ウチに来るメリーさんが帰ってくれません

ウタノヤロク

メリーさんとファーストコンタクト

 その日俺は記念すべき十九連勤という快挙を達成した。


 大学を卒業して二年。就職氷河期の真っ只中、俺が内定をもらえたのはたったの二社。その二つのうちより良い方だと思って入社した会社がとんでもないブラック企業だった。朝八時から夜の十時ごろまで馬車馬のように働かされ、家に着くのは早くても十一時を過ぎる。あれやこれやしてるうちに日が変わり、寝て起きたらまた同じことの繰り返し。そんな素晴らしい毎日を送っていた。そしてそんな色あせた毎日をなんの文句も言わず働くそんな俺自身を褒めてやりたかった。


 まぁそれはいい。俺の今の現状を嘆いたところでこの生活が変わるわけじゃない。それよりも現在の時刻午前二時。普段なら眠りについていないといけない時刻。なのに、俺は起きている。休みの日なら夜更かしもする事がある。が、残念ながら明日もお仕事。前人未到、記録更新の二十連勤目だ。


 じゃあ俺が起きいる理由それは──、


「お願いです! お願いですからここを開けてください!」


 ドンドンと深夜なのにドアを大きく叩く音が俺の住むワンルームマンションに響く。少女の声だ。なにも事情を知らない人から見たらカップルのケンカに見えるかもしれないが、生憎と彼女なんていない。


「だからさっきから言ってるだろ。俺は明日も仕事だって!」

「それは先ほど聞きました!  けど、ここを開けていただかないとわたしも帰れないんです!」


 切羽詰まった少女の懇願する声が鉄の扉一枚隔てて聞こえていた。けど、俺は扉を開けない。


 だってさ……、


「いや、だってここ開けたら俺死ぬんでしょ?」

「あー、死ぬかどうかはわかりませんがなにかします。一応、それが仕事なので」

「だったら開けない」

「あー!  や、やっぱりなにもしません!  なにもしませんから!」

「今さっきなにかするって言っただろ。あれは嘘か?」

「う、嘘ではないですけど……」

「けど?」

「な、なんでもいいのでここを開けてください!  先っぽ!  先っぽだけでもいいので!」

「先っぽってなんだよ!?」


 とまあ、こんな調子ですったもんだがかれこれ二時間ほど。いい加減寝かせてほしい……。


「というか、アンタはいったいなんなんだ?」

「先ほども説明した通り、わたしは生ける都市伝説メリーさんです!」

「メリーさんねぇ……」


 扉一枚隔てた向こう側にいる少女は自分のことをメリーさんだと名乗っていた。


 メリーさん。この言葉を誰しも一度は聞いたことがあるだろう。真夜中突如電話がかかってきて、出ると『もしもし、わたしメリーさん。今あなたの家の近くにいるの』というそれが何回か繰り返され、だんだん近づいてくる。そして最後に『わたしメリーさん。今……あなたの後ろにいるの……』という感じで終わる有名な都市伝説だ。けど、所詮都市伝説。実際にあるわけないと思っていたが……実在したらしい。


 元々人形だったメリーさんには色んな姿があるらしいが、ドアの向こう側にいるメリーさんは赤を基調としたフリルがたくさんついた服(ゴスロリとかいうやつか)を身にまとい、髪は金髪、瞳は碧眼となんかどこかで見たことのあるような風貌をしていた。


 そんなメリーさんが家に来たのは日付が変わる頃。始まりは一本の電話からだった。


 遅い晩飯を終え、風呂に入り、今日という余韻に浸る間も無く一日を終えようとしていたら、プルルルル、とスマホが鳴った。なんだこんな時間にと思っていたら、スマホの画面には非通知着信。こんな時間に迷惑だと思いつつ、放置していたが、電話が鳴り止む気配はない。


