3-7 愚か者たちの生き方

 風が吹く。暗い空の上から地面に向かって、冷たい北風が吹き下ろす。


 朽ちた塔が燃え落ちていく。


 どれほど螺旋階段を下ったのか。気付けば、ミッコは盲目の女ガーゴイルの石像に両脇を抱えられ、空を飛んでいた。

 大地に降りる。いつぶりだろうか、両足が土を踏む。塔の麓は上空から降り注ぐ様々なもの──火の粉、灰、黒い液体、燃え落ちる残骸、燃え死ぬ光る虫──が折り重なり、泥沼のようになっている。

 盲目の女ガーゴイルの石像はミッコを地面に降ろすと、その泥沼の中で固まり、動かなくなった。


 ミッコは空を見上げた。朽ちた雨が降る暗い空、見上げた塔は燃えていた。


「貴様ぁ! 女王陛下に何をしたぁ!?」

 突如、咆哮が轟いた。現れたグレタは短刀を手に、ミッコに襲いかかってきた。

 猛将の如き圧力で迫り来るグレタを、ミッコは殴り飛ばした。殴る直前までは屈強な男に見えていたが、しかし殴った腹の感触は男のそれよりも脆かった。泥の中を転がるグレタは、殴られたことが信じられないといった少女の顔で困惑していた。

 話をする気はなかった──そもそも、噛み合わない──しかし、ミッコは最初に頭を下げた。

「助けてもらったのに、こんなことしてすいません」

「死に損ないの恩知らずが……。我が国を焼き討ちにして……、謝って許されると思っているのか!? お前の抉れた顔を、傷だらけの肉の塊を治してやったのは誰だと思っている! せっかくまた仲間と会わせてやったのに! 何が不満だというのだ!?」

「不満はないです。ただ、方向性の違いです」

「無学な! 浅はかな! 愚か者が! 神秘を探究せし女王陛下の大いなる意志を理解できぬバカめが! せっかくの人並み外れた武勇を持っているというのに、それを真に偉大なもののため生かせぬとは……! 異端者にも劣る神への冒涜! お前は、その力を真に偉大な栄光のために使おうとは思わないのか!? 〈東の覇王プレスター・ジョン〉を滅ぼし、より良い世界を作ろうとは思わないのか!?」

 その意志を語るとき、筋骨隆々の男となるグレタはやはり凄まじかった。理由はわからないが、グレタは二百年も前に過ぎ去った〈東からの災厄タタール〉を本気で清算する気でいるとしか思えなかった。

「悪いが、あなたの信仰はどうでもいいんです」

 しかし、ミッコはグレタの思いを丁重に断った。

 もちろん、助けてくれたことは感謝していた。かつての仲間たちに会わせてくれたことも感謝していた──本当にグレタのおかげなのかは別として──結果的に、ミッコは前へ進む一歩を踏み出すことができた。

 ただ、過去に囚われたグレタにとって、前へ進むことは滅びだったのだろう。それだけの違いではあるが、しかし二人にとってそれは決定的に相容れぬ決裂であった。

「俺は行きます」

「たかが女一人のために、新たな世界を捨てるのか? 待っているかもわからぬ女一人のために、神の恩寵を捨て去るというのか?」

「あなたの言う世界は広い。でも、俺は求めていない。俺は独りでは死にたくない。まだ生きているなら、俺は愛した女と一緒に生き、死にたい」

 グレタは世界のためと説き、ミッコは自分のためと説いた。そもそも話が嚙み合っていないのだが、しかしお互い身勝手極まりないとミッコは苦笑した。

 先ほどまで猛将と化していたグレタは、今はもうしわ枯れた老婆のように腰を曲げ、へたり込んでいた。

「腰、大丈夫ですか?」

「うるせぇ……」

「さようなら。お世話になりました」

 ミッコは炎に包まれていくグレタに頭を下げた。

「南へ行け……。待ち人はそこにいる……」

「ありがとうございます」

 その情報が何を意図してのものなのかはわからなかったが、しかし意味は不要だった。ミッコは燃え落ちていく〈塔の国〉を背に、南へと歩き出した。


 風の声──遠く北限の峰から吹く北風が、炎をまとい、吹き荒れる。


 何一つ穏便に済ませることができないままの旅立ちとなった。結局、どれだけフーを憎み恨もうとも、自分はフーと同じことしかできないのだとミッコは自嘲した。

 争い、破壊し、奪い、踏み躙る……。愚かな生き方だと思った。しかし、それが己が生きてきた道だった。ならば、最期まで戦い続けるべきだと思った。奪い、犯されたのならば、奪い返し、犯し尽くすと決めた。自らのために生きるのならば、その生き方を迷いなく貫くと決めた。


 しかし、こんな男をエミリーは受け入れてくれるだろうか……──その迷いは、炎に焼かれても決して消えることはなかった。


 灰か、雪か、炎の周りはどこもうっすらと白んでいた。しばらく雪道を歩くと、一頭の馬がいた。

「パーシファル」

 槍のように鋭い眼光──それはグレタが連れていた馬だった。ミッコは馬の名を呼び、手綱を握った。

「俺はお前に乗る。わかったな」

 背中に跨った瞬間、様々な感情が伝わってきた──ミッコはそれら全てを足で締め付け、手綱で御した。

 ゲーフェンバウアーのような相棒には程遠いが、しかし即席の主従が出来上がる。

 パーシファルは非凡な馬だった。能力だけなら、ミッコの愛馬であるゲーフェンバウアーに勝るとも劣らないかもしれなかった。


 ミッコは馬腹を蹴り、駆け出した。


 無人の野を人馬は駆けた。しばらくして、雑木林の中にある廃村に辿り着いた。雪に白む雑木林に囲まれた村は、まるで冬に閉ざされているかのように静かだった。

 家屋はほとんど焼け落ちており、至るところに死体が転がっていた。ここが一時滞在したデグチャレフ村であることに、ミッコはしばらくしてから気付いた。

 ミッコは廃墟を巡り、死体を漁った。何人かは知った顔もあったが、幸いエミリーはいなかった。女子供は奪われたのか、死人の大半は男だった。

 ミッコは布切れを重ねコートとし、木を削って即席の弓矢を作った。僅かに残った飼葉は、まとめて馬の背に積んだ。あり合わせの旅支度を整えると、ミッコはまた馬首を南に向けた。


 地平線に、冬の訪れを告げる風が吹いた。その強き北風ノーサーは、迷うことなく南へと吹き抜けていった。

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