3-4 騎士殺しの黒騎士②

 風が火の粉をまとい、暗闇を薙ぎ払う。


 騎士殺しの黒騎士のサーベルが、真っ暗になったミッコの左目を掠める。

「ちょっと待って下さいって! 俺、怪我してんですけど!?」

「怪我人だからって手加減してもらえると思うなよ!」

「それに武器も持ってないのに……!」

「泣き言ばっか言ってんじゃねぇよ! 武器がなくたって戦うぐらいできるだろうが!」

 黒騎士の言い分はめちゃくちゃだったが、しかし実際その通りでもあった。戦場では手負いの者から殺される。そして相手が襲ってくる以上は、武器がなくともどうにかして戦うしかない。

 咄嗟に、ミッコは篝火の一つを蹴飛ばした。赤熱する薪が地面を転がり、燃え上がる火が黒騎士を焦がした。暗闇に燃える騎士殺しの黒騎士は笑っていた。

 ミッコは篝火のそばにあった火かき棒を手に取った。戦闘用のサーベルに対抗するにはあまりにも非力だが、ないよりはマシだった。それに物は使い様である。うまく使えば殺すことはできなくとも、無力化するぐらいはできる。


 病み上がり、しかも左目が見えないという状況の焦りはあったが、得物を手にしたことでミッコは少し冷静になることができた。そして打ち合うことで、しっかりと状況を計ることができた。


 目にも止まらぬ剣戟──ということはなかった。左目が見えないことを除いても、その動きは確実に捉えることができた。


 そもそも騎士殺しの黒騎士は決して強くはない。体躯も武勇も人並みであり、強い者はいくらでもいる。ミッコが黒騎兵オールブラックスに兵士として従軍し始めた時点で、騎兵としてはすでに老境に達しており、途中からはより上位の軍団の指揮官に昇進して最前線からは離れていた。若いときを知らないが、初老となった今では、その気迫に体の動きが明らかに追い付いていない。それでも、見えない左目を執拗に狙う狡猾さは、その性格の悪さが十二分に滲み出ている。


 風が哭く。断続的、しかし執拗なサーベルの刃が暗闇を薙ぐ。

 戦いは基本的には攻撃側が主導権を握る。守っているだけでは、攻撃せねば戦いには決して勝てない。


 ミッコは間合いを計りつつ、反撃に転じた。

 剣戟を避け、踏み込み、火かき棒の先端で黒騎士の胸甲を突く──お互いに驚きはなかった。ただの一撃であっさりと形勢は逆転した。

 オンボロの火かき棒は今や必要さえなかった。ミッコは火かき棒で牽制しつつ、相手の腕を抑え、サーベルを奪い取った。

 それで形勢は決したが、しかし黒騎士はなおも諦めず、サーベルを奪い返そうと襲いかかってきた。懐に潜り込まれ、組み付かれたので、仕方なくミッコは応戦し、殴り返した。そして黒騎士に馬乗りになると、体重を乗せ、サーベルを首に押し当てた。

 一筋の血が首元から流れ、刃を濡らす。刃を抑える黒騎士の両手に血が滲み、手袋が赤く染まっていく。あと少し力を入れれば、首が落ちる。

「これまでです! 勝負は着きました! もう終わりにしてください!」

「終わりにしたいならお前の手で片付けてみろ! 俺はまだお前を殺すつもりだぞ!」

「いい加減に諦めてください! この状況でどうやって……!? このままだと死にますよ!」

「死人の首を切るぐらいなんだ! そんなこともできねぇのか!? お前はそんなお利口ちゃんじゃねぇだろうが!」


 元上官の往生際の悪さにミッコは呆れ、閉口し、そして思い出した──決して優れた人間ではない騎士殺しの黒騎士を一角の将軍たらしめているもの──どんな逆境にも活路を見出そうとする、その不屈の精神を。


「戦い始めたら殺し切れ! そんな舐めたマネしてるからお前は負けて全部奪われたんだ!」

 ずっと神経を逆撫でしてきた言葉が、ついに逆鱗に触れた。

「やれ! やってみろ! 殺せるもんなら殺してみろ!」

 浴びせられる罵詈雑言の中、ミッコは吼えた。そして力任せにサーベルを首に押しつけた。


 肉と骨を断つ感覚とともに、騎士殺しの黒騎士の首が落ちる。血飛沫と流血の中、漆黒の胸甲騎兵の軍装が赤く染まり、物言わなくなった瞳が暗闇を仰ぐ。


 しばらくの間、ミッコはへたり込み、暗闇に沈む死体と塔を見ていた。


 戦いは終わった。そして勝った。しかしこの感覚は、〈帝国〉と〈教会〉の最後の戦いが終わったときに似ていた。


「気は済んだか?」

 どれほどのときが経ったのだろうか。唐突な声が静寂を破った。

「おい、何か言えよ」

 声なき者──で、あるはず──の声が聞こえた。ミッコは我に返り、我を疑った。

 騎士殺しの黒騎士の生首は確かに唇を動かし、喋っていた。その死んだような黒い瞳には、うっすらと光が灯っていた。

「やっぱりお前は強かったな」

 そう言って黒騎士の生首は微笑んだ。


 ミッコは完全に自分の頭がおかしくなったと思った。


 遥かなる地平線への旅の道中、ミッコは様々なものを見た。何もかもが新鮮な、しかしどこまでも色褪せた風景の中には、明らかに現実離れしてるものもあった。マルーン神父は、地平線は様々なものを魅せるといった。もしこれがそれだとしたら、文明の最東端と伝わる〈塔の国〉は〈東の覇王プレスター・ジョン〉に滅ぼされてよかったと思った。これが塔の女王が魅せるものだとしたら、〈神の奇跡〉も〈神々の児戯〉も、どんな強大な魔法もどんな偉大な神秘も、秘匿し忘れ去られるべきだと思った。


 ミッコは死んだみんなに会いたかった。しかしこんな再会の仕方を望んではいなかった。ミッコは生前の彼らに会いたかったのであり、何かに囚われてしまった彼らが魅たいわけではなかった。

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