(3)個人的疑問と起源

 さてさて、(1)のお話が最もメジャーで、地元で良く耳にするお話なのですが、ここで私は疑問に思ったのです。


 あれ? 大蛇って悪役じゃない?

 どう考えたって、ツガニを祭るべきじゃない??


 と。


 だって、(2)で紹介したように、〝大蛇〟の方が目立ってんじゃん!!

 ツガニどころか、カニの「か」の字もないじゃん!!


 と思うじゃないですか。

 地元の方に聞いても、

「あら、そういえば、そうね……なんでだろうね……」

 と返って来る返答……。

 それもそのはずなんです。

 資料や専門家の話によれば、この民話と大蛇山は全く関係ないんだとか……。



 <以下、諸説あるかもです……>

 その昔、巨木が存在しました。

 そのことから彼らは、自分達の国を「御木みきの国」と呼び、巨木信仰がありました。

 時は流れ、農耕が栄えるようになってくると、次第に言葉は訛り、「御木みき」は「三毛みけ」と発音されるようになりました。そして丁度この頃、巨大な影を作る巨木は、農耕が盛んになった今では邪魔になり、切り倒される事になりました。


 開墾が進むにつれ、巨木信仰は次第に〝水源信仰〟へと移り変わっていきました。

 水源信仰として、信仰の対象となった三毛の山は、神聖な場所とし、人々から恐れ、崇められるようになりました。


 ある時、この地方に大きな地震があり、三毛の山に大きな窪みが3つ出来ました。それを知った後鳥羽天皇は、「三毛みけ」を「三池みいけ」と改名するよう、勅命を出しました。

 この時の話が後に、「ツガニの恩返し」という民話として伝承されています。


そして〝水源信仰〟とは、農業などに水が大切なことから、蛇や龍を水の神様の象徴とするもののことです。

 そのこともあり、農耕民族の信仰の対象である「霊峰三池山」は、龍(大蛇)の住む山としてさらに崇められ、人々は龍神(大蛇)を象った偶像を作るようになったのかもしれません。


 だって祭りで作られる大蛇って、大きな蛇っていうよりは、見た目は「龍」ですからね。


 また江戸時代初め、三池藩立花氏・柳川藩立花氏により悪病除けと雨乞いへの強い祈願が込められ、祭神を悪病除けや農業の神とする「祇園」のお宮が造られ、人々にも「祇園信仰」が広まりました。

 三池祇園の大蛇山は、こうした、「水神信仰」と祇園信仰」の二つの要素が絡み合い、やがて、祇園の祭りに大蛇が取り入れられたことで「大蛇山」が出来上がったと考えられているそうです。

 


 つまり、大蛇山祭りの〝大蛇〟と、民話「ツガニの恩返し」の〝大蛇〟は全くの別物なんですね~ってことです。

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