第35話 「私は権力が好き。あなたは?」トップグルメライター華乃の分析
※今までのあらすじ
23歳のグルメライターの沙奈は、楽しいこともある反面、この仕事を続けるべきか迷っていた。
そんなある日、日英ハーフの紅茶の先生だという「月代先生」に会う。親切なのになぜか周囲から孤立している月代の、自宅兼ティールームの奥のドアには、ナイフで切りつけたような不可解な傷があった。
説明のつかないとまどいを覚えていると、彼女から「李先生」の中国茶の試験を受けるようにすすめられる。
「数時間、うちで簡単な試験を受けていただくだけだから、大丈夫よ」と、あとになって月代は言う。
沙奈は日中ハーフの「りんちゃん」達と三人で、横浜の月代の自宅兼ティールームで、李先生の中国茶の試験を受けることになる。試験を受けたのは合計13人だった。
日中ハーフの「りんちゃん」の母親は「劉さん」といい、日本人男性と離婚したあとも、年上の日本人男性と見合い結婚をし、日本に戻ってきた女性だった。
「りんちゃん」は来日後、日本人の「仲間意識」が気に入り、幸せな日々を送っていた。
第29話 景徳鎮の茶碗(上)【人が一線を越える時】試験の日
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894423195/episodes/1177354054922171561
その後、月代は最初に約束した料金の約5倍の金額を、特別レッスン代として払え、と言い、断ると
散々迷った末にお金は振り込んだものの、こらえきれなくなって泣いていると、思わぬ助けが来た。
第34話 でも「グルメライターほど素敵な仕事はない」!?思わぬ助け舟&陳さんの思い出【冷たい東坡肉】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894423195/episodes/16816452219608537082
「女独裁者」との噂の、グルメライター仲間の華乃だった。(この話は5月1日に改題しました。わかりやすいように、一部を前編後半と重複させました)
―――――――――――――――――――――――
そこで突然、ラインの着信音がした。グルメライター仲間の華乃さんだ。彼女も久しぶりである。繰り返すことになるが、面白いけれど、女らしいきれいな顔に似合わず強烈な人。
「現代日本、いや日本史上初の女独裁者になって、世の中を平和にしてみせる!」
泥酔して、そんな、冗談とも本気ともつかないことを言ったことがあるだとか、ないだとか、噂になったこともある人だ。もちろん本人は、いつも巧みに否定している。
「沙奈ちゃーん、元気かなぁ?」
ああ、常にちょっと上からくる、いつもこの元気な、この声。時々、むっとさせられることもあるが、今日は特に、頼もしかった。
「どこにいるんですか?……レストラン?凄く素敵な音楽が聞こえますよ」
「そう、新しくできた、評判のイタリア料理店。……おかげで私、最近、シチリア料理に目覚めちゃってー」
「シチリア料理食べてみたい!取材ですか?」
「ううん、今日は、新しくメニューに加えたい料理があるから、試食して、感想を聞かせてほしいっていうことで、招待されたの。ワインもほんっとうに、おいしかった!」
「招待ですか、優雅ですねー」
「グルメライターほど素晴らしい仕事はなーい!沙奈ちゃんもまた一緒に食事しようね」
「はい、ぜひ。おいしい店が知りたいです」
「ふふふ、まかせて。……あっ、東京A区とC区は、食の点ではもう、私の庭だから」
「B区はどうしたんですか?」
「それはね、ライバルのグルメライターが大きな顔してるからね」
「飛び地なんですね」
「うんうん、飛び地。あと、〇〇(日本から近いとある国の名前)の一部も……。ヨーロッパは遠いし、手強いんだけど、来月、友達が大物を紹介してくれる予定で……」
「……そんな、『食の点では』といい、冗談でも、なんだか危険なことを言わないでください」
「ふふふ。沙奈ちゃんも、グルメライターとしてもっとランクアップすれば、いろいろ本当に、いい経験できるわよ」
この時、私は何も答えられなかった。
「……聞いたよ沙奈ちゃん、元気ないんだって?……私にはだいたい、見当がついてて、それで、助け舟を出してあげようと思ったわけよ」
たった今まで、ライター仲間とはしばらく連絡をとっていなかったのに、ひょっとしたら、誰かが、そんなに簡単に、私の情報を共有させたのだろうか。
その点では少し怖かったが、思わず、こう答えた。
「はい、元気ないです」
「月代先生のことでしょ。……今、いい?」
「はあ……」
「これから話すことは、けっこうヤバい話なの。具合が悪いなら、どこか、休める場所に移動してもいいけど、周りの人が聞けないようにして」
「立ったままですが、いいですよ。お声を聞いたら少し気分がよくなってきましたから。……でも、『ヤバい』ってなんです?華乃さんは新聞記者……事件記者とかじゃなくて、グルメライターじゃないですか」
華乃さんはしばらく沈黙したあと、同性からしても驚くような、妙に艶っぽい声で笑った。そして、ふーっとため息をつくと、何かを飲んでいた。お酒が好きな人だから、ワインか、食後酒だろう。