 面倒なことになるかもしれない。そんな気配を感じつつ、通話をタップした。


「……もしもし?」

「わたしメリーさん。今あなたの家の近くにいるの」

「は?」


 プツッ、ツー、ツー、ツー。


 電話はすぐに切れた。メリーさんって言ったか今? まさかな。そう思ってるとすぐに電話が鳴った。


「もしもし?」

「わたしメリーさん。今あなたの家の下にいるの」


 プツッ、ツー、ツー、ツー。


 家の下って言ったな。俺の家は五階建てのマンションで俺はそのうちの五階の部屋に住んでいる。てことは、一階上がるごとに電話がかかってくるのか……。


 いっそのことスマホの電源を落としてしまえばいいのだけど、そうすると朝起きられなくなる。いつもアラーム機能で起きてる身としては消すわけにはいかない。


 そうこうしていると、


 プルルルル、


「わたしメリーさん。今マンションの二階にいるの」


 プツッ、ツー、ツー、ツー。


 プルルルル、


「……わたしメリーさん。今マンションの三階にいるの」


 プツッ、ツー、ツー、ツー。


 プルルルル、


「……わたし…… ハァハァ、メリー……さん。今……マ、マンションの……ハァ、よ、四階にいるの……」


 プツッ、ツー、ツー、ツー。


 プルルルル、


「……ハァハァ、わた……し……メ……さん……今……やっと……五階……ハァ……ハァ……」


 プツッ、ツー、ツー、ツー。


 プルルルル、


「わ……ハァ……メリー……ハァ、今……部やぁの……まぅ……え……に……ハァハァ……いる……いるの……」


 そんな感じで、部屋の前に来る頃には息は絶え絶えで、声だけ聞いてるとただの変質者だった。


「んで、メリーさんだっけ?  あんたいつまでそこにいるの」

「あなたがここを開けてくれるまでです」

「じゃあ俺がここを開けなかったら?」

「きっと泣きます! わたしが!  泣いちゃいますよ!  それも大声で!  それでもいいんですか!?」


 決意たっぷりにきっぱりと言われた。正直泣きたいのはこちらの方だ。


「あー、メリーさん。アンタの事情はわかったけど、俺の方にも事情ってのがあるわけ。それはわかる?」

「わかりません!」

「わかれよ!」

「ひぃっ!」


 ……人を驚かせる存在が驚かされてどうすんだよ。


「あー……大きな声出して悪かったよ」

「い、いえ……」


 どうやら本気で怖がらせてしまったらしい。ちょっと反省。


「メリーさんさ、ちょっとだけ話しないか?」

「な、なんでしょうか……つ、壺とか印鑑なら買いませんよ!」

「それはこっちのセリフだ!」


 いかんいかん。どうにもこのメリーさん(自称)と話してると調子が狂う。


「俺さ、恥ずかしい話、働いてる会社っていわゆるブラック企業ってやつでさ、俺今日まで十九連勤してて、朝起きたら記録更新の二十連勤になるんだよ。朝の八時から夜の十時までずっと仕事。休憩なんてないから、仕事しながら飯食わなきゃいけないし、上司は怒鳴ってばっかで給料も安い。このままじゃ体がおかしくなるってわかってるし、さっさと辞めればいいって思う。けどさ、頑張って入った会社だからもう少し頑張らなきゃって思うと辞められないんだよ。それに親が無理して大学に行かせてくれたってのも知ってるし、地元に帰ったら間違いなく心配する。これ以上迷惑かけたくないんだ」


 気づけば見知らぬ誰かさんに今置かれてる境遇を話していた。ずっと心の中に抱えていたモヤモヤしたものを吐き出したかったんだろう。それがたまたま目の前にいたメリーさんだったのか、それともメリーさんだったから話したのか。


「そんなわけだからさ、悪いけど今日のところは──」

「あ、すいません。LINEきてたので聞いてませんでした」

「聞けよ!  あと人が話してるときにスマホ見てんじゃねーよ!」

「ひぐぅ!」


 そんなわけでもう一度最初から話した。つーか、メリーさんのLINE友達ってどんな奴だよ……。


「えっぐ……ひぐ……」

「……なにも泣くことはないだろ」

「だ……だって……そんなのひどいじゃないですか……社員は使い捨ての駒じゃないんですよ!」

「そうなんだけどさ、今の世の中じゃそれが当たり前みたいな風潮だから仕方ないんだよ」

「仕方ないってそんなすぐに諦めてどうするんですか!?  あなたがそんな気持ちだからダメなんじゃないんですか!?」


 なぜか怒られた。


「日本人は忍耐こそ美徳と思っている節がありますが、そんなのはただの詭弁です! 正直者が馬鹿を見る、そんな言葉もあるじゃないですか」

「でもさ、こんなご時世。すぐに就職出来るかわからないし」

「だったら見つかるまで探せばいいじゃないですか!  そりゃ今は希望する仕事なんて見つかりにくいですが、その前に体が壊れちゃ仕事どころじゃないんですよ!」


 メリーさんの言う通りだ。このままじゃダメだ。それでも一歩踏み出す勇気が出ない。もし就職出来なかったら、いつもそう思う。なのに、彼女の言葉は俺の心を大きく揺さぶる。


