◇イベント? ティータイム
あの騒ぎから、さらに数日がたった。
結局、ロステレドはロゼラムを警戒して、すべての艦隊の建設を中止したようだった。それが功を奏したかどうかはまだわからない。
そして、それとはまったく関係のないことかもしれないが、あの日以降カイやその兵士の監視の目が少し和らいだような気がする。外交問題の件は、カイとしては強気な姿勢を取りたかったはずだ。正反対の意見を出した私への態度が軟化する、というのは不思議なことだから、もしかすると本当にただの気まぐれなのかもしれない。
とりあえず、あの即死トラップ――港が襲撃されるのは、舞踏会イベントの直前くらいだ。まだまだ気は抜けないが、ひとまず当分の杞憂はないと見てもいいのだろう。
「情報が、欲しいわ……」
私はティーカップに注がれたお茶を前にため息をついていた。白い磁器はつるつるとしてとても手触りが良く、金箔で彩られた曲線が美しい。手つかずのお皿には、イチゴとブラックベリーのタルトをはじめとした、色とりどりの可愛らしいケーキが載っている。
傍らに護衛もとい監視の兵士はいるが、城の内部であればこうして自由にしていいことになったのだった。それ自体は喜ばしいことなのだが、まだ安心するには早すぎる。何せ、あの歩く即死トラップ・カイのことだ。私をまた泳がせているだけなのかもしれないし、いつまた目の前で剣を抜かれるかもわからない。
私がサロンで優雅ともいえるお茶を楽しんでいるというのに、その相手は誰もいなかった。それもそのはず、城の人間の多くは、先日の海賊騒ぎのことで後処理に追われているようだった。
私はお茶をお供に、これからのセアンのルートを思い出そうとずっと頭を捻っているのだが、悲しいかなそこまで都合よくは出てこなかった。今までの流れを見ると、きっかけは自分自身で探してきたようにも、相手から持ってきてくれたようにも思える。しかしながら、先日のあの騒動はセアンのルートにはなかったものだ。これが他にどのような影響を与えていくのかは、今のところ見当もつかない。舞踏会までにあと二、三個はイベントがありそうなものなのだが……。
私が深いため息をついていると、間が悪いことに見覚えのある男が目の前を通りかかった。長身で眼鏡をかけた青年とばっちりと目が合う。彼は……先日気まずい別れ方をした、宮廷楽士のラウニだ。彼が会釈すると、さらりと亜麻色の長髪が肩を流れた。対する私の背中にはつう、と冷や汗が伝う。
「ごきげんよう、ローネさん」
「ご、ごきげんよう……」
普段通りに返事をしたつもりなのに、私の声は裏返ってしまう。彼は人当たりもよく話のしやすい好青年なのだが……気を抜いたら人魚とバレて監禁されそうで、迂闊に発言できない。どうしても無意識のうちに、肩が強張ってしまう。
「この間は慣れないダンスで無理をさせてしまってすみませんでした。その後、体調はどうですか?」
「え、ええ……おかげさまで。こちらこそ慌ただしくて申し訳ありませんでした」
そのまま社交辞令で終わればいいものを、彼はにっこりと栗色の目を細めると、ご一緒してもいいですか、と私の目前に腰掛けた。私はティーカップを持ったままもちろん、とうなずくが、カップの取っ手を持つ指が震えて、心なしかカタカタと音を立てている。
「確か、先日はこの国についてお話したのでしたね」
「そ、そうですね……」
彼の眼鏡の奥をまっすぐ見ることができずに、思わず視線をそらした。このままではまた人魚の話題にたどり着いてしまいそうなので、何とか別の話を探そうと必死に考えを巡らせる。
「ラ、ラウニ様はこの国の方なのですか?」
「僕の話を聞いてもそんなに面白いことはないと思いますが……そうですね。ロステレドの南方の出身です。ちょうど妃殿下の故郷にも近いのですが、ご存知でしょうか?」
私はふるふると首を振る。
「そうですか。まあ、いろいろありましたからね……」
