第6話 水浴びをするぞ、って本気ですか?
ゴーティエ王子によって王宮に連れてこられてしまった私は、おとなしく彼に従っていた。身体に力が入らないので、されるがままの状態である。
どうしてこんなことに……。
私はただ、アロルドとソフィエットのフラグがどの程度立っているかを知りたかっただけなのに。
すれ違う人々の視線が気になる。横抱きにして運ばれているのは恥ずかしいのだが、だからといって立って歩けるわけでもない。しぶしぶ落とされないようにくっついているくらいしかできない、情けない私である。
「とりあえず、一緒に水浴びをするぞ」
「……はい?」
「風呂に入ろうと言っているのだ。詰所は汗臭かったからな」
聞き間違いかと思ったが、そんなことはないらしい。ゴーティエ王子はさらりと言ってのけた。
いや、今私たちが汗臭いのは、狭くて暑い馬車の中で乳繰り合っていたからだと思いますがね――などと言えるわけがない。人目もあるし。
私の同意や許可を得ることなしに、ゴーティエ王子は彼の私室からその奥に通じる部屋に私を案内した。部屋の中央にはバスタブがある。風呂場だ。
ゴーティエ王子は私をバスタブの前に下ろして、潔く服を脱ぎ始める。
「湯の手配は馬車から降りるときにしておいたから、じきに来るはずだ」
「あ、あの……私はあとから使わせていただきますので、お先にどうぞ」
一緒に入るにしては、目の前にあるバスタブは少々狭い。一人用にしては充分過ぎるくらいに広いのだけども。
私が遠回しに拒否をすると、ゴーティエ王子は上着を脱ぎ捨てて相対した。
「オレは一緒に入れと命じたんだ。奉仕をしろとは言わないから、それくらい従え」
まだ機嫌は直っていないようだ。彼にイライラした目で見下ろされると、私は肉食獣の前の小動物のように震えて縮こまるしかない。
「……奉仕、ですか」
ボソリと気になった単語をつぶやく。
ゴーティエ王子はこのバスタブで女性に奉仕をさせたことがあるということだろう。どんな奉仕を受けたのか、あるいは命じたのか――その詳細は聞かない方がいいような気がした。
なんでそんな言葉が胸に引っかかるんだろう。
ヴァランティーヌのことが好きすぎて勉強に熱心だったようだが、私にとってはどうでもいい情報のはずなのに頭から離れない。
「――なんだ? 思った反応と違うんだが」
「あ、いえ……」
私にとっても、自分の反応に戸惑っている。将来的には夫婦になることが約束されている立場とはいえ、気軽に肌を見せ合うのはどうなのだろうか。抵抗したり、嫌悪感を示したりしてもよさそうではある。なのに、そういう反応がすぐに浮かばないし、動けなかった。
病み上がりではあるから、疲れやすいのかな……。
座り込んだまま視線を床に向けていると、ゴーティエ王子が私の前に膝をついて顔を覗き込んできた。
「ヴァランティーヌ、貴女は何か変だ。予知したと告げたあの瞬間から、時々別人のように感じられてしまう。貴女はこうしてそばにいるのに、オレの知っている貴女は遠くに行ってしまったようで……そんなにオレから逃げたいのか?」
「変、ですか……そうかもしれませんね。あなたさまの直感は正しいかもしれません」
今の《私》はヴァランティーヌだけではない。ヴァランティーヌとしての意識もあるが、それ以上に前世の《私》が邪魔をする。幼馴染でもあるゴーティエ王子が不審がるのもわかる気がする。
正直な感想を告げると、ゴーティエ王子は私の両肩に手を置いた。
「ヴァランティーヌ……」
「あなたさまは、私が私でなくなったとしても、私のそばで一生愛し通す覚悟はおありですか?」
このまま死ぬ運命から逃れるために奔走していたら、もしかしたら、私はヴァランティーヌとしての自分を失ってしまうかもしれない――そんな予感が、実はある。
ゴーティエ王子が愛しているのは、今の《私》ではなく、幼少期から仲良く過ごしてきたヴァランティーヌという名の少女なのだ。それは、彼が私に触れて愛を囁くたびに痛感させられる。
すごく、胸が痛い。
自分の死を回避するためではなく、彼とヴァランティーヌのために、きちんと別れるのが本当の幸せなのではないだろうか――
俯いたまま正直な気持ちを告白した私を、ゴーティエ王子はしっかりと抱き締めてくれた。
「――そうだな……自信はないし確約もできないが、オレの気持ちを受け止めてくれるのなら、一生愛し、尽くすことができるだろうとは思っているよ」
そう告げて、幼子にするように私の頭を優しく撫でてくれた。
彼の胸に顔を押し付けて、溢れた涙をそっと拭う。
