可愛い男の娘に迫られてるらしいんだが、眼鏡がないので見えません!

鶏卵そば

第1話 朝起きたら、隣に女の子がいた

 ある二月の朝。

 カーテン越しの日差しに目を覚ました。

 今年一番の寒さが、布団から抜け出すのをおっくうにさせる。


 とりあえずメガネに手を伸ばした。


 オレは極端に目が悪い。重度の近視と乱視で、眼鏡がないと近くにいる人の顔ですらはっきりしなくなる。


 しかし、オレの右手は、枕もとのメガネ置きの上で空を切った。



「……メガネがないっ!」



 オレの名前は、山田耕太郎。

 横浜にある某大学の二年生だ。

 現在は気ままな一人暮らしをさせてもらっているが、実家は長野にある。神奈川に出てきたのは大学に入学してからで、まだ二年にもならない。


 だがオレは、この一人暮らしの二年弱の間に、人生に対するいくつかの大きな教訓を得ていた。


 例えば「木のまな板は使わない」「新聞の勧誘員に判子を渡さない」「料理を作る時に自分流のアレンジをしない」などなど、それぞれが貴重で苦い体験から生まれている。


 その中でも、オレが特に遵守しているのが、「メガネは決まった場所において寝る」というものだった。


 なにしろ、メガネの場所がわからないと、見えないんだから捜しようがない。貴重な朝の一、二時間を間抜けな宝探しに費やすことが何日か続き、とうとうオレは陶磁器製のどっしりとしたメガネ置きを購入した。

 

「夜寝る前には、どんなに酔っぱらっていても、かならずこのメガネ置きにメガネをおいて寝る」


 このルールを守るようになって、オレの一限の出席率は格段に上昇した。


 ところが今朝は、そのメガネ置きにメガネがなかったのだ。運悪く、スペアのメガネも最近踏み割ってしまったばかりだった。



(やばいなー。昨夜、一体何してたっけ? でもって、寝る前どこにメガネをおいたっけ?)


 起き上がると、頭に響くような痛みが走った。


(な、なんだ? オレは、どうしちゃったんだ?)


「あ、起きた。耕太郎くん、二日酔い?」


 突然、ベッドの反対のほうから声がした。


「もう、ひどいよ。夜中にあたしのこと蹴ったでしょ。こんな寝相が悪いなんて知らなかったよ」


 女の子だった。ロングヘアーの女の子。

 どうやら裸らしいけど、眼鏡のない俺には輪郭がぼんやり見えるだけだった。

 もちろん、顔もはっきり見えない。


「き、君、誰!? なんで裸なの!?」


 おそるおそる聞くと、女の子は大きな声を出した。


「えーっ、耕太郎くんたらひどいぃー! あたしのこと、覚えてないの!」


 甲高い声が頭に響く。

 しかし、覚えがなかった。

 昨日の事は、この子の事を含めて一切合財記憶にない。


「そうか、そうか。そうやって都合の悪いことはみんな忘れちゃうんだ」


 女の子は慣れた様子でベッドに落ちていた服を身に着けると、台所からコップに水をいれて持ってきてくれた。


「飲めば?」

「あ、ありがとう」


 見回してもよく見えないが、どう考えてもここはオレのアパートの部屋だ。

 広さは1DK。寝られるスペースはこのベッド一つしかない。

 そして、女の子と二人きり。

 布団の中を見ると、オレはTシャツにパンツという格好だった。


「あのっ、決して忘れたふりでごまかそうとか、そういうつもりじゃないんだ。ただ、ホントに記憶がなくてさ。もし、その、昨日オレが君に何かしたのなら、ちゃんと責任とるつもりだけど……その、何かしたのか?」


 コップの水を一気に飲み干した。


「何かしたって、何を?」


 女の子が顔を近づけてくる。かすかに汗のにおいがする。

 まともに顔を見れなかった。


「だから、その、あの、なんだ……」


「エッチ?」


「したのかっ! しちゃったのかっ!」


 オレは布団から飛び出した。自慢じゃないが、オレはまだ童貞……だったはずだ。記念すべきはじめてを、見ず知らずの女の子と、しかもまったく覚えていないなんて……


「うーんと、それよりもまず、耕太郎くん、その元気な息子さんをどうにかしてくれないかな」

「えっ」

「なんか、ちょっと暴れん坊すぎるかなぁ」


 女の子がオレの股間を指差す。その部分は、かなり不自然に盛り上がっていた。


「いや、ちがう! これは、朝だから。健康な男子の生理現象だから。別に今いやらしこと考えてるわけじゃないから」


 あわてて布団で股間を隠す。


「へぇー、朝だったらちゃんと勃つんだ。昨日は、全然勃たなかったのにねぇ」


 えっ、何? それ、どういうこと。


「でも、耕太郎くん、すっかり立派になっちゃったんだね。小さい頃、よく一緒にお風呂はいったじゃない。そのときは、こーんなに小さかったのにね」

「一体何の話を……って、君、もしかして?」

「あ、ヒントあげちゃったかな。だって、いつ気がつくかなーって思って待ってたんだけど、耕太郎くん全然気づかないんだもん」


 そういえば、この声や、この喋り方にはなんとなく聞き覚えがあった。

 それに、オレには幼馴染と呼べる女の子は一人しかいない。


 篠崎かすみ。


 家が近所で、母親同士仲が良く、家族ぐるみで付き合いがあった。

 幼稚園から小学校、中学校まで同じで、高校は別になったけど、篠崎さんの二コ下の弟がオレの高校の後輩になったおかげで、ときどき顔を合わせて一緒に遊ぶこともあった。


 活発で、色黒で、でも手足がすらりと細長くて、瞳が落っこちそうなくらい大きかった。オレの初恋の相手だし、ぶっちゃけ六・三・三で十二年、オレは篠崎さんのことが好きだった。


