3章② 僕はこう見えても
僕はふわふわした足取りで、学内を歩いていた。
さっきまで、学内のカフェで水無月――いや、葵(名前で呼び合うことにした)と話していたのだ。
本当に楽しい時間だった。
話は合うし、葵は醸し出す空気が優しくて、いつまでも一緒にいたい気持ちになる。
(友達って、いいもんなんだな)
18歳にしてようやく、その事に気づけた。教えてくれた舞には感謝しないと――
「通してください……」
聞き覚えのある声に、僕は立ち止まった。
なんと舞がいた。サークル棟の近くの木陰で二人の男に絡まれ、小動物のように身を縮めている。
(え!? なんで舞が大学にいるんだ?)
いつもよりやや派手な格好をしているし、髪型も違う。
でも……合点がいった。
葵に話しかける前に聞こえた「がんばって」という声。あれは舞のものだったのだ。応援にきてくれたのだろうか。
絡んでいる男の一人は顎髭をはやし、片割れはライダースジャケットを着ている。
いずれも僕より、身長も横幅もでかい。だが放っておけるわけがない。
迷わず駆け、舞を二人から守るようにたちふさがった。
「セ、センパイ……」
背後からの弱々しい声。勝ち気な彼女が、いつになく怯えている。
ライダースジャケットが僕を見下ろしてきた。
「あぁ? おまえ、この子の彼氏?」
違う、と言おうとしたとき、顎髭が続けた。
「違うよな。ぜんぜん釣りあってないし」
「そう思うなら、質問するな」
言い返すと、顎髭が僕に額をおしつけてきた。ドスの利いた低い声で、
「ヒョロ男が口答えすんの? ボコられたくなければ失せろ」
(君は本当に、名門の陸奥大生ですか?)
『どっかのヤクザ見習い』とか言ったほうが、まだ説得力がある。
(こんなふうに絡まれるのも、久しぶりだな)
高校時代にイジメられた事を思い出す。
でもいくらブチのめされようが、屈した事など一度も無い。今は舞を守れればそれでいい。
「舞、逃げろ」
「でも」
「案ずるな。僕はこう見えても喧嘩慣れしている」
生涯全敗だけど。
「……!」
背後から、舞が駆けていく音。
男二人が、追いかけようとする。
僕はその前に立ちはだかり、毎朝の朗読で鍛えた喉で一喝する。
「行かせん!」
「ヒーロー気取りか? うぜえんだよ!」
顎髭が振りかぶって、パンチを放ってきた。
僕はかわす――のではなく。
自分から己の額を、相手の拳にぶつけにいった。
(人間の額は非常に堅い。小口径の拳銃の弾丸なら弾くこともあるという)
それを利用し、相手の拳を砕くことを考えたのだ。完璧な作戦。
衝撃。
顎髭の拳が鮮血に染まった――! ……僕の鼻血で。
命中したのは僕の額ではなく、鼻だった。
(ぐっ)
背中からぶっ倒れる。
超痛いし、鼻がツンとして涙がボロボロ出てくる。思わず目を閉じてビビってしまった分、狙い通りにいかなかったらしい。
(追撃がきたらやばい)
起き上がろうとしたとき、事態は思わぬ方向へ進んだ。
慌てたのは敵だったのだ。ライダースジャケットが、顎髭に叫ぶ。
「おい、なに殴ってんだよ!」
「し、知らねえよ! こいつが勝手に突っ込んできたんだよっ」
どうやら威嚇のためのパンチだったらしい。
だが僕からぶつかりにいったので、混乱しているようだ。
この流れに乗ってやる。喰らえ必殺――
「ぎゃああああああ! 鼻が折れた!」
地面を転がり回って、慰謝料目当ての当たり屋のごとく悲鳴をあげた。
多分折れてはいないだろうが、思い切りビビらせてやる。
「おいやべえよ。逃げるぞ!」「おおっ」
二人は、脱兎のごとく駆けていった。
(追っ払ったか……)
大きく息を吐く。極めて情けない戦い方だが、舞を守れたからそれでいいのだ。
服を見れば、砂だらけ。おまけに鼻血までついていた。これ『ヴィズマ』で買ったばかりなのに……
(くそっ、クリーニング代置いていけ)
心中で毒づいていると、舞の声が聞こえた。
「センパイ!」
そちらを見ると、舞が胸を揺らしながら駆けてくる。その後ろから一人の男性がついてきている。凄いイケメンだ。
「その人は?」
