遥かなる地平線に血の雨を

寸陳ハウス

序章

戦争の終わり

 風が哭き、血が飛び散る。


 白い秋風が渦巻く。厳つい甲冑同士がぶつかり合い、剣戟が血を流す。戦列の間を矢弾が飛び交い、火と鉄の雨が人馬を穿つ。跳ね飛ぶ砲弾が大地をえぐり、あらゆる声色を引きちぎる。

 死が交錯する。それでも両軍の軍靴と鼓笛は整然と歩み続ける。

 血と泥に塗れた戦場で、薄汚れた軍旗が交錯する。〈帝国〉の黒竜旗と〈教会〉の十字架旗、どちらがどちらか、それさえ曖昧になるほどの激戦が秋の暮れを血で染める。


 煤塗れになった〈帝国〉の黒竜旗を掲げ、黒き胸甲騎兵たちが血濡れの大地を駆ける。突破口を穿つべく、雄叫びを上げ敵陣へと突撃を仕掛ける。しかし十字架旗を掲げた歩兵戦列はその突撃を真っ向から受け止め、押し返す。

 火と鉄の雨が降る。マスケット銃兵の弾幕射撃に黒き胸甲騎兵が倒れていく。それをかい潜った者も、待ち受ける長槍パイク槍衾やりぶすまに突き落とされていく。馬脚は止まり、馬上の刃は十字架旗には届かず、黒き人馬は屍の上に屍を積み上げていく。


 この一戦で戦いは終わる──長きに渡る〈帝国〉と〈教会〉の戦争は終わりを迎えようとしていた。ただ、この一戦に勝利などないことは明白だった。これが終着点を見失った戦争の成れの果てであることを、誰もが肌で理解していた。それでもなお、男たちは命を懸けて戦いに赴いた。


 胸甲騎兵の黒き軍装が血に澱む。突撃は何度も頓挫し、今や掲げるべき黒竜旗さえもが失われている。

 どうするべきか、死をも恐れぬ男たちにはっきりと逡巡の色が表れ始めたそのときだった。騎兵隊の指揮官たる黒騎士が叫び、最前線へと躍り出た。

 サーベルの切っ先が〈教会〉の十字架旗を指し示す。火と鉄の雨に向かい、ただ一騎が勇ましく大地を蹴る──黒騎兵オールブラックス、前へ──そう黒騎士は叫び、そして頭を銃弾に撃ち抜かれた。

 兜から噴き出す血がその最期を告げる。『天も、地も、人も、全てに仇なし、悉くを焼き尽くす』──老兵となってなお、そううそぶきながら戦い続けた男は死んだ。

 馬上から崩れ落ちる黒騎士を、咄嗟に別の騎士が支える。彼は一度は戦いから逃げ出したが、しかしかつての仲間たちの危機に駆けつけた。だが彼もまた銃弾に撃たれ、地に落ちた。


 一人の少年兵が地に落ちていた黒竜旗を拾い上げ、敵陣へと駆け出した。誰かが「前進」と叫び、誰かが「突撃」と叫んだ。少年兵は火と鉄の雨の僅かな間隙を駆け抜けると、黒竜旗を敵に突き立て、勢いのまま首をもぎ取った。そして討ち取った首を穂先に掲げ、天に向かって咆哮した。

 燃え上がる黒竜旗の闘志が殺意の奔流となる。しかし十字架旗は怯まなかった。銃火の弾幕も、槍衾やりぶすまの穂先も、むしろ黒竜旗の突撃に呼応して激しさを増していた。

 尋常でない殺意がぶつかり合い、また血飛沫が舞った。それでも戦いの音が鳴り止むことはなかった。



*****



 やがて戦いは終わった。長きに渡る〈帝国〉と〈教会〉の戦争も、互いに死力を出し尽くした果てに終わりを迎えた。


 全てが終わり、そして燃え落ちる。血に染まった地平線に、血塗れの太陽が落ちていく。

 おもむろに、血溜まりの中から一人の兵士が起き上がる。血と泥に塗れた軍装は何者かさえ定かではなかったが、横顔にはまだ少年の面影が残っている。

 黒竜旗を掲げて敵陣へと向かっていった少年兵は生きていた。しかし今は地に膝をつき俯いている。

 戦場のどこからか、馬が一頭現れる。濡れた馬蹄が少年兵に近づき、静かな鼻息がその頬を撫でる。

 馬に気づいた少年兵が顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。血と臓物が飛び散り、多くが人ではない肉塊になり果てた戦場で人馬は生きていた。多少の傷こそあれ、人馬は共に五体満足であった。


 ただ一騎が、全てが終わった戦場に立つ。


 しばらくの間、生き残った一騎は何をするでもなく地平線の彼方を眺めていた。やがて北風が吹き、その一騎もどこかへと流れ去っていった。

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