第34話 ある休みの日 前田正樹の場合

 家に居ても唯と母さんがうるさいので少しだけ外に出てみることにした。天気はそれなりに良くて、風も心地よい。河川敷は意外と散歩をしている人が多いのだけれど、そこに知っている人は誰もいなかった。

 そのまま河口まで歩いてみようかと思って見たものの、徒歩だと一時間以上はかかってしまいそうなので、今回は歩いて行くのはやめにしておこう。河口が見たくなった時は自転車で向かうことにしよう。


 しばらく歩いていると喉が渇いてきたので、何か飲み物でも買おうと思っていたのだけれど、財布を持ってくるのを忘れてしまったみたいだった。喉の渇きを潤したいと思っていると、もう少し行った先に水飲み場らしきものがあるのが見えていた。

 そこまで歩くことが出来れば水分補給は出来ると思うのだけど、そこにあるベンチに見覚えのある人物が座っているように見えたのが気になってしまった。


 近付いてみると、俺が知っている人物に間違いがないようだが、本人は周りを気にしている様子はなく、目の前にある本に全神経を集中しているようだった。

 読書の邪魔をしては良くないと思っていたので、少しだけ水を飲むとその場を後にしようとした。金髪に背を向けて歩き出そうとしたときに、上着の裾を思いっきり引っ張られてしまった。


「君は確か、みさきの恋人だったよね?」

「あ、はい。先輩はここで読書してるんですか?」

「そうだね。私は読書をしているんだけど、君は何をしているのかな?」

「俺は散歩をしていました。それだけです」

「君は何か恐れているのかい?」

「そんなことは無いです。先輩方は美人なので緊張しているのであります」

「あはは、私は緊張するほど美人なのか。そうだ、もっと緊張させてあげようかな」


 先輩は俺の腕をつかむとそのままベンチまで俺を誘導し、俺はそれに促されるままベンチに腰を下ろした。これから何をされるのかと身構えていると、先輩は先ほどの続きを読み始めていた。

 時間がどれくらい経ったのかは時計が無いのでわからないのだけれど、先輩が半分くらい読んだところで急に俺の膝の上に頭を置いてきた。全く予想しなかった行動に驚いていると、先輩は透き通るような青い瞳で俺を真っすぐに見つめていた。


「君は綺麗な瞳をしているんだな」

「先輩の方が透き通っていて綺麗な瞳だと思いますけど」

「ありがとう。君は他人を褒めることが多いけれど、自分が褒められても嬉しくないのかな?」


 褒められて嬉しいとは思うけれど、実際は嬉しいよりも気恥ずかしい感情が勝っているような気がする。成績とかでは褒められることはあったけれど、性格や行動を褒められることは時々あったのだけれど、見た目を褒められたのは生まれて初めてのような気がする。

幼少期は褒められたことがあるのかもしれないけれど、全く覚えていないのでそういうもんなのだろう。


「俺も褒められたら嬉しいですけど、何だか気恥ずかしいと思います」

「そうなんだね。君は当たり前のように人を褒めることが多いのだけれど、何か考えでもあるのかな?」

「俺が褒めてるのだとしたら、無意識のうちだと思うので、それは俺の本音なんじゃないですかね」


 俺の答えが良くなかったのかはわからないけれど、アリス先輩は俺の膝の上から離れてまた読書に集中していた。しばらく様子を見ていたのだけれど、アリス先輩はそのまま読書を続けていたので、俺は他の場所に移動することにした。


「何だか引き留めてしまってすまなかったね。またどこかで会った時はお話でもしようか」


 そう言っているアリス先輩ではあったけれど、一度も目をこちらに向けなかったのは社交辞令だからなのだろうか。実は、アリス先輩も緊張していて本の内容が頭に入っていないのではないだろうか。そんな考えがよぎってみたものの、アリス先輩は時々楽しそうにしていたので、本自体はちゃんと読んでいるようだった。


 その言葉が本心なのかはわからないけれど、そうそうバッタリ会う事も無いだろうと思ってその場を離れることにした。

 目的は特にないのでその辺を散歩することになるのだろうが、今度は守屋さんと会ってしまった。


 私服の守屋さんはいかにも胸を隠したいっといた服装で、大きめの帽子を深くかぶっていて、普段はかけていない眼鏡を装着していた。


「あれ、前田君じゃん。こんなところを彷徨っているのかい?」

「俺は散歩をしているんだけど、守屋さんは何をしてるの?」

「私はちょっと言えない事をしようかと思っててね。大丈夫、先生にバレたとしても学校とは関係ない事だしね」

「いったいどんなことをするつもりなのさ」

「なに、ただのバイトさ。前田君には縁のない場所だと思うけどね」

「そうなんだ。バイト頑張ってね」


 俺は守屋さんの前を立ち去ろうとしていたのだが、再び俺の裾が引っ張られてしまった。俺を見つめる守屋さんは少しだけ哀しそうにしていたのだけれど、俺にはどうすることも出来ないでいた。


「あのさ、こんなこと言うのもなんだけど、お願いを一つ聞いてもらっていいかな?」

「どんな願いなのかにもよるけど、あんまり負担が無いやつでお願いします」


 守屋さんがスマホを取り出すと、何かを見比べているようだった。それが何をしているのかわからないのだけれど、守屋さんは右手でスマホを操作しているのに、左手は俺の裾を離さないでいた。

 意外と守屋さんは寂しがり屋なのかもしれない。そればっかりはどうする事も出来ないのだけれど、守屋さんは俺を真っすぐに見つめて、すぐに目を逸らしていた。


「色々と考えてみたけど、前田君に頼みたいことって特に無かったかもしれないな。前田君は私にしてほしい事ってあるのかな?」

「俺が守屋さんにしてほしい事か。俺も特にないかな」

「ま、そんなもんだろうね。ところで、今日はみさきと一緒じゃなかったのかな?」

「うん、今日はみさきと約束していないからね。守屋さんもあの友達と遊んだりしないのかな?」

「ああ、あの人達はうちと反対方向に住んでるからさ。会いたいなら呼んでみようか?」

「いや、来てもらっても俺はすぐに帰ると思うし、遠いんだとしたら無計画で呼ぶのは申し訳ないと思うかも」

「なんだかんだ言っても、前田君は優しいと思うな」


 俺は守屋さんとその後もくだらない話をしていたのだけれど,そろそろお昼ごはんの時間になっていた。ここ何日かではあるが、みさきの作ったお弁当を食べているといつもよりも元気になっているような感じがしていた。

 守屋さんとその後も色々と話してはいたのだけれど、これと言って中身のある話は無かった。


 守屋さんと別れてから少し歩いていると、今度はみさきと出会った。俺の彼女であるみさきは先ほどの二人とは違って、積極的に俺に触れていた。みさきは何だか嬉しそうな表情を浮かべていた。


「今日は色んな楽しい事があるといいね」


 みさきの目が笑っていないように思えたけれど、そんなことは無いと思う。

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