覚えのある声がした。いや、来たと言い変えてもいい。
ズンズンと聞こえてきそうな動きでいつものメリーさんがドアの隙間から姿を現した。
「大丈夫でしたか!? なにかされませんでしたか!?」
よっぽど急いで来たのか、珍しく息を切らしていた。ついでにいつものゴスロリではなく、はらぺこ弁当で働いてる時の格好そのままだった。
「あ、ああ、大丈夫。それよりお前こそ大丈夫か? なんか相当急いできたみたいだけど」
「ええ、わたしは大丈夫です。それよりも、なんだか嫌な気配がしたので慌てて来てみれば──」
キッと横にいるもう一人のメリーさんを睨み付ける。
「アンジェ、貴女はここで何やってんですか。ここは貴女のエリアじゃないはずですよね」
もう一人のメリーさん、アンジェと呼ばれた少女はメリーさんに詰め寄られてもどこ吹く風といった様子だった。
「あら、メリーさんご機嫌よう。今日も素晴らしい夜ね」
「ご機嫌ようアンジェ。って、そんなことはどうでもいいんですよ。まずはわたしの質問に答えてください」
メリーさんが珍しく怒っていた。もちろん俺の前でもプンスカしてることは度々あったが、それとは違う、本当に怒ってる様子だった。
「な、なあメリーさん」
「なんですか!?」
なんかついでに怒られた。俺ちょっと涙目。
「あのさ、とりあえずお茶でもどうだ?」
用意していたジャスミンティーを振舞うことで一旦落ち着くことが出来た。
「──というわけよ」
「というわけって何にも説明されてないんですが!?」
「あら、こういった場合はかくかくしかじかで通じるものではなくて?」
「なにちょっとメタい発言してしてんですか。言いからさっさと話しやがれですよ」
よっぽど腹に据えかねてるのか、ちょいちょいメリーさんの言葉遣いが悪くなってる気がする。それでも極力敬語を使おうとしてるのはさすがメリーさんといったところか。
「まぁ俺もなんでアンタがここに来たのか聞かせてもらいたい」
「そうね。理由を話さないのはフェアではないわ。初めまして。私の名はアンジェリカ。ここにいるメリーさんと同じく私も同じメリーさんなの」
アンジェリカと名乗ったメリーさんは優雅にスカートの裾を持ち上げて軽くお辞儀をする。つくづく同じメリーさんでも違うもんだ。
「何かおっしゃいましたか?」
「い、いえ、なんでも」
最近のメリーさんは読心術でも身につけてるのか、俺の考えてることを読んでくる。これじゃ下手なことも考えられない。
「それでアンタがここに来た理由は?」
「いつもは隣町で活動しているのだけど、最近メリーさんが一人の人間に随分ご執心なようだから、どんな方なのか気になって伺ったというわけ」
「ちょっとアンジェ!」
メリーさんがアンジェリカに飛びかかる。よっぽど聞かれたくないことだったのか口元を押さえようと躍起になっていた。しかし呆気なくかわされ、顔面から地面にダイブしていた。
「ん? 隣町のメリーさん?」
「あら、貴方はご存知ではなかったのね。私たちメリーさんにはそれぞれのテリトリーがあるの。わかりやすく言えば縄張りかしら」
アンジェリカが優雅に紅茶を片手に教えてくれた。
「じゃあここのテリトリーのメリーさんってのは」
「そう。ここにいるメリーさんね」
このテリトリーの主であるらしいメリーさんは「おぉう……」と、とてもメリーさんらしからぬ声を上げながらうずくまっていた。ダメージは……結構あったみたいだ。あとで絆創膏でも貼ってやろう。
「てことは、メリーさんは一人じゃないってこと?」
俺が気づいたように言うと、アンジェリカは「そうね」と頷いた。
「ちなみに今日ここに来たのは貴方がどんな人なのかという興味もあったのだけど、それとは別に感謝したいと思って来たの」
「感謝?」
はて、今日初めて会ったメリーさんに感謝されるようなことなんてあったか? 別のメリーさんに迷惑かけられることは散々あったが。
「貴方、ちょっと前まで隣町の会社で働いていたでしょう?」
「あー、そういやそうだった。ちょうど一月くらい前か。そんなことよく知ってるな」
思い出したくないことだったこともあるが、新しい環境に慣れるのに精一杯ですっかり忘れていた。あんなに辛くて毎日が苦しかったはずなのに、案外簡単に忘れるもんだ。
「それで?」
「貴方のおかげでなかなかいい仕事にありつけたから感謝しないとと思って。といっても、その話を持ってきたのはそこのメリーさんだけど」
と、チラッと見る。まだ起き上がる様子がないところを見ると、立ち上がるまでもう少し時間がかかるようだった。あとで冷えピタも用意しておこう。
俺が不思議に思ってると「貴方を救ってくれたのはある意味この子なのよ」と意味ありげな一言。ますますわからない。
「貴方が働いていた会社の社長を襲ったのは私なのよ」
「あーそういうことか。メリーさんが来たっていうからてっきりそっちの方かと思ってた」
そっちの方というのはメリーさん(エプロン着用)の方だ。でもアンジェリカが言うには社長を襲ったのは彼女だが、俺を救ったのはメリーさんだという。どういうことだ?
頭をひねってみるも、答えは出ない。そんな俺を見かねたのか、アンジェリカが諭すように話す。
「貴方この子に優しくしてあげたでしょ」
「優しくしたっけ……?」
正反対のことはたくさんあるが、優しくしたかと言われると、いくら思い出そうとしても出てこない。
「この子は貴方からもらった名刺片手に真夜中に私のところに現れて、『ここの社長を懲らしめてください!』って飛び込んで来たのよ」
「飛び込んで? それも真夜中に?」
「それだけ急いでいたってことよ。理由はどうあれ私にとっては久々の上客だったからタップリとご奉仕させてもらったわ」
さっきまで無機質だった顔を紅潮させ、じゅるりと舌舐めずりをする。恍惚とした姿に
「ま、まぁアンタのおかげで俺はこうしていられるってことか。礼を言うならこちらの方だ。ありがとう」
アンジェリカに頭を下げる。するとまるで意外だと言いたげに目を丸くしていた。
「なんだ?」
「ふふ、いいえ、なんでもないわ。さて、今日はこれで失礼するわ」
「もう帰るのか?」
「あら、帰ってほしそうにしてた割には引き留めるのね」
「じゃあやめとく」
「あら、つれないお言葉。ふふ、でも今日はこの辺りにしておくわ。また今度じっくりとお話しましょう。それではご機嫌よう」
そう言い残すとアンジェリカはまた優雅な足取りでマンションのエレベーターの中へと姿を消した。
なんか変わった奴だったな。
「そーですよ。あの子は変わりもんなんです。だから金輪際関わっちゃダメなんです!」
「お、復活した」
「いいですか!? 貴方を襲うメリーさんはこの世に一人で十分なんです! それがなんですか、新しい女が来たと思ったらデレデレしやがって、男は新しい女が出来たら前の女は用済みですか!? だから男ってやつはぁ!」
「いいからお前も帰れや」
そう言って用意してた絆創膏と冷えピタを投げつけてやるのだった。
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