第47話 操と二人の男 前田正樹の場合

 田中は基本的にはいいやつなんだろうけれど、時々変な事をしてしまうのが残念なところである。俺にも残念なところはあるかもしれないけれど、人に不快感を与えるようなことはしていないと思う。思いたい。

 そんな田中はやはり相手にされていないらしく、みさきも松本先輩も田中を無視して話に夢中になっているようだ。俺も読みかけの文庫本を読むチャンスかと思って、カバンの中を探すことにしよう。


「あの、前田君の彼女がいるのに目の前でたくさん話しちゃってごめんなさい」

「それは気にしなくていいですよ。お姉ちゃんからも助けてあげなさいって言われてますから。まー君って話しやすいし安心できますもんね。一人変な人がいるから余計にそう思ってしまいそうですけど」

「ああ、それはあるかもしれないですね。ちょっと私も苦手なタイプかもしれないって思いました。得意なタイプが無いんですけどね」

「操先輩って小さい時も好きな男子とかいなかったんですか?」

「私ですか。昔から男の人が苦手でまともに顔も見れなかったので、そういうのは無いんですよね。初恋の経験も無いんです。おはずかしい」

「私も似たような感じなんで恥ずかしがらなくても大丈夫だと思いますよ。初恋がまー君だと思うので、私は幸せなんです」

「それはうらやましいな。みさきちゃんは可愛いからモテてそうだけど、告白されたりはなかったの?」

「時々はあったんですけど、知らない人にいきなり告白されて困っちゃいますよね。相手の気持ちになったら知らない人に告白なんて出来ないと思うんですよ。だから、私に告白してきた人がいても、私は相手にしてなかったですね」

「そうなんだ。二人が付き合うきっかけって何だったのかな?」

「聞いてもらってもいいですか。……なんと、私の一目惚れだったんです」

「え? 一目惚れ?」

「はい、入学式の後にたまたま見かけて結婚するならこの人しかいないなって思ったんです。それからは、友達に協力してもらったりして告白することにしたんですけど、上手く行ったんです。毎日が楽しくて嬉しくて仕方ないんです」

「二人は知り合いじゃなかったんだ」

「そうですね。知り合いじゃなかったけれど、遠い昔から二人は結ばれていたって事かもしれないですね。運命の相手ってやつだと思います」

「ところで、一目惚れってどこに惹かれたのかな?」

「顔ですね。好みって人それぞれだと思うんですけど、私の場合ってまー君の顔が一番好みなんです。何かが増えても何かが減ってもダメなんです。究極の形で全て完璧に成り立っていると思うんです。操先輩ってどんな感じの人が好きなんですかね?」

「私は、これといって譲れないポイントは無いんだけど、人と話すのが苦手だから、離さない時間があっても気にしない人かな」

「見た目とかは?」

「見た目はこだわりないかもしれない。私も人の見た目をどうこう言えるような感じじゃないし、気にしたことが無いかもしれないな」

「じゃあ、俺でも大丈夫ですかね?」

「ごめんなさい。本当に無理です」


 二人の様子を見守る事にしたのだけれど、気が付いたら田中が口をはさんでいたみたいだ。それも一言で片づけられてしまったみたいなのが痛快だった。俺も何か言って会話に加わろうかと思ってみたものの、特に惹かれることも無かったのでもう少し見守ることにしよう。それにしても、読みかけの文庫本はどこに行ったのだろうか。教室に忘れてきているとしたら最悪だ。取りに戻るのも面倒だし、続きを読むのは明日以降にしようかな。

 急に田中が俺の隣に戻ってきたと思ったら、俺が探している文庫本を手に持っていた。


「机の上に忘れていたみたいだから持ってきたんだけど、そのままにしておいた方が良かったか?」

「いや、ちょうど読みたかったから助かったよ」


 田中は変なところもあるけれど、基本的には気配りの出来る男なのだと思う。その気配りが目立たなくなるくらいマイナスがあるだけで、本質的には出来る男なのだ。こうしてフォローをしようとしても、俺の期待を裏切るように田中は自分の評価を乱高下させてしまうだろう。


「先輩の苦手を克服するのに普通の事をしてもダメだと思うんですよ。そこで、ちょっと普通とは違うスキンシップを取ってみるってどうですか?」

「田中君ってまだいたんだ。そのスキンシップって具体的に何?」

「佐藤さんって俺には冷たいよね。別にいいんだけどさ。具体的に言うと、外国人の人みたいにハグしたりキスしたりして免疫を付けようってやつ」


 さて、本の続きを読んでいたのだけれど、またまた田中が余計な事を言っていた。こいつは一つ褒めると二つ失敗しなくちゃいけないルールでもあるのだろうか。そこまで失敗が多いわけではないのだけれど、失敗している印象が強いせいか、上手くいっているところを見た記憶がない。たまにはいいところを見てみたいものだ。


「田中君が考えてる事ってダメだと思うよ。操先輩がそんな事をしても平気なわけないし、まー君だって困っちゃうと思うんだよね。大体、彼女の目の前で他の女子に抱き着いてキスするとかおかしいんじゃないの?」

