◇後日談 惚れた弱み その1
あれから数週間が過ぎた。私は成り行きでそのままユリウスの住処に居座りながら、彼の仕事を手伝っていた。
彼の暮らしは、海の魔法使いと言えどもいたって素朴だ。日中は海や地上で薬の材料の採取や人間相手の商談に出かけ、夜は調合をする。人魚相手の商談は夜遅くが多い。グレーネの姫である私がここに居候しているのは周知の事実のようだが、あまり大きい顔はできないので、近くの海を泳いで終わるのを待つことにしている。
今日のユリウスは、地上へ材料の採取に行っていた。地上に出られない私は、今まではただの留守番だったが、このところは簡単な調合まで任せてもらえるようになっていた。
もうすっかりなじんで見慣れてしまった住処の壁には、ぷかぷかと細長い瓶が並ぶ。その中には、深海生物さながらの鮮やかな薬液が入っている。赤、黄色、緑、青。ここに来た初めの頃は、それらはどんな効果がある代物なのか全く見当もつかなかったが、最近は少しずつわかるようになってきた。効果はすべて一時的なものではあるが、例えば水中で呼吸できるようになる薬、若返る薬、それに身体強化できる薬、など様々だ。
たまに、これらを自分が飲んでみたらどうなるのだろう、という好奇心に駆られることはあるが、取り返しのつかないことになったら怖いので試したことは無い。
かまどにあるのは、ゆらゆらと揺らめきながら燃える、摩訶不思議な水中の炎。手をかざすとほんのりとあたたかい。初めてその光景を目にしたときは目を疑ったものだが、いつのまにかこれにも慣れてしまった。
そんなことをぼうっと考えていると、ちりちりと焦げる音がしてはっとする。慌てて鍋の中を覗き込むと、中の薬草は見るも無残に炭と化していた。
「ああ~~っ!!」
襲ってくる脱力感やら不甲斐なさで、私はへなへなとその場に崩れ落ちた。失敗は何もこれが初めてではないが、せっかく一人で任せてもらえたのに、と思うとやりきれない気持ちになる。
ちょうどその時、運が悪いことに住処の主が帰ってきた。びくりと身がすくむが、時すでに遅し、である。
「姫さん、できた? ……って、焦げてんな。」
頭上からは呆れかえった声が降ってくる。まるで予想はしていたとでも言わんばかりの声色だ。
「ご、ごめんなさい……」
「う~ん……。どうしてやろうかな~?」
ユリウスは丸い目を悪戯っぽく細めたまま、にやにやしている。その笑顔がやけに嬉しそうなのは、私の弱みを握って何か恐ろしいことをしでかすつもりなのだろうか。
ふと、彼が初めて会った時にほのめかしていた問題発言を思い返す。
『一生ここに監禁させてもらうけどね』
これまではすっかり忘れていたが、あの冗談か本気かわからない発言には肝を冷やしたものだ。まさかここに来て、魔法使いの人体実験モルモットになるというペナルティーが発生して、バッドエンドになるのだろうか……と思うと、さあっと血の気が引く。
今までは自由に過ごさせてもらっていたが……考えてみれば、確かに想いは通じ合ったはずだが、あれがエンディングだったのかどうかは確証が持てないのだ。彼に関わるルートなど何一つ知らない私にとって、今現在はもはや未知の領域でもある。
「黒薔薇の棘……真珠の粉。ミントにシナモンスティック……あとは」
私が冷や汗をかいているのをよそに、ユリウスはおもむろにかまどの前に立つと新しい鍋に材料を入れ始めた。
「クロヤモリの卵」
「――っ?!」
最後の一品が想像以上にグロテスクで、声にならない悲鳴を上げる。ここに来てから様々な材料を見てきたので少しは見慣れてきたつもりだったが……それでも、彼が今から何を作ろうとしているのかは見当もつかない。
「ね、ねえ。いったい、どうしたの?」
鍋の中にはおどろおどろしい色をした液体がふつふつと煮えたぎっている。彼が作るとあっというまに出来上がるのは、いったいどんな魔法を使っているのだろうか。いくら悪戦苦闘しても、傷薬の一つもまともに作れない私とは雲泥の差だ。
海の魔法使いは細長いガラス瓶をどこからか取り出すと、慣れた手つきで出来上がった液体をその中へと注いだ。まだ湯気を立てているそれは、瓶に触れた途端に白い煙をもくもくと纏わせる。
「はい、姫さん。どうぞ」
そのまま彼は出来立ての薬液を差し出してきた。赤と黒の混ざった、お世辞にもおいしそうとは呼べない色に私の顔が引きつる。
「な……何よ、これ」
「何って、罰ゲームだよ。」
そういわれるとぐうの音も出ない。だが、効用を一切知らされないまま飲まされるほど理不尽なことはない。それに、先ほど口にしていた不穏な材料を思い返すとなおさら口にする気にはなれなかった。
「そういうことじゃなくて! どういう薬か訊いているのよ!」
「ああ……そういうこと?」
ふっと不敵な笑みに、ユリウスが私を傷つけるはずがないとわかっていても、なぜかすっと背筋が寒くなった。
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