第4話 それならこれでどうだッ!



 最後までしていなくとも、寝かせてくれないだけで体力は削られるものである。丸一日愛され続けた私は、熱を出して寝込むハメになった。


「……すまない、ヴァランティーヌ」


 帰宅後に発熱して医者を呼んだと聞かされたらしいゴーティエ王子は、私の屋敷にとんできて申し訳なさそうに頭を下げてくれた。


「いえ。休んでいればよくなりますので」


 公務で忙しいはずなのに、こうしてすぐに会いに来てくれたことは素直に嬉しかった。冷たい言葉をかけることなく、優しく労ってくれる。

 私が知るゲーム世界ではオレ様エス系ヒーローという設定だったはずなのに、こんなに溺愛されるとは。

 握る手は温かくて頼もしい。ヴァランティーヌとしてはもともと嫌いな相手ではなかっただけに、こうして接してくれるとほだされてしまいそうだ。私って案外と流されやすいたちなんだなと心の中で苦笑する。


「できるだけ長く貴女のそばにいたいのだが、やらねばならないことが多くてな。極力毎日顔を出すようにするから、早く元気になってくれ」


 ゴーティエ王子に頭を撫でられるとくすぐったい。嫌悪感がないのは好意を持っている証拠になりうるかもしれない。


「そんな。お気持ちだけで充分です。……どうか、ご無理はなさらないで」

「はじめに無理をさせたのはオレだ。様子を見に訪ねるくらいはさせてほしい。ゆっくり休みたいから邪魔だというなら、使用人に伝えておいてくれればそれで構わないから」


 心の底から案じてくれていると伝わる言葉に、私は顔を綻ばせた。


「わかりました。お好きなようになさってください。私も早く起き上がれるようにおとなしくしておきますので」


 私が応えると、ゴーティエ王子は熱くなった私の頬に口づけしてくれた。


「愛しているよ、ヴァランティーヌ。元気になったら、どこかへ遊びに行こうな」

「はい、喜んで」


 幸せそうに微笑まれると、胸がキュンとしてしまう。


 安い女だな、私。ってか、こういう部分にときめくなんて、DV男に引っかかりやすいってことでもあるんじゃ……いやいや、うん。今は深く考えないでおこう。


 グールドン家では両親からの愛をしっかり受け取ってきた私だけれど、家族以外から愛された経験は薄い。前世もロクな男に出会わなかったので、こうして熱烈に愛されると戸惑ってしまう。けれど、それ以上に相手に応えてあげたいと思ってしまうから、悪い男に騙されてしまいそうだ。


 まあ、ゴーティエ王子は私の好みのドストライクではないというだけで、手放すには惜しい人だろうけど。


 彼から愛されると心地よいと感じられるのが私には驚きだったということだけは、ちゃんと覚えていようと思った。





 誕生日パーティーから一週間後。

 元気になった私は王立騎士団の詰所に顔を出していた。一応、公務である。

 王太子妃として私が婚約したことは、先週のゴーティエ王子の誕生日パーティーで改めて宣言されている。なので、王宮内の施設や機能についてを学ぶため、あるいは関係施設で働く人たちとの顔合わせと交流のために順番に回ることになったのだった。


 気が早いと思うけど、結婚してからはもっと忙しいものね……。


 結婚すると、新婚旅行と称した外遊が始まる。なので、王宮内のことを学ぶなら婚前が都合がいいのだ。


「――それにしても、強そうね……」


 騎士たちの稽古を眺めながら、私は呟く。

 たくましい筋肉がどこもかしこも溢れている。上半身裸の屈強な男性が鍛えているさまは、少し恐いけれど頼もしくも思える。彼らがこの国を守る要の戦士たちだ。

 私が生まれて間もない頃は小競り合いから生じた戦さが度々あったとのことだが、現在は大きな戦さは存在しない平和な期間が続いている。そのため、宮廷騎士たちの主な仕事は災害時の救助や再建だ。この目の前で鍛えられている筋肉は、国民を救う体力を養うためである。

 騎士たちに指示を出している赤い髪の人物が、王立騎士団筆頭騎士のアロルド・エルヴェだ。

 ゲームではかなりはっきりした赤い色で表現された髪だが、こうして見ると陽の加減で赤く光って見えるくらいで、ごく普通の赤毛なのだなと思えた。彼の体格はここにいる誰よりもガタイがよく、迫力がある。重そうに感じられる体躯を持つが、これで意外と俊敏に動けるのだから、本当に強い。二十一歳という若さなのもすごい。