「あれ、前田がするのって確定なわけ? 俺も一応男子なんだけど。それも彼女無しの男子だけどさ」

「操先輩だってまー君相手なら大丈夫かもしれないけれど、大丈夫だったら大丈夫でその後気まずくなっちゃうと思わないの?」

「前田じゃなくて俺がやれば気まずくなる事も無いと思うんだけど」

「ねえ、まー君も何か言ってやってよ」


 本を読みながら聞いていたのだからちゃんと意味は理解していないんだけど、俺がみさきを抱きしめてやれば松本先輩も男が平気になるのだろうか。どんな理屈なのかはわからないけれど、俺たちの関係も一段階上に上がってもいいのだとは思う。節度を守っていれば咎められることもないだろうし、正直に言うと、もっと近くでみさきを感じていたいと思っていた。家に居ても唯がみさきの事ばかり聞いてくるのもあるけれど、最近では一人でいる時もみさきの事ばかり考えているような気がする。


「俺は別に気にしないけど、みさきは人前だと嫌かな?」

「え、まー君は気にしないの?」

「俺はみさきの事が好きだし、心の底から信頼してるから大丈夫だよ」

「そっか、まー君がいいんならしてあげてもいいんじゃないかな」


 田中と松本先輩が見ている前で抱きしめるというのは少し恥ずかしい気もしているけれど、この際だから羞恥心は捨ててしまって思いっきり抱きしめてみることにしよう。みさきの反応は少し寂しいけれど、照れ隠しなのだと思うしここは思い切っていくべきだろう。

 俺はゆっくりとみさきに近付くと、俯いているみさきを包みこむように抱きしめた。隣にいてもみさきのいい香りが漂ってきていたのだけれど、こうして抱きしめるといい香りがダイレクトに伝わってくる。想像していたよりも柔らかくて心地よい感触だ。


「え、なんで?」


 最初は優しく包み込むようにしようと持っていたけれど、自分の腕の中にみさきがいることを考えると、ついつい力が入ってしまう。反応を見る限りでは少し戸惑っているようではあるが、痛いといった感じではなさそうなのでもう少しだけ近くに感じるようにしてみよう。

 田中が言っていたけれど、さすがにキスを見せるのはダメだと思う。ファーストキスはもう少し大事にしておきたいと思うし、田中の目の前でというのは思い出としては最悪な部類に振り分けられてしまうだろう。


「ちょっと、どうしたの?」

「田中が松本先輩の悩みを解決するために抱きしめたりキスをしたらいいって言ってたからね。さすがに人前でキスするのは恥ずかしいかなと思ったけれど」

「え、操先輩にじゃなくて私になの?」

「俺がみさき以外の人にそんなことするわけないよね。それに、田中がみさきに抱き着くとか想像もしたくないしさ」


 今までは隣にいるだけでも嬉しかったのだけれど、こうして抱きしめてしまうと、それだけでは我慢できなくなってしまいそうだ。人間は贅沢な生き物だとつくづく実感してしまう。

 こうしてみさきを抱きしめているのはいい事なのだけれど、俺の視界の先には常に田中がいるのが納得いかない。松本先輩の方が見ていて安心すると思うけれど、みさきを抱きしめているという事実が目の前の田中の存在をかき消してくれた。


「あの、ラブラブなところすいませんが、俺の想定していた事と違うんですよね」

「ちょっと、あなたは二人の邪魔をしないでください。ここは見守るところですよ」

「でも、あんなにラブラブな姿を見せられて悔しくないんですか?」

「悔しい事なんてないですよ。愛し合っている二人が一つになっているなんて素晴らしい事じゃないですか。さっきはドン引きしましたけど、この状況を作り出したあなたにお礼を言います」

「えっと、お礼は嬉しいんですけど、どうせなら俺たちも抱き合いませんか?」

「そういう冗談は良くないと思いますよ」


 田中はまた松本先輩に何か言っているようだけれど、正直に言うと、そんな事はどうでもいいと思っていた。視界の端に入ってきた松本先輩は、どこか落ち着かない様子で俺たちに近付こうとしていた。邪魔をされるのかとも思ったけれど、松本先輩の悩みを解決するためにここに来たのだから、松本先輩がしたい事をさせてあげることにしよう。


「そろそろ離れた方がいいかな?」

「もう少しだけこのままがいいな。私は幸せ者だな」

「俺も幸せだよ」


 そのまま様子をうかがっていた松本先輩ではあるけれど、何がそうさせたのかはわからないけれど、みさきの背中に飛びつこうとしている松本先輩がいた。俺の腕に触れないようにみさきの背中に抱き着いてる姿が、子供みたいでほほえましかった。


「二人を見ていたら、羨ましくなっちゃいました。でも、彼氏さんを取るのはダメだと思うので、みさきちゃんを通して間接的に体験させてもらいますね」

「え、私の背中で良ければいくらでもどうぞ」


 今からどれくらいの時間をこうして過ごしていくのかはわからないけれど、今言えることは間違いなく幸せだという事だ。真面目に過ごしてきたご褒美なのかはわからないけれど、こうして幸せな時間が続くのはいい事だと思った。

 家に帰った時にみさきの話を唯に聞かれると思うけれど、この事は黙っておくことにしよう。黙っていれば唯の事ならどうにかごまかせるだろう。母さんはもっと単純なのでだますことは容易ではあるけれど、そんな事は致しません。やっても唯を少しからかうことくらいだろう。


 それにしても、好きな人を抱きしめるのはこれほど心地よいものなのか。

 次の休みはみさきを誘ってどこかに行ってみようかな。


 松本先輩の悩みが解決したのかは知らないけれど、みさきの肩越しに見える松本先輩の顔は嬉しそうな感じだったし、これが正解でもいいのではないかと思った。後で平気になったか聞いてみることにしよう。


 みさきの使っている制汗スプレーの匂いなのかはわからないけれど、みさきの頭からも良い匂いがしていて、俺はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

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