「ヴァランティーヌ……環境が大きく変わりつつあるせいで、疲れが取れないのだな。無理をさせるつもりはなかったんだが……物怖じしない強い女性だと評価していたから、このくらいは平気だろうと踏んでいた。申し訳ない」
「いえ……」
私は小さく首を横に振った。気を遣わせてしまって申し訳ない。確かに以前のヴァランティーヌであれば、このくらいの仕事は難なくこなせたはずだ。男だらけの場所にいても、凛として仕事をこなせていたと思う。
うまくいかないのは、私が私でなくなっていっているからだ。
「ゴーティエ王子、やはり私は結婚を取りやめた方がいいと思うのです。きっと、あなたさまを失望させることが増えてしまう。そうなったらあなたさまになんと詫びたらいいのかわかりませんし、自分自身の矜持を失ってしまう……そうなるのが、怖い……」
ヴァランティーヌらしくない弱気な発言だと思う。でも、伝えなければ伝わらない。
怯えて小さく震える私を、ゴーティエ王子は強く抱き締める。ここに私がいて、彼がいるのだと示すように。
「オレの期待に応えるのが負担だというなら、気にすることはない。オレが貴女を選んだのは、それだけが理由ではないからな。オレのそばで元気に笑っていてくれれば充分だ。――愛している、ヴァランティーヌ。オレの前から消えないでくれ」
ゴーティエ王子の泣き出しそうな声に顔を上げると、不安そうな顔がそこにあった。
そばで元気に笑っていてくれればそれでいい、か……。
その言葉はなぜか信じられた。ゴーティエ王子はヴァランティーヌにたくさんの期待を背負わせていたようには感じられたが、それらの下にはもっと素直な気持ちがある。
この人は、本当にヴァランティーヌのことを愛しているんだな……。
愛情表現は行き過ぎている面もあるが、仕事は体調優先で考えてくれる。ヴァランティーヌのことをきちんと見ていこうという姿勢が感じられた。オレについて来い、というわけではないことに、好感が持てる。
「ゴーティエ王子……」
今日の件については謝ろう。勝手な行動をしてしまったのは事実だ。もっと相談をして、よりよい未来のために尽くす必要がある。前向きに検討していきたい。
「貴女にとって頼りない男なのかもしれないが、なんでも話してほしいんだよ。それはオレのわがままだろうか?」
ゴーティエ王子の問いに、私はゆるゆると首を横に振った。
「頼りないなんてとんでもない。あなたさまに選んでいただけて、私は嬉しいです」
私としての意見とヴァランティーヌとしての意見がここは一致した。ゴーティエ王子に非はない。嬉しいと感じているのは本当だ。
でも、どうしたら窮地を乗り越えることができるのだろう。とにかく状況を整理して、最善策を探っていかなければいけない。
記憶している限りのフラグを書き出してみる? でも、ここが私の知っているゲーム世界そのものというわけでもなさそうなのよね……。
まずはゴーティエ王子の誤解をどうにかしないとまずい、と思い直し、アロルドに接触したことについての説明を試みることにした。
「――ゴーティエ王子、先日のお話ではソフィエットを助けたときにアロルドさまもいらしたとお聞きしました。ソフィエットがアロルドさまを結婚相手に選ぶのであれば、おそらく私の未来は変わると思うのです」
「ふむ」
ゴーティエ王子は私の言葉にしっかりと耳を傾けてくれた。話を促す視線に、私は言葉を続ける。
「なので、アロルドさまは彼女のことをどう思っているのか、結婚したい相手がいるのかどうかを聞き出そうとして――失敗してしまいました。まさかあのようなことになるとは予期しておらず、申し訳ありません」
前世の推しではあるが、恋愛の対象ではない。それがわかっただけでも、どこか安心する自分がいた。今の私は、アロルドよりもゴーティエ王子のことを好いている。
自分の非を認め、私はゴーティエ王子に改めて謝罪した。抱き締められているせいで頭を下げることができなかったが。
「いや、もういい。社交の場ではあの程度のことはよくある。アロルドがあんな行き過ぎたことをするとはオレも考えてはいなかった。オレの婚約が周知されたことによって、女性に興味を持てるようになったのかもしれん。他人のオンナに、冗談でもあんな真似はすべきではないと思うが」
そう答えて、穏やかな笑みを浮かべる。私の頬を優しく撫でた。
「――さて、話はお茶をしながらにするとして」
ん? なんか嫌な予感……。
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