「それにですね、あなたが頑張っても、それはあなたが評価されているわけじゃなく、いいように使われているだけです。それでいいんですか」

「……よくはないけど」


 そんなこととっくに昔に気づいてた。でも俺が抜けたら、俺がいなくなったらと思うと、この会社を辞めてやろうという気になれなかった。


「人間、人生は一度しかないんです。時には諦めることも大事なんです。でも、ここぞという時は諦めることを諦めないといけないんです!」


 メリーさんの強い言葉が俺の中にあった分厚い壁をぶち壊す。


「……見つかるかな」

「大丈夫ですよ!  このメリーさんが保証します。どーんとぶつかっていけばいいんですよ」

「はは……なんかメリーさんに励まされるとは思わなかった。けど、お陰で元気出た。ありがとう」

「どういたしまして」


 この自称メリーさんと話していると不思議と元気が出る。なんだかここまでくるといっそのことドアを開けてみてもいいんじゃないかと思ってしまう。


「あのさメリーさん」

「なんでしょうか」

「俺、今からドアを開けようと思う」

「ほ、ほほほ、本当ですか!?」

「うん。メリーさんには話聞いてもらってその上励ましてもらったからさ、こっちもメリーさんのお願いくらい聞かなきゃと思って」


 鼻をかきながら言う。こんなこと言うなんて照れ臭いことこの上ないけど、俺とメリーさんの間には妙な連帯感が生まれていた。


 このドアを開けたらメリーさんになにかされるかもしれない。仮にそうだとしてもメリーさんならいいか。


 ゆっくりとドアの鍵を開ける。すると──、


 ガンッ!


 ドアが開いた大きな音を立てた。音の正体はチェーンロック。防犯のためにいつもかけていた。鍵を開けたけど、チェーンを外すのは忘れてた。ちなみに鍵を開けてからドアが開くまでその間わずか一秒。つまり、鍵を開けた瞬間ドアが開かれたということだ。


