写真
ウタノヤロク
写真
ある応接室のテーブルの上に一枚の写真らしき紙が置かれていた。
写真らしき、というのは印刷面が伏せられていて、それが写真だと思われるからというのが理由だ。その写真らしき紙の裏面、ちょうど表を向いてる面に丁寧な文字で『見るな!』と強い口調で書かれていた。
俺は迷った。見るなと言われれば見たくなるのが人の性。しかし、ここは応接室で、俺は今この会社に入社するための面接に来ている。この状況で見るなと書かれているモノを見てしまったら、当然のことだろうが不採用になるだろう。
考え込むように座っているソファーに体を預ける。革張りのいかにも高級品とわかる感触に、この会社がそれなりの業績を上げているんだと感じた。
さて、問題に戻ろう。
今この状況下で普通の人間ならどういう行動をするだろうか。よく、押してはいけないボタンがあったらどうする? という問い掛けがある。これは心理学用語でカリギュラ効果というらしい。ボタンに限らず、開けてはいけない、見てはいけないと言われればその正反対の行動を取ってしまう心理のことだ。今俺自身、そのカリギュラ効果をその身に体験しているということだ。
不思議なもので意識しないようにすればするほど、それが気になって仕方がない。意識しないようにしている時点でそれを意識しているのだから、気になってしまうのも仕方がない。
見るな!
その強い言葉で書かれた文字を見ながら俺は思った。この写真には何が写っているんだろう、と。
人か、花か、生き物か、風景か、もしかしたら乗り物かもしれないし、食べ物かもしれない。
……まるで心理テストだな。
そうか。これは一種のテストなのかもしれない。ある企業の入社テストで、フランスパンで戦車に勝つ方法を考えなさいというものがある。普通に考えたらフランスパンで戦車に勝つことなんて出来ないと思うだろう。しかし、このテストでは柔軟性や発想力が試されている。つまり、何も戦車と戦って勝つ必要はないのだ。実は戦車と戦う方法はいくらでもある。味で勝つ、重い軽いで勝つ、長さで勝つ、様々だ。ここでどういう風にその状況を切り抜けるか、それを採用不採用の判断基準としているらしい。
それにしても静かだ。俺がここに通されてからそれなりの時間が経っていた。俺を連れてきた人は「ここでお待ちください」と言ったきり帰ってこない。担当者が不在なのか、はたまたなにか事情があって遅れているのか。
手持ち無沙汰に持ってきた履歴書を眺めみる。履歴書に貼られた証明写真は相変わらずの仏頂面で、なにかの容疑者と言われてもなんら遜色ない。写真写りが悪いのは重々承知している。それに写真にはあまりいい思い出がない。思い出すのも嫌なので、それ以上考えるのをやめた。
『見るな!』
しっかし、可愛らしい文字だ。見れば見るほどこれを書いた人がどんな人なのか気になる。むしろ写真よりもそっちのほうが気になっていた。こんなにも可愛い文字を書く人なんだから、指先が白魚のようにシュッとしていて、毎日爪なんかも手入れしていそうだ。いや、もしかしたら案外年のいった事務員のような女性かもしれない。淡い期待を抱くのはやめよう。世の中には知らない方がいいってことも少なからずある。
……気になる。
写真のことを気にしないようにすればするほど、余計なことを考えてしまう。これじゃまるで誰かに片思いをする学生みたいだ。その相手は人なのかどうかすらわからない写真相手だが。
暇だな。いい加減待ちくたびれた。これが部屋にどれだけ留まることができるかの耐久テストだとしたら、俺はもうリタイヤしたかった。外に出ようにも、出たところでどうしていいかわからないし、出ようとした瞬間に担当者が入ってきて気まずい空気になるのも嫌だった。そんなこんなで逡巡していると、時計の針はまた歩を進めていた。
そんな中、ふとこんなことを思った。俺と同じように一枚の写真が置かれている状況である男がどういう風に行動するかを。
男は自宅のリビングのテーブルに一枚の写真が置かれているのに気づく。その写真には今の状況と同じく、『見るな!』の文字が書いてある。男は思った。その写真には何が写っているのだろうと。この家に住んでいるのは自分の他に妻がひとり。子供はいない。となると、これを置いたのは間違いなく自分の妻だということになる。
じゃあなんで?