 現在は、名古屋の大学に通っているはずだ。


「君、もしかして、篠崎さん?」

「ピンポーン、やっと思い出した」


 間違いない。篠崎さんだった。

 オレが横浜こっちに出てくる前日に挨拶に行ったきりだから、一年と十一ヶ月ぶりか……



「どうして、篠崎さんがここに?」

「もう、昨日ちゃんと説明したじゃん。あたしね、事情があって、今年こっちの大学を受験することになったの。ところが、泊まるはずのホテルが急に営業停止になって、泊まる所がなくなって困ってたのよ。そしたら、耕太郎くんのおばさんが、じゃあ鍵貸してあげるから耕太郎くんの部屋に泊まっていいよって」



 お母さん。いくら幼馴染だからって、年頃の娘さんに息子の部屋の鍵をポンと預けるなんて……なんという……グッジョブなんだ。


 もう、あんたの老後の面倒は下の世話までオレが見るからな!


「で、そのごめん、昨日勃たなかったって話は……」

「ああ、あの話。聞きたいの?」


 篠崎さんが、再び近寄ってくる。

 布団越しに、オレの足が篠崎さんの太ももに触れる。彼女のTシャツはぶかぶかで、オレの目さえちゃんと見えてれば、十二年間夢見ていた篠崎さんの生乳が拝めたに違いなかった。


(くそうっ、なんだってこんな時に限ってメガネがないんだっ!)


 いや待て、そんな生乳なんて、小さいことを考えてる場合じゃないぞ。

 ここはもっと視野を広く持って、その先のグローバルスタンダードに対応した展開をしていかなければ……真剣に考えていると、篠崎さんは含み笑いをして言った。



「耕太郎くん、彼女いるよね」


 えっ? そりゃ、オレにも一応彼女くらいいますよ。まだ出来たてで、こないだやっとチューしたばっかりですが。


「昨日、デートしたよね」


 ああ、そういえば、昨日はバレンタインデーだし。二人で横浜デートしたさ。


「ずいぶん、気合入ってたんだって? 脱童貞、狙ってたんでしょ」


 それはまあ、友達にも絶対チャンスだから決めろってけしかけられて、デートプランまで組み立ててもらって、


「彼女も、案外その気だったらしいじゃない」


 なんたって手作りチョコもらったし、ラブホに入る時も全然抵抗されなかったし、服を脱がせたら「それが噂に聞く勝負下着ですかぁ」っていうくらいのエロ可愛らしい下着だったし。


「でも、勃たなかったんだよね」


 事前に予習したとおりに手順を踏んで、途中までは何もかも順調だったのに……どういうわけか……肝心のナニが勃たなかったんだ。


「はい、これで全部思い出した?」


 思い出した。それで彼女に愛想つかされて、ひとり横浜の飲み屋でつぶれるまで飲んだんだった。そこからどうやって帰ってきたかは、まだ思い出せないけど……。



「でも、篠崎さんがなんでそれを知ってるの?」


「昨日、酔っ払って帰ってきた耕太郎くんが延々聞かせてくれたからでしょ。こっちは久しぶりの再会に胸躍らせてたっていうのに、一晩中、酔っ払いの相手させられてがっかりしたわよ」


 オレもがっかりした。できれば思い出したくなかった。


 あー、なんでなんだろ。なんで勃たなかったんだろ。オレそんなナイーブな人間だったっけ?



「彼女の名前、瞳ちゃんだったっけ」

「なんでそこまで知ってるの!」

「昨日、連呼してたでしょ。瞳ちゃん、かぁ。可愛いの?」

「そりゃ、まあ」



 瞳ちゃんは、大学の同級生。

 モデルかと思うような美人なのに気取らない明るい性格で、すぐに誰とでもうちとけることができるキャンパスのアイドル的存在だ。

 同じ講義をとること多く、いつの間にか仲良くなったけれど、地方出身で他人に対してなんとなく気後れのあるオレなんかにはまぶしい存在だった。

 ダメモトで告白してOKもらったときは、うれしかったな。

 世界全部が手に入ったような気がしたもんだ。


 それが、急転直下。


「どうして? ダメなの?」瞳ちゃんは信じられないって声を出して、それから、今まで見たこともない蔑むような顔でオレを見た。


 どうしてって、オレが聞きたかったよ。



「あー、また暗い顔してる。ねぇ、瞳ちゃんと私とどっちが可愛い?」


 篠崎さんの言葉で我に返った。しどろもどろに返答する。


「瞳と篠崎さんは、タイプが全然違うから……」


 嘘をついた。正直、瞳ちゃんは篠崎さんとよく似ていた。


「もう、元気出しなさいよ。わかったわよ。一宿一飯の恩義って奴だ。私が一肌脱いであげる」

「えっ?」

「要するに、初めてだったから上手くいかなかったってことでしょ。じゃあ、一回やっとけば、次は何とかなるんじゃないの?」

「えーっ!」

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