エゴイスティック・ラブ

桜木エレナ

第1話 神様の思し召しで

はぁはぁ・・・。

苦しい。もう走れない。

でも走らなくては。

私の未来のために。


真希はコンビニのような小さなスーパーを見つけ、そこに入った。


どうか・・・どうか無事に逃げられますように。

神様、助けて!


真希は息を整えながら、ゆっくり歩き始めた。

途中、豆缶を手に取り、それを見るふりをして、近くにある防犯カメラを確認する。

それからジュースのコーナーへ歩いていった。


今このお店にお客は、私と、もう一人だけ。

ここで騒ぎを起こして、警察に連れて行かれたほうがいいのかもしれない。


真希はゴクッとつばを飲み込むと、手に持っていたジュースのボトルを、自分の服に隠そうとした。


・・・ダメ。やっぱりできない。私の意気地なし・・・。


まだ「あいつ」は追ってこないけど、追いつかれるのは時間の問題だ。

喉が渇いた。おなかもすいた。

最後に食べたのは、いつだったっけ・・・いけない。

こんなことを考えると倒れそうになる。

空腹のことは忘れよう。

今は、命があるだけでもありがたいと思わなきゃ。


真希は、もう一人の客が勘定を済ませて店を出るところを見計らって、何も盗まず、ほぼ同時に店を出た。


これからどこに行こうか。

あと数キロ歩いたら、私の地元に着く。

でもあそこへは戻れない。

お父さんとお母さんに、迷惑はかけられない。


真希は再びふらついた。

意識が遠のきそうになった真希は、立ち止まって両手をギュッとにぎりしめ、意識を集中する。


そのとき、数メートル前を歩いていた男性が、真希に近づいてきた。

思わず身構える真希に、「やっぱり。真希ちゃんじゃないか」と、男性は声をかけてきた。


あ・・・この人は・・・。


神谷かみや先生・・・」

「いやあ。さっきからどこかで会ったことがあるよなーと考えながら歩いていたんだよ。私は今日、きみのご両親に会ったんだ。真希ちゃんはお母さんに似ているからね。それで思い出した」と、ニコニコしながら言う神谷に、真希は、気がついたら「先生・・・助けてください・・・」と言っていた。


「いいよ。じゃあ私の車に乗って。ひとまずうちに帰ろう」


いとも簡単に、神谷先生はそう言いきった。

この人なら信じて大丈夫と思わせる何かが、先生にはある。

昔からそうだった。


真希は最後の力をふりしぼって、神谷一かみやはじめについて行った。


「あの・・・先生」

「なんだい?」

「今日、私の両親に会ったって・・・あの、元気でしたか?」

「ああ、元気だったよ。でも二人とも白髪が増えたかなあ。年取った証拠だな。あ、私も人のことは言えないか」と一は言うとアハハと笑ったが、不意に笑うのをやめると、「安心しなさい。ご両親は元気だから」とまじめな顔と力強い声音で、真希に言った。


「はい」


こんなに穏やかな気持ちになったのは2年ぶりだ。

あきらめなくてよかった。

神様、ありがとうございます。


真希はシートにもたれて目をつぶると、質問をした。


「両親はまだ、先生の別荘の管理をしているんですか?」

「ああ。私はが苦手だからねえ。だから暑過ぎる夏の間の執筆は、別荘ここでしてるんだよ」

「そうですか」


神谷一先生は、人気あるオカルト小説家だ。

ストーリーはとてもリアルなのに、笑いと涙が必ずあるので、ドロドロした怖さは全然ない。

それが読者からの支持を得ている。

私が物心ついた頃から、先生は毎年この時期の2・3週間を先生が所有する別荘で過ごしていて、その管理を、私の両親がやっている。

だから私は先生のことを昔から知っているのだ。

先生なら信頼できると思って、つい「助けてください」なんて言ってしまったけど・・・。


いまさらながら、真希は後悔し始めた。

真希は目を開き、運転している一のほうを見た。


「あの、先生」

「なんだい?」

「そのぅ・・・」

「トイレに行きたい?」

「いいえっ!・・・あの。やっぱり、私の事情に先生を巻き込むわけにはいきません」


そうだ。今ならまだ間に合う。

つかの間だけど、安心できた。

でもこれ以上甘えるわけにはいかない。

真希は前をじっと見た。


「真希ちゃん、家事できるよね」と、一から唐突に聞かれた真希は、「え?はい」と、素直に答えた。


「掃除は?」

「人並みに」

「料理は?」

「それも人並みにですが、できます」

「はい、上等。それじゃあ真希ちゃん、うちの家政婦さんとして、今日からうちに住み込んでくださいね」

「え・・・?」


ええっ?!


「いやあ。うちさ、恥ずかしながら、男だらけのむさ苦しい所帯でねぇ。みんな家事ができないことはないんだが、困ったことに進んでやろうとするヤツが誰もいないんだよ」


そうなんだ。

先生のことを昔から知ってるのに、このことは初めて知った。

そういえば先生は、ご家族のことを両親にもほとんど話していないと思うし、世間にもほとんど公表していない。

それだけ私生活のことは、謎のベールに包まれている人だ。


「それじゃあ、今はどなたが・・・」

「近所に亡くなった兄夫婦の子どもたちが住んでてね。その子たちが、ちょくちょくうちに来てくれているんだ。でも最近、その子のうちの一人が手を怪我しちゃってねぇ。大した怪我じゃないとは言ってるが、それでも頼むのはしのびなくて」


考え込む顔をしている真希を、一はチラッと見た。


「だからこれを機に、家政婦さんを雇おうかと考えていたところだったんだよ。ちょうど良かった。ここで真希ちゃんに出会えたのも、神様の思し召しだ」


神様の思し召し。

この言葉を聞いた真希は、「やります。やらせてください」と言っていた。


「はい、よろしくね。後40分ほどでうちに着くけど、眠たければ寝てていいからね。疲れているんだろう?」と言われて、真希は自分の体力、気力ともに、限界以上使い果たしていたことに気がついた。

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