◇魔法使いの真意


 そして、思う。たぶん、グレーネに戻ったらあれやこれやと叱られて、当分は外に出ることなど許されないだろう。きっと今しか、ユリウスといられる時間はない。だから、この際に聞いておかなければ。

 私は呼吸を整えた。緊張のあまり手に汗がにじむ。それから、ずっと聞きたくて聞けなかったことを、思い切って言葉にしようと息を吸い込む。


「あの。ずっと、聞きたかったんだけど……」

「ん? なあに?」


 その笑顔が思っていたよりも優しくて、ぎゅうっと胸を締め付けられそうになる。何だろう、この感覚は。もし、あの満月の日の出来事が、実は私の勘違いで、ただの彼の気まぐれだったら、これほどみじめなことは無い。

 それでも、確かめなければならない。私は何から切り出そうかと考えあぐねた挙句、しどろもどろに口を開いた。


「……満月。」


 途端に、ユリウスの目も満月のように丸くなった。まるであの日の月をそのまま映し出しているかのようだが、彼の瞳は闇を映したような漆黒なので、さながら新月のようだ。


「ああ、それか。」


 それから迷ったように視線をさまよわせる。ああ、もしかすると私のうぬぼれだったかもしれない、と思うとなぜか胸がざわついた。とはいえ、真意を尋ねない事には始まらないので、勇気を振り絞って続けてみる。


「あれ。……本気なの? その。私を好き、っていうのは……」


 その瞬間、彼は急に真剣なまなざしになった。その目で見つめられると、息が詰まるような恥ずかしさに襲われて顔をそむけたくなるのに、同時に目を逸らすのももったいないようで、何とももどかしくなる。


「――本気だよ。じゃなきゃ、今頃あんたは泡になってる。」


 本気。その言葉の持つ意味に少しずつ頭の理解が追い付くと、かっと頬が熱くなるのを感じた。


「えっ……ええっ?!」

「って言うか、何回も言わせるなよ……。まあ、術者自身が魔法を成就させるなんて前代未聞すぎて、その……いろいろとエラーが出ちゃったみたいだけどな。」

「……エラー?」


 思い当たる節はいろいろある。満月の前日、砂浜でユリウスのことを思い出した時。牢獄で、ふと彼の名前を呼ぼうか迷いながらも、どんな顔をして会えばいいのかわからないと却下した時。決まって足に異変を感じたのだ。


「あの後に、あんたが海に還りたいっていう気持ちが強すぎたせいで、魔法は不完全になってしまっただろ。とどめに、俺がロゼラムの王子と対峙した時のあの一撃で、情けない話……俺の魔力が尽きたんだ。久々すぎて力の使い加減がわかんなかったんだよ……。あの後失神してたのもそのせいだ。まあ、あれがきっかけであんたの魔法は解けて、完全に元通りっていうわけだな」


 私の足が人魚に戻りかけていたのは、そういうことだったのかと合点がいく。しかしながら、彼自らの手でかけたというのに、魔法というのは未知の部分がたくさんあるのかと思うと不思議な気分だった。

 一人納得している私をよそに、ユリウスは何を思ったのかそのままぽつりぽつりと話し始めた。


「俺はさ、姫さん。ずっとずっと一人だった。ばあさんはいたけど、師匠って感じで家族ではなかったし。あんたがあの時涙をくれなかったら、ずっとずっと一人だったかもしれない。俺はあんたの優しさに救われたよ。思えば、あの時からあんたに惹かれていたんだろうな。だから、あんたの力になってやりたかった。でも、自分の気持ちに気付いたのはあんたを人間にした後だった……皮肉なもんだよな。俺はあんたにひどいことばっかりしたから、もう嫌われていてもおかしくないと思ってるよ」


 確かに客観的に見れば、ユリウスのしたことはひどい嫌がらせかもしれない。それでも、私は彼を嫌いになることなんてできるわけがなかった。

 水底に引き込まれたときの切なげな黒。触れていた指の感覚。深海のようにどこまでも深く沈んでいきそうな双眸。一緒に踊った真夜中の余裕のない声色と、どこか憂いを帯びた苦しげな表情。満月を背にした縋りつくような面持ち。いつしか、私はユリウスから目が離せなくなっていたのに、ずっと自分の気持ちをごまかし続けた。そして、私をかばって撃たれたときには、彼を失うのではないかと恐怖に襲われた。


「……だから。もし姫さんが望むなら、いくらでも償うよ。あんたのためなら、いくらでも、ただで魔法を使ってやってもいい。」


 それはある意味魅力的だが……魔法に代償がいると言っていたことはちゃんと覚えている。もしユリウスが自分で代償を払って私のために魔法を使うのなら、そんなことはしてほしくはない。


「そんな……償いなんていらないわ。ひどいのは、私の方よ。あなたはずっと覚えていてくれたのに……私は、忘れていた。」

「そうだね。ほんと、姫さんってひどいよ」


 ユリウスは何を思ったのか、不意に起き上がって私の手を掴むと、腕を手繰り寄せて強く引き寄せた。突然のことに驚く暇もなく、すっぽりとその両腕に収まり、彼の顔が近づく。いつかのように、また視界一杯に広がる黒に吸い込まれそうになる。心臓の鼓動、瞬きの音すら聞こえるのではないかと思うほどのあの距離。緊張が走ると、甘いような、泣きたいような、よくわからない気持ちでないまぜになる。


「ねえ、俺はあんたの答えをまだ聞けてないんだけど。ローネ。あんたは俺をどう思ってんの? 俺を助けてくれた、ってことは……うぬぼれてもいいの? それとも、あんたはお人好しだから……誰にでもそうするの?」

「――っ?!」


 ずるい聞き方だ。そうやって私の心を揺さぶって、容易にかき乱していく。もう心は乱されたくないと思っていたのに。できるだけ、考えないようにしてきたのに。


「あんたがまだ王子のことを想っているのなら……辛いけど、俺はそれでもいい。でも、少しでも可能性があるなら……期待してもいい?」

「私……は」


 そこで、私ははたと気付く。彼は真実を話してくれたから。今度は私の番だ。


「ねえ、ユリウス。……あのね。私には……」

「ん?」


 何をバカなことを言っているんだろう、頭がおかしくなったのかと思われるかもしれない。言うだけ無駄だと続けるのをやめようとしたところで、ふといつかの彼の言葉が思い出された。




『――俺は、姫さんを信じられるよ。』


『たとえあんたが人魚姫だって知らなかったとしても……あんたの言うことなら、なんだって信じてやりたくなるよ。好きになる、ってそういうものじゃないの?』




 もし彼が本当に私のことを好きなのなら……なんだか気持ちを試しているようで罪悪感を覚えるが、それでも言ってみる価値はあるかもしれない。

 その言葉に背中を押されるように、私は思い切って切り出した。



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