そういえば、王妃――おそらくセアンの母親の姿は、この王宮で見たことがない。謁見の際も、その場にはいなかった。カイの母親が亡くなっていることはなんとなく覚えていたが、王妃は確かご存命であったはずだ。
「いろいろ、ですか……」
彼の言葉を繰り返す。なんだか、訳ありのようだ。
「ええ。……今は、故郷の公爵領にいらっしゃいますよ。」
それ以上は触れてはいけないことなのか、ラウニは声を潜めた。
察するに、根ほり葉ほり聞くわけにはいかないだろう。プラチナブロンドに鋭い目つきの国王を思い出す。彼に目をつけられてしまっては大変なことになるので、意味深な彼の台詞もそれ以上は追及しないことにした。
「え、えっと……」
話題を探す。何か、当たり障りがなくて人魚にも関係のないことと言えば……。
「そ、そういえばあと一週間くらいで舞踏会なんですよね?」
悲しいかな、これくらいしかなかった。
「確かに、7日後には舞踏会が開かれますが……どうしてご存知なんですか?」
「あ」
やってしまっただろうか。
「いえ、あの何やらメイドたちが話していたもので……」
苦し紛れの言い訳をしておく。
「そうでしたか。まあ、今回は隣国の貴族も招待しての大規模なものですからね。隠しておけという方が無理な話でしょう」
ラウニの言葉を聞いて、私はほっと胸をなでおろした。
「ラウニ様も、楽団の指揮をされるんですよね?」
「そうですね。他国に我が国の音楽への熱の入れようを示す良い機会にもなりますからね。ローネさんは……この城の客人という立場ですが、出席は殿下たちのご意向次第、ということでしょうか。」
それを聞くと私ははっとした。今まで舞踏会には当たり前に参加するものだと思っていたが、参加できなかった場合はどうなるのだろうか、と改めて焦りが生まれてくる。
「そうですよね。私はどこの誰かもわからないし、ましてや地位も……」
人魚の国では第六王女だったのだが、そんなものは人間の国では無きに等しいだろう。
「僕としてもローネさんの美しいドレス姿を拝見したいですから……。微力ながら殿下たちにも進言しておきましょう」
「は、はい……ありがとうございます」
舞踏会は確か強制イベントのはずだから、おそらく何らかの力が働いて参加することになるとは思うのだが……念のため、彼の尽力にも頼ることにする。
「舞踏会で思い出しましたが、僕も楽団の練習がありますので……。名残惜しいですが、今日はここで失礼しますね」
ラウニは唐突に席を立つと、優雅に一礼して去って行ってしまった。
とたんにどっと疲労感が襲ってくる。なんとかやり過ごせた、だろうか……。幸いなことに、彼はまだ私が人魚だとは気づいてはいないように見えた。
「舞踏会、か……」
先ほど話にも出たとおり、私にとっても王宮にとっても、一大イベントだ。
主人公は、そこで一番好感度の高い相手と踊ることになる。それがセアンであったなら何よりも喜ばしいのだが……。
もう一度、記憶を思い返す。
セアンの好感度が一定以下の場合は、彼は隣国の王女と踊り、主人公は指をくわえてそれを見ていることになる。原作の人魚姫でも、隣国の王女は浜辺にいた王子を介抱して、王子と婚約した。ならばそれなりの存在感を放ちそうなものだが、あのゲームの世界においては、不思議なことに彼女の影は薄かった。顔のグラフィックすらなかった気がする。
「……なんでなのかしら?」
典型的な他の乙女ゲームなら、主人公の恋敵として出てくるのだろうが、隣国の王女は名前すらないモブキャラ扱いだった。セアンのルートにしか関わってこないからなのだろうか。
「あー、もう! わかんないわよ……」
私は考えることを放棄すると、フォークを取り上げてイチゴのタルトにすっと切り込んだ。さすが王室お抱えのパティシエが作っただけあって、イチゴの甘みと酸味のバランスが絶妙だ。
舞踏会までのイベント……ほかに、何かあっただろうか?
「どっちにしろ、気が重いわ……」
けだるい午後、私は一人ため息をついていた。
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