第327話

◆ ◆ ◆ ◆


 鐘の音に聞き覚えがあった。ハッキリとは思い出せない。だが、この鐘の音は不吉な音だとミラは予感していた。


 そして、それが現実となる。現皇帝の弟、アンタレスの父親が反乱を起こしたのだ。


 ヴィクトールユーゲントにいたミラ達のクラスは何が起きたのかまだわかっていない。


 教室に担当の先生がいつになっても現れない、シリウスは早く授業を受け、ミラのいう弱き者を助ける皇帝になるため身心を鍛えようとウズウズしていた。


 そして、教室の扉が勢い良く開くと、外からユーゲントの先生達が大挙してやってきた。


 シリウスはようやく授業ができると思ったが、どうやら先生の数からして授業どころではないのが一目で理解できる。


 先頭の先生がシリウスに視線を合わせると、安堵した表情を浮かべて、走り寄る。


「良かった!無事でしたね!?」


 先生の言葉に身体をビクリとさせるシリウスは、狼狽しながら言った。


「あ、あぁ……どうしたんだ?」


「皇帝陛下の弟君が反乱を起こしました!」 


 そう言って教室内を見渡す教師達。


「アンタレス様はどこへ?」


 反乱を起こした者の娘であるアンタレスを捕らえようとしているようだ。


「朝、登校はしてきましたが、どこかへ行かれたようです……」


 誰かがはアンタレスの動向を丁寧に説明した。


 ──朝から様子がおかしかったのはそのせいか…… 


 ミラはそう思っていると、ユーゲントの荘厳な入り口から、反乱を起こした兵達が雪崩れ込んでやってきた。


「シリウス殿下を守るんだ!」 


 教師達と生徒は教室内に立て籠り、シリウスを守ろうと陣形を整える。


 あっという間にユーゲント内は戦場となり、爆発音と悲鳴が鼓膜を刺激し、身体を揺るがす震動が彩る。


 教師達はやってきた兵士達の第一陣を蹴散らし、援軍を待った。


 援軍の多くは、現皇帝の側で戦っているが、シリウスの保護にもやってくると考えられた。それまで、守りきることを教師達は誓う。


 ユーゲントの生徒達も現皇帝の息子を死守することを目標に掲げ、戦闘態勢に入る。


 渦中のシリウスは、未だに事態を把握しきれていない様子だ。


 綺麗だったユーゲントの廊下や天井を支える柱は戦闘によって所々、削られ、土埃が舞っている。明かりを灯していた光属性魔法が付与されている魔道具がチカチカと点滅していた。


 すっかりと様相を変えたユーゲント内部。教師達の反撃により、反乱した兵士達は柱や空き教室内に隠れ、ジリジリと目標であるシリウスのいる教室へと詰め寄った。


 教師の1人が様子を見ようと、柱に身を隠していたその身体を、上半身だけ傾けて、敵の様子を窺う。


 すると、廊下の真ん中に生徒であるアンタレスが佇んでいるのが見えた。


 教師は息を飲み、柱に身を隠しながら交渉を試みる。


「無駄なことはするな!いずれ、ここに殿下の護衛がやってくる!!大人しく投降するんだ!!」


 アンタレスは呟いた。


「それはこっちのセリフ」

 

