◇人魚としての邂逅 その1

 触れ合わんばかりの距離にある唇は、どちらかが少し身を乗り出せば重なるところまで近づいていた。少しでも多く彼の呼吸と体温を感じていたくて、私はいつのまにか目を閉じる。期待と羞恥でないまぜになりながら、相手の出方を待つ。  

 一秒、二秒、三秒。しかし、待てど暮らせどそれ以上何か起きる気配はない。覚悟を決めて待っていたのに、と怪訝に思う間もなく、代わりに急激な重みを肩に感じて狼狽した。


「……え?」


 ゆっくりと目を開けると、すぐ目の前にはユリウスの首筋がある。全身に伝わる体重は徐々に重みを増していき、ぐっと力を入れて支えなくてはならないほどだ。ぐったりと力が抜けている彼の顔をのぞき込むと、すうすうという規則正しい呼吸が聞こえてきて、思わず唖然とする。


「……寝てる?」


 なんだか期待していたこちらがバカみたいで、私は苦笑交じりにため息をついた。

 だが、ケガをしてなおかつ魔力も使い切ってしまったのだから、休息が必要なのは当たり前だ。今はゆっくりと寝かせてあげるのが先決だろうと思い、そっとユリウスをベッドに横たえた。


 今は昼間だろうか。そういえば、昨日の夜から何も口にしていないことに気付く。何か食ベ物を探そうと私はそろりと寝室を出た。ここに来てから気になっていたかまどの周囲を探してみるが、出てくるのは瓶に詰められたイモリやら怪しげな卵やら、薬草に毒々しい薬ばかり。

 ……この魔法使いは、もしかすると毒薬しか作っていないのかもしれない。人を生かす気はあるんだろうか。どうやら私の知っている食べ物はここには見当たらないようだ。


 しかしながら、ここにあるかまどがユリウスの魔法で使えるなら、海の中でもあたたかい料理が食べられるかもしれない。人間になってから初めてあたたかいものを食べたが、あれには感動したものだ。魔法使いって便利だ、と改めて感動を覚える。

 彼が再び目を覚ますまでに、火をつけられる程度に回復はしているだろうか、とほのかな期待を寄せてみたところで、病み上がりにはあまり無理はさせない方がいいと思い直す。ここは、自分一人で何とかするしかない。どうしようか。お粥……は、水中では米が手に入らないから無理だろう。海藻は消化に悪そうだし。となると、貝や白身の魚を潰して柔らかくしたものとかがいいのかもしれない。


 そうと決まれば、さっそく食材を取りに行こうと私は住処の入口へと向かった。ユリウスを一人で残していくのは心配だが、自分も空腹なのだから致し方ない。ここの住処はどうやら彼自身がカギの役目をしているようだから、誰かに入られることはないだろう。 

 私はドアを開けると、難破船を後にした。またここに戻ってこれるように、住処の場所をしっかりと頭に刻みつけながら、食料を探す。


 人魚は貝や海藻、魚などを切って簡単に味付けしたものを食べている。私は一応王女なので調理したことはほとんどないが、きっと何とかなるだろうと、前向きに考えて探索を続ける。海の中は人間になる前に自由に泳ぎ回っていたから、この近隣ならどのあたりで何が採れるかも、おぼろげながら覚えているのだ。


 それにしても、ユリウスは魔族だと言うが、ほぼ人間と同じと考えていいのだろうか。こんな海中では不便だろうに、どうやって生活しているのかふと疑問に思う。

 思えば、私は彼のことを好きなはずなのに、よくよく考えてみれば彼のごく一部分しか知らないのだ。海に住んでいるということは魚介類は大丈夫なのだろうが……何が好きで何が苦手など、全く見当もつかない。すごく偏食だったらどうしよう、という一抹の不安がよぎる。


 かく言う私も苦手なものはある。味が無く、ぐにゃぐにゃした海藻はいくら栄養があるとはいえあまり得意ではないのだ。

 私は悩みながら岩棚に漂っている貝を拾い上げた。よし、ここは一通り入手できるものを片っ端から試してみることにしよう。


 そう決めてから時間が過ぎるのはあっというまだった。ああでもない、こうでもないとあちこちを泳ぎ回って食材集めに夢中になっているうちに、だんだと浅瀬に近づいていることに気付く。人魚は昼間、浅瀬には近づかない。船や沖から人間に見つかりやすくなるからだ。それでもここがロステレドからするとどのあたりか気になり、好奇心に負けた私は岩の陰に隠れてそっと水面から顔を出してみた。


「――わあ……」


 途端に視界に飛び込んできたのは晴れやかな青空と、海辺にそびえたつ赤茶の城壁。その上に見えるのは白亜の城。どうやら偶然にも、私が打ち上げられていた浜の近くまで来ていたようだ。あの厳かな城の中にいたことが今でも不思議なことのように感じられる。


 そういえば、昨日ロゼラムが引き起こした港の海賊騒動はどうなったのだろう。港の方からはがやがやとせわしない音が聞こえるが、大砲や剣などきな臭い物音ではない。と言うことは、とりあえず状況は収まったということだろうか。

 昨日のことなのに随分と前のことのように感じるのは、海を隔てて違う世界に渡ってしまったからなのだろう。元いた場所へ戻っただけなのに、どことなく他人事のような感覚に陥っている自分に気付くと、薄情なものだと私は自嘲した。


 それでも、気になっていることはある。セアン、それにカイ。城にいたラウニは無事なのだろうが……レオナルドは結局どうなったのだろう。今となっては確かめるすべもない。ただ、人間であった時に知り合った彼らの無事を祈るばかりだ。

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