◇既知よりも、未知を その1
「ええと、ね。その……話半分で聞いてもらって構わないんだけど……」
そこまで口にしておきながら、まだ躊躇してしまう。だが、視線を向けなくてもユリウスが真剣な面持ちでこちらを見ているのがわかると、今更取り消すのははばかられた。ついに、ここは覚悟を決めて言ってしまおうと腹を決める。
「あのね……。私には、別の世界の記憶があるの。」
「――え?」
ユリウスが驚いているのがわかる。それもそうだろう。何も脈絡もなく、唐突に突拍子もないことを言い出すのだから、あきれて当然かもしれない。
それでも、本当は心のどこかでずっとこの時を待っていたような気がする。私はきっと、この世界の誰にも言えなかった秘密を共有して、少しでも重荷から解放されたい、と感じていたに違いなかった。
「別の世界……?」
「そうよ。こことは全く違う世界で生きていた、とある人の記憶。その人が誰を好きだったかや、その世界の知識、それから選択肢によって結末が変わる……まあ、本のようなものの内容とか。奇遇なことに、その中の一つにこの世界のことが書かれていたのよ。」
「じゃあ、その人の中だと、この世界は創作物ということになるのか。ふーん、初めて聞く話だね」
何を言っているんだと一蹴されるかと思ったが、ユリウスは神妙な面持ちで頷いている。それに勇気づけられるように、私は続けた。
「彼女は、セアンのことをよく知っていたの。この世界は、一つ選択肢を間違えてしまったら、泡になってしまったり、殺されてしまう危険なところだった。だから私は自分の選択によって、どんな未来になるかについては、ある程度予想がついていたのよ。」
「未来が変わる……? ああ、未来予知みたいなものか。そちらの方面は疎いけど、まあ同じような感じだと思えばいいのかな?」
「そうね。複数ある未来を断片的に覚えている、とでも言えばいいのかしら。何とも説明が難しいんだけど……」
ここで乙女ゲームだのなんだのを言い出したら、いよいよ収拾がつかなくなりそうなので、頭を捻りつつも軽く濁しておく。
「……て言うか、バカにしないのね。普通はもっと驚くと思うんだけれど」
改めて彼の方を見上げると、想像していたよりもずっと優しい声音とあたたかな表情に安堵する。さっきから心臓がはち切れそうなくらいの距離なのに、私はなぜか落ち着いていた。不思議だ。ユリウスの前では、思いもよらないままにぽろぽろと本音が零れ落ちていく。
「……あのね。私はね、ユリウス。ずっとずっと、怖かったの。だって、正解を知っていたから。『彼女』の知っているルートのセアンを選べば、泡になることを免れて、生き延びられると思っていた。だから、たぶんあなたのこともずっと考えないようにしてきたんだと思うわ」
思えばこの世界で初めて、自分の運命やセアンに似た人を好きだった過去を知った時、突き動かされるように荒波の中に入った。そして、生き残るために、あるいは一握りの未練を晴らすためにもセアンに近づいた。そんな私は、セアン以外を選んだらルートを外れてしまうから、未知への不安や躊躇いのあまり、ずっと本心に気付かないふりを続けてきたのかもしれない。
「だって、自分の本当の気持ちに気付いてしまったら……生き残れるかわからない未知のルートを進まなくちゃいけない。私は、間違えることが怖かったの。最初は死にたくない、泡になりたくないという一心だった。それがいつしか、知らないものに対する恐怖へと変わっていったのかもね」
「……姫さん」
ユリウスのローブが頬をくすぐる。その瞬間、何かから守るように、私の背中に回された手に力が籠められたのがわかった。いたわるように髪を撫でられる優しい感触に、驚きと同時に恥ずかしさを覚える。
「ずっと……一人で、辛い思いをしてきたんだね。」
――ああ、きっと私は誰かにこう言われたかったのかもしれない。
ただ一言、辛かったねと。本当はずっと、見えない運命と戦ってきたことを認めて貰いたかったのかもしれない。
耳をくすぐる声に頷くと、私はゆっくりと彼の怪我をしていない方の肩に身を預けた。恐る恐る背中に手を回すと、華奢なように見えて広い背中のあたたかい温もりが手のひらに伝わってきた。甘いような、苦しいような胸の高まりに、なぜか泣きたいような気持ちになる。
「だけど、あなたに会うたびに心を揺さぶられていくような気がした。このまま進んでいいいのかわからなくなって、どんどんうまくいかなくなって、それでも見知った道を進まないといけない強迫観念に駆られて、もがいていたの。……まあ、大半はあなたのせいで知らない未来になってしまったけど。」
私が苦笑すると、彼は極まりが悪そうに身じろぎした。
「それは……悪かったって。」
「本当にね! だって、魔法使いが実は隣国の王女だったとか、地下牢に閉じ込められるとか、ロゼラムがあのタイミングで攻めてくるとか……全然聞いてないんだからね!」
私が照れ隠しのあまりぱっと身体を離すと、ユリウスは気まずそうに頬をかいた。
「でも、危険なときはちゃんと助けに行っただろ。こう見えて、俺も悩んでいたんだよ? だって、あんたがあまりにも俺のこと呼んでくれなかったし」
「う……」
そう言われるとぐうの音も出ない。
「だって。あなたに頼りすぎるのもよくないかな、って……」
「俺は頼ってほしかったよ。本当は、こんなに都合のいい男じゃないからね?」
呼んだらすぐに来てくれる、なんて確かに都合のよすぎる男だ。思わず吹き出してしまった私を見て、ユリウスもおかしそうな笑みをこらえきれず、気付けば私たちは顔を見合わせて笑い合っていた。
そして、ふとその笑いが途切れた時。
「だからね。今までずっとわからなかったけど。自分の気持ちが今になってようやくわかったの。ユリウス、私は……ね。」
緊張のあまり喉がからからに渇いている。だが、今だけは難しいことを考えるのはやめよう。ただ胸にすとんと降りてきたまっすぐな気持ちを、そのまま言葉にして伝えよう。私は彼のしなやかな指に自分の手のひらを重ねた。深い闇色の瞳を見つめて、今のこの正直な気持ちを口にする。
「私も。――あなたが好きよ。」
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