◇イベント ダンス その2
「ローネ」
突然、背後から声がかかる。振り返ると、なぜかセアンが立っていた。シャンデリアの光を受けて燦然と輝く金髪が眩しい。彼はひと際滑らかな生地のジャケットに、青い絹のポケットチーフを挿していた。その出で立ちは、おとぎ話に出てくる王子そのもので、見る者をはっと惹きつける。彼の形の良い唇には優雅な笑みが浮かんでいたが、あの船上で見たようにどこか寂しげだった。優しげな瞳は私をまっすぐに見下ろしている。
「……セアン殿下?」
言いたいことはいろいろあった。私なんかがセアンと話しているのを周囲が見たら、どう思われるのか、とか。彼の評判に傷がつくんじゃないだろうか、とか、他の令嬢や貴族たちはいいのだろうか、とか。
でも、彼の空色に射すくめられた瞬間、他のことなどどうでもよくなってしまう。
「兄上。勘違いしないでいただきたいのですが、俺がこいつと踊ったのはあくまで成り行きです。」
まったくその通りなのだが、なんだか仕方なく踊ったと言われているようで、ちょっと悲しくなる。
「いや、いいんだ、カイ。さっきのことは私も見ていたから、わかっているよ」
カイがその場から離れると、セアンは突然私の前に跪いた。私の手を取って、額に軽く押し当てる。いきなりのことに戸惑いを隠せず、私は唖然とした。
「お願いがある。……ローネ。私と踊ってくれないだろうか?」
鼓動が早くなる。彼が私にダンスを申し込んでいるのだと理解するまで、時間がかかった。
「は、はい! もちろん、喜んでお受けいたします」
緊張のあまり早口になる。全員の注目が集まる中、音楽と共にセアンがエスコートを始めた。氷の上を滑っているかのように、滑らかで洗練された動きだ。優雅で完璧ともいえるそのリードは、今までに踊った他のどの相手とも違っていた。彼に触れられている部分が、熱を帯びたように一気に熱くなる。恥ずかしくて本当はまともに顔を上げられないのに、視線を交わさなければいけない気がした。もはや足を踏まないようにとか、ステップのやり方とか、そんな小手先の技術などどうでもよくなってしまう。包み込むように手を取られてくるりと回ると、再び距離が近づいた。セアンの肩におそるおそる手を置くと、先ほどまでと全く同じ動作のはずなのに、緊張のあまり私の指先は震えていた。
「今日は、雰囲気が違うんだな」
何かもの言いたげだったセアンが口を開いた。
「えっと……やっぱり、変ですかね?」
好奇の視線が向けられていたせいか、改めて不安になってくる。
「いや、そういう意味ではなくて……。とても、綺麗だ。私が贈った髪飾りも、つけてくれているんだな」
さらりと飛び出した賛辞に、私はどこか夢を見ているような心地になった。足元がふわふわして、おぼつかなくなる。
「セアン殿下が下さった物ですから。あの、殿下も……すごく素敵です」
私も、もごもごと思ったままを口にした。彼の動きに合わせてステップを踏むと、淡いピンクのドレスが翻る。裾の銀の刺繍がシャンデリアに反射して、きらきらと光った。
「そういえば、先ほどロゼラムのレオナルド殿下と踊っていたな」
「え、ええ……ご覧になったのですね。まさかロゼラムの方とは存じ上げなかったのですが」
セアンは心の奥底からこみあげてくるものを押しとどめるように、何か言いかけてやめた。いつも堂々と落ち着き払っている彼には珍しく、言いよどんでいる様子だ。
「彼と踊っている君の姿を見た時……心が騒いだ。それは彼がロゼラムの者だからだろうと、私も初めはそう思ったんだ」
「……?」
どういうことだろうか。彼の口をついで出てくる言葉の真意を考える。セアンはまだ迷っているかのように、視線を泳がせた。その手が私の腰を引き寄せ、より一層私たちの距離は近づく。
「だが、カイと踊っている姿を見てわかった。私は別の理由で苛立っていたのだ、とな」
はっとして彼を食い入るように見つめた。いつのまにか、トクトクと胸が高鳴っている。期待、してもいいのだろうか。私も思い切って、彼の心にそっと片足を出して踏み出す。
「それは……どういう意味でしょうか?」
自分でも予期しえないことを口にした自覚があったのか、セアンは言ってしまった後ですこし照れたように笑いかけると、その澄んだ眼差しはいつになく真剣になった。途端に熱に浮かされたように、私の全身の温度が上がっていく。このまま彼の端正な顔をずっと見つめていたいのに、自分にどこかおかしなところがあるのではないか、と視線を逸らしたくもなる。周囲で踊る人々も、耳に入ってくるワルツの演奏も、唐突に私の世界から消えてしまったかのようだった。視界には、セアンしか入ってこない。彼の優しい声しか聞こえない。
「ローネ。私は……君のことが――」
私のことが……?
そこまで言いかけた途端、突然彼の動きが止まった。
彼の唇が動いたが、それが私の期待する言葉を発することは無かった。
いくら耳を澄ませても、目を凝らしても、彼の口は止まったままだ。
「……殿下?」
どれくらいの間そうしていたのかはわからない。気づけば、また視界に人々の姿が戻ってきていた。いつの間にか、音楽もやんでいる。まるで魔法にかけられたかのように、セアンは止まっていた。彼自身も理解できないのか、不思議そうに私を眺めている。
やがて、その不自然ともいえる静止の後、私と彼はゆっくりと離れた。彼の熱が遠ざかると、途端に寂しさが胸を襲う。
今、何て仰ったんですか。そう訊けばいいのに、私の口は鉛でも入っているかのように重たかった。
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