 まあ、ゲームの攻略対象なのだから、設定はいろいろ盛られているんだろうけどね。


 自然と目をひく華やかさを持っているのは間違いない。モブの筋肉も悪くはないが、やはり全身にまとうオーラが違う。それは前世の自分が愛した存在だからそう見えているという話でもないだろう。

 全体を俯瞰するように眺めているつもりだったが、気づけばアロルドばかり見ていた。こうして至近で実際に動いているさまを見ることは今までなかったから、その仕事ぶりも含めて気になってしまう。


 とはいえ、こうして顔を合わせたらかつての初恋が再燃――みたいな展開になるかと思ったけど、ときめかないものね。素敵だとは感じるけど。


 周囲から慕われているのもやり取りを見ていればわかる。肩書きどおりの有能な人物なのだろう。

 私が見つめていることに気づいたのか、アロルドはこちらに軽く微笑むと、稽古を止めて休憩の指示を出した。それぞれ水を飲みに行ったり、汗を拭きに行ったりと散っていく。

 アロルドはというと、にこやかな表情で私に近づいてきた。

 私は椅子に座ってパラソルを開いているので、目の前に立たれると顔が見えない。私がゆっくり傘を後ろに倒すと、普段なら精悍な顔つきであるのに女性向けの穏やかな顔のアロルドが立っていた。


「視察はいかがですか? 未来の王太子妃さま」


 他の騎士から受け取った布で汗をぬぐいながら、アロルドが声をかけてくる。前世の私が好きだった声と全く同じ。直接話をしたことがなかったこともあり、転生先でも自分の好きだった声を聞けてなんだか不思議である。


「ええ。統率ができていることがよくわかります。アロルドさまは噂に違わず優秀でいらっしゃいますのね」

「どうかな。慕われてはいるけど、面倒な仕事を押し付けられたようなもんですよ」

「ご謙遜を」


 私はクスッと笑った。ゲーム内で交流していた彼と同じ空気を感じられて、ちょっと懐かしくなる。ゴーティエ王子の友人でもあるので、結婚後も付き合いはあるのだろう。


 さて、ここからが私個人の重要なミッションスタートである。


「――ところで、アロルドさまには想いを寄せる女性はいらっしゃいますの?」

「ん?」


 アロルドに怪訝な顔をされてしまった。早く本題に入りたくて、唐突すぎてしまったかもしれない。


 何か言い方を変えてみようかしら。


「こんなにも素敵な人ですから、婚約者や恋人の噂がないなんて勿体ないと思いまして」


 アロルドに女性関係の浮ついた噂がないのは事実だ。騎士としての仕事に執着するあまり、女性との付き合いを遠ざけてしまっていた。

 なお、ゲームの設定もそんな感じだった。真面目で正義感に溢れる男である。

 補足すると、アロルドは不思議そうな表情で私を見つめ――頬に手を添えてきた。


「ん⁉︎」

「なるほど、視察の名目で自分の護衛騎士を選びにきたのかと思っていたが、愛人候補を見積もりに来たってことか」

「は、はいっ⁉︎」


 口調、あの、口調が恋愛モード突入時の砕けた調子になっていますけどっ!


 私はアロルドの言葉が飲み込めず、あたふたとしてしまう。彼の手を弾いて拒むのがヴァランティーヌだろうに、前世の記憶が邪魔をしてうまく動けない。


「あんまりにも熱い視線を向けてくるから、なにかと考えていたんだが……そういうことなら、納得できるな」

「か、勝手に解釈しないでください! 私にはそんな下心など――」


 彼の大きな手で頬を撫でられるとゾクゾクする。汗ばんだ手のひら、マメでゴツゴツしている感触、太くなってしまった関節の硬さ――画面越しではわからなかった生々しい感覚が私を狂わせる。

 男慣れしていないのも問題があるのかもしれない。王太子妃を狙って大事に育てられただけあって、不必要に男性とは接触しないようにさせられていたのがアダになった。


「ゴーティエ王子だけで満足できないっていうなら、協力してあげようか?」

「きょ、協力でしたら、そういうことじゃなくて――」


 くいっと顎を持ち上げられてしまった。


 マズい、これ、キスされるっ⁉︎


 逃げなきゃいけないのがわかっているはずなのに身体が竦んで動けない。


 ってか、なんで手慣れているのっ⁉︎ 話が違うっ‼︎


 現実から目を背けてしまいたくて、私は強く目をつむってしまった。

 ――と、その時だ。

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