そこが問題なのだ。自分の妻はどうしてこれをこんなところに置いたのだろうか。それもご丁寧に『見るな!』の注意文まで添えて。自分に見られたくないなら置かなければ見られる心配もない。それがここに置いたということは、見て欲しいと思っているからだろう。男は写真を手に取ろうとした。が、その手を止めた。もしこの写真を見てしまったら、どうなるのだろうと。きっとこの写真は自分に見せるためのものだ。それは自分に対する弱みのようなもので、彼女にとっては自分を従わせるための切り札なのだろう。
男は考えた。この写真に写っているモノについて。もしかしたら浮気相手の美紀が写っているのかもしれない。もしかしたらその美紀とのツーショットでいるところかもしれない。もしそうなら離婚を切り出されてこの家を追い出されるか、もしくは離婚しなくてもそれをネタに一生尻に敷かれる生活を送るかだ。
じゃあこの写真に写っているのが美紀じゃなかったら?
そうなると妻の意図が読めなくなる。他に隠し事としたらギャンブルで借金を作ってしまっていることとか、もしくは妻の妹とも関係を持っていることがバレているのかもしれない。いずれにしてもこの写真になにが写っているのか、それを確認しないと結論は出ない。
男は恐る恐る写真をひっくり返す。そこに写っていたのはどこか見慣れたリビングの写真とソファーに座る男の後ろ姿だった。
これはどういう……そこまで言いかけて背後に気配を感じた。
「やっと気づいてくれた」
そこには久しぶりに笑顔を見せてくれた妻の姿があった。
こんなところか。
その後男がどうなったか、その先を考えようと思った矢先にようやく担当者がハンカチで額を拭きながらやってきた。
最後まで写真の中身はわからないままだった。
「被験者の様子はどうだ」
ある実験施設の一室で、白衣に身をまとった男二人が、いくつも重ねられたモニターの一つを指差して話していた。
「ああなんかまたブツブツ言ってるよ。今度は写真がどうとか」
「写真? そういやテーブルの上に写真置いてるな。なにやってんだ」
「さあ? なんだかよくわからん写真裏返してまた物語でも考えてるんだろうよ」
白衣の男がすっかり炭酸の抜けたコーラを口にしながらぼやく。
「大方、自分で物語を作ってそれを客観的に見てる観測者にでもなってるんだろうよ。まさか自分自身が俺たちに観測されてるとも知らないで」
「自分の世界に入り浸っているのも一種の幸せなのかね」
もう一人の白衣が頬杖をつきながら、モニターに映る被験者をじっと眺めていた。これが動物園のパンダならまだ見ごたえがあったかもしれないが、せいぜい映るのは俯いた男の後頭部ぐらいなものだった。
「んで、アイツの今度の物語ってのはどんなんだ?」
「なんか入社試験にやってきたら一枚の写真が裏返されていて、それを見たらどうなるか、だと」
「なんだそれ」
「なんだそれだろ。俺もさアイツのこと見てたんだけど、なんか俺たちは観測されてるってずっと言ってくるんだよ。気持ち悪くて」
「どうだろう。もしかしたらこうしてる俺たちも本当は見知らぬ誰かに観測されてるかもよ」
「お前も毒されてきたか?」
「こんなところに四六時中いたらおかしくもなりたくなるだろ。お前も気をつけろよ。知らないあいだに被験者になってるかもしれないからな」
白衣の男が「そりゃ怖い話だ」と笑いながら部屋を後にする。
そのモニターの中で男が一人、テーブルに置かれた写真を見つめていた。その写真の裏側には綺麗な文字で『見るな!』と書かれていた。
そしてモニターを見つめる男の手には『見るな!』と裏面に書かれた、その男の後頭部が写った写真が握られていた。
写真 ウタノヤロク @alto3156
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