「ああ、グラッパはいつもおいしいなあ……。ここのは、特においしい。……フルーティーで、素敵な香り……」
グラッパはイタリアの蒸留酒で、アルコール度数は30~60度だ。日本では、今のところ、比較的マイナーなお酒かもしれないが、華乃さんはイタリアでその魅力に目覚めて、食後酒は、メニューにあれば、グラッパにすることが多いのだと聞いた。
「やっぱり、ストレートで飲んでるんですか?お酒、強いんですね」
「うん。この店では、冷えたのも出してくれるの。本当に好き。……冷たくて、すっきり酔えるし、もう、最高の気分ね。アハハ」
「早く、さっきの話をしてくださいよ」
「……その前に訊きたいんだけど、沙奈ちゃんはグルメライターの仕事、続けたいと思ってる?」
「……正直いって、迷ってますね」
「なぜーえ?」
「嬉しいこともあるんです。……たくさんの人に読んでもらえたり、取材対象者に喜んでもらえたり、この仕事をしてなきゃ、一生話すこともなかった人達とふれあえたり。……これって凄いことなんだなって。ただ……」
「ただ?」
「『仕事ならなおさら、夢と現実は違う』ってことですよ。シンプルでいて、誰もが忘れがちなことだと思います。……私はSNS時代の恩恵で、地味めな学生が思いがけなくグルメライターになれました。ただ、その『一生話すこともなかった人達』の中には、どう譲って相手にあわせようとしても、理解できない人達もいる」
「小学生が、SNSで犯罪と繋がれる時代だもんね」
「……それに、記事って難しいなって。大好きな憧れの人のために、心をこめて書いた記事が、相手にとって救いになることもある。……でも、同じように憧れだった人と、事前に入念にうちあわせして、公開前にご確認いただいても、突然、よく分からない理由で激怒されて、言うこともコロコロ変わったりだとか。……関係者にとって、経営やお店は命です。仕方ないって分かっていても、うまくこっちを利用しようとする人達も本当にいるし、そういうたぐいの、いろいろな境目が、分かりません。他にもいろいろ……」
気がつくと、私はまた泣いていた。
そして、華乃さんはまた、「はは」と笑って、グラッパを飲んでいるのが聞こえた。
「沙奈ちゃん、分からないかな――?まず、ライターは『クリエイター』だよね。違うって言う人もいるけど。でも、クリエイティビティの高さは、いいクリエイターになるにあたって、最優先事項ではないと私は思う。安定性、スタミナ……その他にも、いい面でもそうでない面でも、そちらの方が優勢事項なのよ」
「実は、私もそう思ってました」
「だよね。沙奈ちゃんは、味のジャッジの鋭さ、公平さ、誠実であろうとする姿勢、それに、読者に、シズル感も含めて、『この食の喜び』を伝える素質がある人。案外エネルギーも強いし。……そして、クリエイティビティの高い、普通の人。もちろん、いい意味でもね。違う?」
「……はい、それも、どっかで気がついていました。こういうと角が立つかもしれないですけど、尊敬していて大好きな先輩にはなんか悪いですけど、私はこの世界によくも悪くも凄くはむいていないと思います」
「……マスメディアは権力の1つよ。権力とは、『他人を強制し服従させ
る力』。……マスメディアにはいい面もある、でもそういう面もあるの。すべてのものに、利点と弊害があるように。ライターは、マスメディアの人。グルメライターも」
「はい」
「沙奈ちゃんは、私みたいになりたい?トップグルメライターに」
「……華乃さんは面白くて立派な方で、こうやってお話ししてるのも凄く楽しいですけど、できれば少しでも仲よくしていただけたらと思いますけど、私が華乃さんみたいなトップグルメライターになるのは、きっと無理ですね。はは!」
自虐や絶望ではさらさらなく、変にすっきりした気持ちで私は笑った。……ああ、すっきりした。ずっと自分が認められなかった、認められないから、自分を苦しめていた気持ちを、華乃さんはたいして無理強いもなく、いわば誘導で、気がつかせてくれたのだ。
「私は権力が好きなの。こんな私でも、怖い時もあるけど……だからこそ、私はこの仕事にむいてる。……権力は、その重さや、あやうさを分かろうとしている人でなければ、好きにならない方がいいと思うわ。これも、甘くはないんだもの」
「なるほど……これから、この仕事、どうしようかな。どうしたらいいか分からないです」
「沙奈ちゃん、よかったら、私がこれからたちあげる、グルメマガジンの運営を手伝ってくれない?」
「華乃さんが、ご自分のグルメマガジンをつくるってことなんですか?」
「まあ、そうね。詳しいことは、あとでお話しするわ。それから決めて、もちろん大丈夫よ。沙奈ちゃん、いい記事書くけど、量産は難しいみたいだし、そのかわりに他の仕事をしてもらうとか」
「ぜひお話うかがいたいです。……それで、さっきの話は」
「あのね、月代先生のティールームの奥のドアの傷、きっと見たでしょ」
「……はい」
「月代先生は、あのご自宅で、ずっと、定期的に、傷害事件をおこしてきた人なの。ナイフで人を刺すことが多いわ。そのうちの1人は、自分の娘さん。亡くなった人はいないんだけどね」(続く)
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