「……」

「……」


 俺たちの間に妙な沈黙が流れた。


「な、なんでチェーンがかかってるんですか!? あの流れなら扉を開けてこんにちわじゃないんですか!?」

「いや、都会って物騒だからチェーンぐらい必要でしょ」

「なにか弱い乙女みたいなこと言ってんですか! ぐぬぬ……このチェーンさえなければ……」


 ちっ、とメリーさんが舌打ちしていた。どうでもいいが都市伝説にもなるような存在が舌打ちとかやめてほしい。


「とにかくこのチェーンを外してください!」

「防犯の為にかけてるんだからそれ外したら意味ないだろ」

「でも先ほどわたしたちは分かり合えたはず。そう、わたしたちはすでに友人同士!」

「いや、会ってまだ間もないし」

「ですよねー」


 きっぱり告げるとことさらショボーンとしていた。ちょっとだけ可哀想に見えた。


「ほら、約束通りドア開けたし、今日のところはこれで」

「……わかりました。今日のところはこれで……と見せかけて隙あり!」


 メリーさんがドアを閉めようとして緩んだチェーンを外そうと手を伸ばした。俺は思わず反射的にドアを閉めた。メリーさんの手は見事に挟まれた。


「痛い痛い!  おてて千切れちゃう!」

「あ、ゴメン」


 そっと力を抜くとスルリと手も抜けた。


「な、なにしてくれてるんですかー!  あのままじゃわたしの右手が分断されてミギーになっちゃうところでしたよ!」

「うん、なに言ってるかよくわからないけどそれも含めてゴメン」


 素直に謝る俺、超いい子。


「とりあえず見せて」


 ドアの隙間からそっとメリーさんの手を取る。妙に白い肌のせいで挟まれたところが赤くなっていた。


「そこで待ってて」


 奥に引っ込むと冷凍庫から保冷剤と濡らしたタオルを持ってきた。


「とりあえずこれで冷やして。しばらくしたら腫れも引くと思うけど、一応医者に診てもらって。あと治療費出すから診てもらったら連絡して」

「あ、え、いや、そんなわけには……」

「元はといえば俺のせいでこんな目に遭ったんだからせめてもの償い」


 有無を言わせる前に自分の名前と連絡先が印刷された名刺を渡す。さすがのメリーさんもとっさのことで受け取ってくれた。


「それじゃあまた。あ、ちゃんと冷やして朝になったら医者に行くんだぞ」

「は、はい……それじゃ失礼します」

「うん、おやすみなさい」


 そう言うとメリーさんは去っていった。途端、訪れた静寂。その中でふと思った。


「……そういや連絡先渡す必要なかったな」


 向こうからかけてきたんだから当然といえば当然だった。それよりも、ポケット入れたままにしていたスマホを見る。時刻は無情にも午前四時を過ぎていた。


 ……まいったな。ここで寝たら遅刻は確実、それどころか下手すりゃ無断欠勤だ。しかしそれでも、どことなくそれでもいいかと思っていた。



『だったら見つかるまで探せばいいじゃないですか! 体が壊れたらそれまでなんですよ!』



 メリーさんの言葉だ。それもそうだ。今がダメでも次がある。その次がダメならまたその次を探せばいい。


 また……来るかな? きっと来るんだろうな。そんなことを考えながらそっと部屋の鍵をかけた。


 あれから一ヶ月、俺は勤めていた会社を辞めた。正確には辞めざるおえなかった。


 メリーさんとの一件から俺の中で気持ちが変わった。メリーさんに言われたとおり、仕事なんてまた探せばいい。見つからなかったら見つかるまで探すだけだ、そう思い退職届を手に出社すると……なぜか会社が倒産していた。


 会社にいた同僚によると、社長が夜逃げしたらしい。社員を駒のように扱っていたあの社長が?  と思って聞いていたら、その日の夜メリーさんから電話がかかってきてそれでノイローゼになってしまったそうだ。メリーさんなんて都市伝説だろ、と同僚は笑っていたが、ついさっきそのメリーさんとやらに会ったばかりの俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。


 晴れて無職となった身だったが、その後は案外すんなりと事が進んだ。会社が倒産した結果、会社の体制が色々問題だったことが明るみになり、現状が実家に知られることになったり、もともと取引のあった会社からうちに来ないか?  と誘いがあったり、未払いの賃金が支払われたりと様々なことがあった末、ようやく落ち着いた。


 今は新しい会社にも慣れて、前ほどではないけど、それなりに忙しい毎日を過ごしている。


 さて、そんなことをつらつらと話していたら時計の針はもうすぐ日付を変えようとしていた。そろそろ来る頃合いか。


 ピーンポーン。


「わたし、メリーさん。今あなたの部屋の前にいるの」

「何度来ても部屋には入れないぞ」

「だからなんでですかー! いいからここを開けてください!」


 いつものようにメリーさんがやってきてドアチェーンをガチャガチャとしていた。いつものように俺は呆れながらそれをあしらう。


「どうせ入れないんだからもう諦めろよ」

「いいえ、 わたしはメリーさんとして絶対に諦めませんよ!  諦めたらそこで終わりです!」

「相変わらず言うことだけは立派だな。関心するよ」


 笑いながら言うとメリーさんは頰を赤らめていた。


「そ、そんな優しい言葉で諦めさせようったってそうはいきませんよ!」

「ん?  まぁなに言ってるかよくわからないけど、せいぜい頑張れや。あ、コーヒーでも飲むか?」

「わたしカフェオレがいいです。じゃなくて!  ここをあーけーてー!」


 と、こんな感じでメリーさんに付きまとわれるようになってしまったが、これはこれで仕方ないと受け入れている。


「ちょ、なに勝手に締めようとしてるんですか。 まだ終わりじゃありませんよ!」

「ほれカフェオレ淹れたぞ。いつも通り砂糖多めな」

「あ、ありがとうです……って、こんなのでごまかされません! 懐柔しようったってそうは問屋が卸しません!」


 ドアの向こうでメリーさんが喚いていたが、俺は知らぬ存ぜぬ他人のフリ。


「ちょっと聞いてるんですか!?」

「悪い、LINE見てた」

「人の話を聞いてください!」

 

 こんな感じで俺とメリーさんのバトルは続く。


 さーて、今日も長い夜になりそうだ。



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