第239話 特別科の四人目-後編

 ゴードンは朗らかな笑顔でジェイドに右手を差し出した。

 友愛の握手だ。

 その顔は文字通り、久しぶりの友人に挨拶する柔和なものだった。


 しかし……


「ふん」


 ジェイドはゴードンの右手を無視する。その刹那、彼の顔が奸悪に見えたのは思い過ごしだろうか。

 ゴードンの右手は虚しく元の位置へと戻った。


 ジェイドは一歩、前へ出る。

 ゴードンが差し出した右手とは違い、悪意を具象化したように指鉄砲を作った。それを仰々しくゴードンの顔を指す。


「ジェイド?」


 ゴードンはジェイドの立ち振る舞いに困惑していた。

 俺たちも同じだ。だから、この場に流れる不思議な空気に屈して黙する。


「堕ちたものだな、オークショットの血統も」


 ジェイドは表情を変えずにそう言い放った。

 周囲の空気が急速に冷えていく。


「手厳しいな」


 ゴードンはその言葉を受けても笑顔を絶やさない。


 ただ、目の奥に憂いの色を感じた。


 ゴードンは未だ贖罪の中にいるのだろうか? まだ己を許せていないのだろうか?

 もしそうだとしたなら……

 俺の中に悲しみが膨れ上がる。


「カルテット・オーダーの一角が無様にもテロリストの魔法にかかる等前代未聞。さらに敵の手駒に成り下がり、先のウィー・ステラ島では大猿如きに苦戦する始末。終わりだな。オークショット家は」


 挑発。

 しかも悪意が強い。


 俺の中に薄らと黒い炎が湧いた。合わせて、身体からそれが溢れる。


 それに気付いたのか、ゴードンがちらりとこちらを見た。

 その目は『待ってくれ』と訴えているように感じた。


 俺は零れる怒りをそのままに待機する。


 ゴードンの視線は再びジェイドに向いた。


「返す言葉もない。我の失態がそのままオークショットの名を貶めたことも認めよう」


 ゴードンはジェイドの言葉を全て受け止める。


「えらく殊勝だな。ここまで挑発されても闘志は湧かないとは。よもや貴族としての誇りまで失ったのか?」

「挑発とは思うていない。それに貴公が言うことは全て事実。我には受け入れるほかない」


 ジェイドは至極つまらなそうな顔をして下がった。

 彼の顔は侮蔑に満ちている。


 逆にゴードンがこの冷罵によく耐えたと俺は心から称賛を送りたかった。

 

「腑抜けが。オークショットも凋落したものだな」


 ジェイドの言葉にゴードンの顔が歪む。

 それまで耐えていたゴードンの心にその言葉は楔のように突き刺さった。


 ジェイドはその貌を見て嗤う。 

 やっと届いた誹謗の言葉が決まったのが嬉しいのだろう。

 