 教師はもう一度、アンタレスのことを見ようと身体を傾けると、シリウスや生徒達がいる教室が爆発した。


─────────────────────


 ミラは爆発に巻き込まれる。


 大きな音と悲鳴がこだまするが、悲鳴だけは途中で壊れたかのように途絶える。


 この状況はミラが過去に経験したドレスウェルの教会での出来事を想起させた。


 両耳を掌で抑えながら、そのまま頭を抱えるようにして、うずくまるミラ。


 アンタレスが介入しているのだから火属性魔法が付与されている爆弾など簡単に設置できる。


 そのことに誰もが気付かなかった。


 いや、アンタレスがそんなことをする筈はないと、誰もが信じたかったのかもしれない。


 爆発により多くの教師と生徒達は死んだ。


 ミラはまたも奇跡的に生きている。


 シリウスも生きていた。爆発で舞った粉塵を体内から吐き出そうと咳き込んでいる。しかし爆弾により崩れ去った天井は瓦礫と成り下がってシリウスの片足を潰していた。


 痛みに喘ぐシリウスにミラは駆け寄ろうとしたとき、声が聞こえた。


「そいつを殺しなさい」


 ボロボロとなった教室はその原型を止めておらず、入り口があったと思われる付近にアンタレスがいた。


「ミラ、シリウスを殺すの。そうすれば貴方は生きられる」


 ミラはその場にとどまり、整理しきれないこの状況に対して、脳をフル回転させる。


「現皇帝は必ず倒される。その息子も今や瀕死、彼を苦しみから解放するの。そうすれば、貴方は私の庇護下に置かれ、生き長らえることができるわ」


 アンタレスは短剣をミラに向かって放る。


 カランと音を立てて、ミラの足元にそれは落ちた。


「……」


 どうすれば良いのかをミラは考えていると、シリウスが呻き声を上げるようにして口を開く。


「ミラ…俺を殺すんだ……」  


 ミラは後ろを振り返る。そして、短剣を持たずしてシリウスに駆け寄った。


「俺は、最低な皇子だった……自分を守るために、立場の弱い者を傷付けてきた……それをお前が変えてくれた……これでようやく皇子らしいことができる。お前が生きられるのなら、俺は幸せだ。だから俺を殺せ」


 ミラは顔を歪めて涙を流した。


「…ハハハ……お前の泣き顔がこんなところで見れるとはな」


 ミラは涙を拭って短剣を取りにいく。


 何故、自分がこのような選択を迫られているのか理解できない。それよりもあの爆発の中、自分が無傷なのもおかしなことだ。もしかしたらアンタレスが爆弾を設置した際、ミラの席には被害が及ばないようにしたのかもしれない。もしくは別の何かが働いたか……


 ミラは短剣を取る。シリウスの前まで歩みを進める。その間に最適解を探したが、その時間はあっという間に終わりを告げる。


 ミラは立ち止まり、短剣を握り締め、高らかに振り上げた。

 

 シリウスは目を瞑り、安らかな表情をしている。これから殺されることが本当の幸せかのように。


 しかし、ミラは短剣を落とした。


「……私には…できない!」


 シリウスは困りながら悲しむように笑った。そして、そんなシリウスの顔面に向かって火球が飛び、シリウスの命を奪う。


 ミラは直ぐにファイアーボールを放ったアンタレスを見やった。


「どうして!?」


「ふぅ……これは戦争だ。初めはお前を引き入れようと考えたのだが、いつの間にかお前は他者と関わり始めた。これが最後のチャンスだったのに……」


 アンタレスはそう言うと、廊下があったところを見やる。


「貴方と一対一で戦って勝てるなんて思ってないわ。入りなさい」


 アンタレスの声と共にオールバックで前髪だけが触角のように垂れ下がった男が現れる。その男を見てミラは呟いた。


「四騎士の……」


「そう。この反乱は四騎士の協力が大きい。現皇帝の残虐性に多くの戦士達は我々についたわ。お願いミラ。貴方を殺したくはない」


 四騎士の1人、エンゲルベルトはフレイムブリンガーという魔剣を肩に担ぎ、ミラを見据えている。


「確かに俺もこんなガキを殺したくはねぇな……本当に強いんですか?」


 エンゲルベルトはギョロりとした目玉をアンタレスに向ける。


 ミラは思った。


 ──何故、私は生きているの?


 そして、周りを見渡した。友と呼べる者達が死に、その内の1人が自分を殺そうしている。


 ──どうして生きるの?


 ミラは自問した。


 ──幸せを感じた瞬間、すべてが崩れ去る。景色が、人の命が……


 ミラの今まで知り合った親しい者達が横たわるのが見える。瓦礫に潰れながら、魔物に食われながら、燃えながら。


 ──私は幸せを望んじゃいけないんだ……そうだ!私が死ねば良いんだ!!