「センパイが危ないと思って、頼りになりそうな人に声をかけて連れてきたんです――ところで大丈夫ですか!?」
「見た目ほどは、ひどくない」
「あぁ血が……! 拭かないと……」
舞が僕の傍らに膝をつき、バッグをあけた。
狼狽しているのか、取り出すのは手鏡やらスマホの充電器やら、関係ないものばかり。
ようやくポケットティッシュを取り、鼻に当ててくれる。
ティッシュ越しに、舞の身体の震えが伝わってきた。大きな瞳に涙があふれて、今にもこぼれそうだ。
残念ながら僕は女の子の涙をぬぐったり、頭をポンポンできるような男ではない。「僕は大丈夫だから、お、落ち着いて……」と情けなくオロオロするしかない。
するとイケメンさんが、しゃがんで声をかけてきた。
「勇気あるねー。女の子守るために、自分が盾になったんだって?」
「は、はあ……あれ?」
この人、どっかで見たことあるな。
彼はいたずらっぽく笑って、親指で己を指さす。
「覚えてない? 俺、俺」
あ。舞と一緒に、僕の服を選んでくれた……
「『ヴィズマ』の店員さん」
「正解。俺あそこでバイトしてるんだ。先日は、毎度ありがとうございました!」
冗談めかして頭を下げてくる。
「俺は青森出身、理工学科一年の光城光輝。光る城に、光り輝くと書く」
光城が手を貸して、立ち上がらせてくれる。
続いて僕の全身についた砂を払ったあと、
「ジャケットに血がついちゃったな。脱いで」
「なんで?」
「血は早く水洗いしないと、取れなくなるんだ」
ジャケットを脱いで渡す。
光城は近くの水道へ行き、血が着いた箇所に流水を当てて軽く叩く。その表情は真剣そのもので、商品への愛着が感じられた。
「……よし。血が落ちた。ちょっと冷たいだろうけど、ガマンしてな」
僕にジャケットを羽織らせてくれる。
「うん、やっぱりよく似合ってる」
まじまじと僕の全身を見てきて、
「それになんていうか、この間から少し雰囲気も変わった?」
「前と比べて、背筋が伸びてるからじゃないでしょうか」
舞の言葉に『なるほどね』と光城が頷いた。
舞以外の人に、トレーニングの成果を褒められたのは初めてなので、嬉しかった。
●
わたしとセンパイは、陸奥大学内のベンチに二人で座った。
夕焼けで染まったグラウンドで、運動部員達が練習している。
光城光輝さんはセンパイとLINEのIDを交換したあと『俺のことは光輝と呼べ。じゃあな、サークルへ行く!』と去っていった。距離の詰め方がすごい人だ。
ティッシュを鼻につめたセンパイが、わたしを見て、
「ところで、なんで陸奥大にいるの」
私は後ろめたさから目をそらし、ぼそぼそと、
「その……高校の授業が終わった後、着替えて侵入を」
「なんで」
「昨日センパイ『自分では気付かない改善点もあるかもしれない』って仰ってたじゃないですか。私も近くで観察して、ご指摘できればなと」
なるほど、とうなずくセンパイに、深く頭を下げる。
「教室で声をかけてしまって、スミマセン。そのせいで転んで……」
「気にしないでいい。あれがきっかけで、水無月と話す機会が生まれたんだ。むしろ感謝してるよ」
気遣ってくれているのだろうか。優しい。
(それに)
さっきは身体を張って助けてくれた。意外なほどに肚が座っていて、とても男らしかった。殴られて痛いはずなのに『僕は大丈夫だから……』と、うろたえる私を気遣ってくれた。
思い出すと心臓が高鳴り、全身が火照ってくる。
最近抱いていた心のモヤモヤの正体が、はっきりした。
(私、この人が好きみたいだ)
私は以前、ネトゲでパーティを組む『ガウェイン』に惹かれ、まだ見ぬそのプレイヤーに恋していた。
だが実際プレイヤーであるセンパイと会うと、ダサくて、兄の『サトにー』と同じように覇気もなくて……
ガウェインと正反対だと思い、その気持ちはしぼんだ。
(でも、私は表面的なところしか見ていなかった)
センパイは、何者にも屈しない強靱な芯を持っている。それは私が憧れたガウェインそのものだ。
隣に座るセンパイの横顔をみる。愛おしくて抱きつきたくなった。
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