 だが、挑発にしても度が過ぎる。


 ジェイドの笑顔を見て俺の怒りが迸った。

 もう我慢ならない。

 憤怒を纏って俺は拳を握る。


 その時だった。


「ジェイド! 言いすぎだよ! 謝りなさいよ!」


 後方にいたクレアの怒声が轟く。


 俺の憤怒は一時的に収まり、ついクレアの方を向く。


 クレアの瞳は赤く燃え、その怒りに呼応するかのように全身から俺以上に闘志が溢れている。


「お前はゴードン側か?」


 ジェイドはクレアの怒りの表情を見ても臆することなく、今度はクレアに対して悪態をつき始めた。

 その貌は未だ侮蔑に満ちている。


「どっちの側とかじゃないよ。そもそもゴードン君は被害者よ。それにジェイドは流石に言い過ぎ。見過ごせない」


 クレアの言葉には怒りが滲み出ていた。それを極力抑えようとしているのが窺い知れる。最後の理性が働いているようだ。


「ふん、規格外の異邦人と言えど、カルテット・オーダーの威を借りたいか」


 ジェイドがその言葉を吐いた瞬間、俺の中にあった埋火の如き怒りが一気に火柱のように猛った。


「てめぇ……」


 再び拳を握り、戦闘態勢を取る。

 怒りが俺の中で黒く、熱く燃え広がった。


「ジェイド……いい加減にして」


 その直後、俺の怒りが消える。

 否、俺の怒りが飲み込まれたのだ。


 クレアの怒り。

 小さく、か細く、それでいて有無を言わせない力強い言葉だった。


 俺の燃えるような怒りとは違う。

 クレアの怒りは、地の底から湧きあがるマグマのような果てしない怒りだった。


 クレアが本気で怒っている。


 俺はその怒りに煽られて一歩たじろいだ。


「謝りな」


 クレアの怒りが場を支配する。

 冷え切った空気に業火の旋風が吹き荒んだ。


 焦燥があったのか、ジェイドの蟀谷に冷汗が流れる。

 ゴードンも驚いて固まっていた。


 空気はさらに渦を巻いて混沌としていく。

 一触即発。


 俺か、クレアか、ジェイドか。

 誰かの一挙手一投足で戦いが始まる予感がした。

 いや、もうこれは確定事項。


 あとは誰が火蓋を切って落とすか、それだけだ。


 俺たちの周囲は、灼熱の夏すら飲み込むほどに熱く、濃く、鋭く、殺意が充満していった。


「貴様ら! 何をしている!」


 突然、修練場に怒号が響き渡る。

 空気を裂くような、頭上から捻じ伏せるような、そんな声だった。

 

 パーシヴァル先生だ。

 修練場の入り口付近から一気に俺たちのところまで駆けつけた。魔法を使ったのだろうがそれでも目を瞠るスピードだった。

 厳しい面持ちで俺、クレアとジェイドの間に割って入る。


 パーシヴァル先生の到着とともに土煙が舞い上がった。同時にゆっくりと俺たちの顔を見て回る。


「これはどういうことだ?」


 努めて冷静な言葉だが、その深奥には俺たちとは異なる怒りを感じた。


 一瞬で張り詰めた空気が呑まれていく。

 もう先ほどの一触即発の気配は霧散していた。


 パーシヴァル先生はジェイドを睥睨する。裂帛の気合が風と共に放たれた。


「ジェイド。漸く顔を出したかと思えば……」


 パーシヴァル先生が全てを話しきる前にジェイドは深く頭を垂れ、そのまま引き下がる。


 謝意は伝えた。


 そう感じ取れるパフォーマンスだった。

 頭を上げたときのジェイドの貌がそれを物語っている。


 不貞腐れた悪ガキのような表情で一切反省の色が見られなかった。

 

「全く……」


 パーシヴァル先生はそれ以上、追及することはなく「授業を始める」と宣言するだけだった。


 授業は恙無く執り行われる。先ほどまでの剣呑な空気の反動かのように。


 一応、俺は授業中ジェイドの動向を注視していたが何ら問題を起こすことはなかった。

 彼は授業中最低限の動きだけで済ませていた。良く言えば効率的。悪くいえばだらけた動きだ。

 しかし、パーシヴァル先生が注意することはなかった。


 そうこうしているうちに体術訓練は終わる。


 授業の終わり、気が付けば既にジェイドの姿はなかった。


 クレアは「ごめんね」と俺とゴードンに謝る。

 クレアが謝る必要はない。

 そう、俺とゴードンが伝えるとクレアはニッコリと笑ってくれた。


 そのまま特別科の面々とも別れる。


 教室に戻っても俺の気持ちは晴れなかった。

 臓腑に溜まる滓のように負の感情が渦巻く。行き場を失い、体内でそれが醸成されていくのを感じた。


 これが遺恨と禍根というやつなのだろう。


 ジェイド・クロフォード。

 俺はその名前をしかと記憶した。怒りと共に。

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