「…して……」 


 ミラは涙を流しながら懇願する。


「殺して……私を殺して……」


 アンタレスは目を瞑り、大きく息を吸い込んだ。そしてミラに背を向けると、隣にいるエンゲルベルトに告げた。


「苦しまないように殺してあげて……」


 エンゲルベルトはため息をついて了承する。


「はぁ、損な役回りだ……」


 一歩、また一歩とミラに近付くエンゲルベルト。そして、顔つきが変わった。戦士の眼差しを、涙を流す少女に注ぎ、魔剣を中段から、首目掛けて振り払う。


 しかし、魔剣はミラの首には触れず、すんでのところで止まった。


 エンゲルベルトは、何故だか全く理解ができない。困惑した表情をミラに向け、呟く。


「魔法か……?」 


 そして、自分の腕が勝手に動き出す。


「なんだなんだ!?」


 その声に反応するアンタレスは後ろを振り返ると、エンゲルベルトが自慢の魔剣を自分の首にあてがい自害する瞬間だった。


「え?」


 どさりと倒れるエンゲルベルトを見てアンタレスは叫ぶ。


「な、何をしたの!?」


 ミラは何か恐ろしいものを見たかのように、目を見開き、呼吸を浅くしているだけだった。


 アンタレスの叫びに、廊下で待機をしている反乱軍の兵士達は、教室へと入って来ようとする。


「待って!」


 アンタレスは兵士達に静止を呼び掛け、ミラに向かって歩み寄った。


 先程シリウスを殺すように渡した短剣を拾い上げ、ミラの心臓目掛けて短剣を突き立てると、エンゲルベルトと同じようにしてアンタレスは自害した。


 ミラの瞳に困惑と恐怖を顕にしたアンタレスの顔が永遠に焼き付いた。   


 そして、反乱は鎮められた。


 皇帝の弟は見事鮮血帝と恐れられた皇帝の殺害に成功したが、その後、姪であるマーガレットに捕らえられ、処刑されたのだ。


 マーガレットは反乱を企てた叔父の動向を知っていた。四騎士のシドー・ワーグナーとクリストファー・ミュラーに力添えをしてもらい。叔父に与するように伝えてあった。


 皇帝である父と反乱を実行した叔父の戦力が下がったところをマーガレットが漁夫の利のように掠め取った形となる。


 こんなことが出来たのはマーガレットの先見の明とマキャベリーによる暗躍が大きい。最後まで腹が見えなかった四騎士エンゲルベルトの死は僥倖であった。


◆ ◆ ◆ ◆


~ハルが異世界召喚されてから23日目~


 馴れ合いはしない。どこに幸せが転がっているのかわからないから。


 ミラは幸せから逃げるように、今まで生きてきた。自分を慕うものがいれば無下に扱い、ダンジョンへ行って魔物を殺す。


 もしかしたら何かの折りに自分が死ぬかもしれないと期待を込めて潜り込む。


 アンタレスが死んでから、何度か自殺を試みた。しかし、ミラは死なない。死ねなかった。首にあてがった刃は脆く崩れ去り、高所から飛び降りれば大地と激突する前に加速した落下速度が緩やかに減速する。


 神はミラに幸いを許さなければ、死すらも許さなかった。


 どうせ生きてしまうなら、間接的に誰かを幸せにする生き方がしたいとミラは考えた。


 どこからが幸せでどこからがそうじゃないのか、ミラは試行錯誤しながら生きている。


 しかし、ここへきて今までにない事態に迫られている。


 元々敵だった、勿論今でも敵には違いないが、ハル・ミナミノの存在によりミラは混乱する。


 自分と同等、或いはそれ以上の強さを有する敵。敵であるのだから死んだって構わない。現にミラは彼を殺そうとした。


 しかし、これまで共闘してきて、ある感情がミラに芽生え始めた。


 これ程の力を一朝一夕で身につけることなどできはしない。きっと、数々の修羅場を潜り抜けたことだろう。敵に敬意を払ったのは久しぶりだ。


 殺し合うことで、本気でぶつかり合うことでわかることがある。


 そんな友情関係もあるのだと思った。 


 ミラは自分に危機感を覚える。


 こんな感情は初めてだからだ。


 ダンジョン内を探索してから暫くして、ようやく出口らしきものが見えた。


 光が差し込んでいるのが見える。


 まるでミラの心の闇を、その光が払ってくれるかのように。


「見て!出口だよ!!」


 ハルは無邪気な笑顔をミラに向けて、出口に向かって走った。


 ミラは少しだけ顔を綻ばせ、光に向かって歩みを進める。


 ──ここから、出ればまた敵同士……この時間がもっと続けば良かったのに……


 ミラはハッとする。自分は何てことを考えているのかと。


 ──ダメだ!!そんなことを考えたら……


 ミラは知っていた。久し振りに感じる胸の温かみを。


 ──抑えろ!!


「どうしたの?」


 ハルが首を傾げながら訊く。


「私から離れろ!!殺すぞ!!」  


「え……」


 必死に悪態をつくが、遅かった。


ゴーン ゴーン


 鐘の音が聞こえる。久しぶりに聞いた鐘の音。


 ──まさか…こんなにも簡単に……


 ミラの表情は虚ろになった。


「どうしたの?具合でも悪くなった?」


 ミラは謝罪する。これからハルに降り掛かる災難に対して。


「すまない……」


 すると、出口の光を遮るようにして、誰かが立っているのが見えた。


 緑色の髪に、腕には金色の腕輪を幾つも身につけ、その者が少しでも動けば腕輪同士がぶつかり合い、音を立てる。手には背丈ほどあるこれまた金色の杖を持つ。その尖端には球体が付いていた。


「よくぞここまでたどり着きましたね」 


 その者がハルとミラに告げる。


「誰だ?」


 尋ねるハルの横でミラはうずくまり震えていた。


「私はレガリア。主の命によりあなた方を足止めさせていただきます」

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