パっと寝てちょいと起きてまた明日
十海
第1話 明日から計画凍眠です
スマホの画面がぽっと光る。
コロリン。
特別な音。
レコはさっと指を走らせロックを解除、LINEを開く。
ワミ『授業終わった。すぐ行く』
速攻返信。
レコ『OK、待ってる』
コロリン。
着信音が廊下から聞こえる。
レコはリュックとマスクをつかんで教室を飛び出す。
「お待たせ」
「全然待ってない!」
平成37年、世界の大気汚染はとんでもないレベルまで達していた。
「よくもこんなことを」とか何とかのんきしてる場合じゃなかった。
もう完全に手遅れだった。空気中の汚染を除去する呼吸補助マスクとか、吐き出す二酸化炭素を吸収するマスクとか、ついにはその二つの機能を合わせ持つデラックスなマスクとか。どんどん進化するマスクは全部ひっくるめて浄気マスクと呼ばれた。
すごい商品。だけど今さら地球に優しく、なんて白々しく言ってるレベルじゃない。
身もふたもなくあからさまに言うと、つまり、要するに、『これつけないと死ぬ』。
全ての建物は密閉され、犬でも猫でも外で飼育する者はいなくなった。
外で飼われていた犬は、全部死んだ。猫も死んだ。ハトもスズメもカラスも全部死んだ。セキレイは駐車場から姿を消した。
ミツバチが消えた頃からきざしはあった。ハエも、蚊も、ゴキブリさえもいなくなった。
体の小さな生き物は、人よりずっと早くに影響が出る。
そこで政府のえらい人たちは考えた。
半分ずつ交代に起きて、半分ずつ眠ればいいと。
『次年度から計画凍眠を実施します』
まず国民にランダムに番号を割り振って、二つに分ける。
かたっぽが起きてる間、もうかたっぽは冷凍睡眠で寝る。
生きてる人間が半分になれば、吐き出す二酸化炭素の量は二分の一。
一日ごとに半分ずつ、代わる代わる起きればいいと。
最初は抗議の声があがった。だけど次のお知らせでほとんどの人が意見を変えた。
家族や友達、恋人とは同じシフトで眠れるように、事前に申請を受け付けます。
一緒に起きていたくない人とは、別のシフトにしてあげます、と。
やらなきゃ死にます。反対したって始めます。やらなきゃ死ぬからご自由に。
ここまで言われたら、もう誰も逆らわない。
幸いなことに、人工冬眠システムはちょっとお高いゲーム機レベルのお値段で買えるようになっていた。
お手軽に寝て、お手軽に起きる段階まで進歩していた。
旅行感覚で冷凍睡眠できるホテルなんかもぼちぼちできた。
『いやな日常、眠ってリセットしませんか』
『パっと寝て、ちょいと起きて、また明日』
凍眠用の設備の設置費用は全て国から支給される。メンテも完璧。
ビジネスホテルやラブホテル、ネカフェにも最新鋭の冷凍睡眠用のベッドが設置された。
準備はあっけなく出来上がり、明日は最初のシフトの眠りが始まる。
ホームレス?
とっくにいなくなっていた。大気汚染はそこまで悪化していたのだな。
「うちにも来たよ、カプセルベッド」
必要なものを全てパッケージした、最高の寝床。
「見た目はまるっきりアレだね。エジプトの棺桶」
「しっ、レコちゃんそれ言っちゃだめ」
レコは言う。
「この技術、どうして大気汚染の改善に向けなかったかな」
ワミが答える。
「地球をいじるより、個人の体をいじる方が簡単なんだよ」
それじゃあしょうがない。
二人は同じ高校、同じ部活。クラスは別だけどそれ以外の時間は一緒。いつも一緒。
学校帰りのタピオカ屋さん。
レコはタピオカほうじ茶ラテ。
ワミは基本のタピオカミルクティー。
ちがうと同じが交互にあるから、玩具のブロックみたいにきちっとかみ合う。
未成年者は家族と同じシフトで眠る。友達よりもまず、家族との絆が優先される。
「しょうがないね」
「しょうがないね」
レコとワミの手首に巻かれたリストバンド。一度つけたら、外せない。丈夫なコードでみっちり編んで、遺伝子や血液型、名前、住所、家族。個人情報組みこまれた紐のバンド。多分GPSも入ってる。
「個人情報の塊だよねこれ」
「どうやって情報、編み込んでるんだろうね?」
「ここかな」
こつこつとワミがバックルを叩く。透明なアクリル。まるで氷の欠片。
「このバックルのとこにチップ的な何かが入ってるとか?」
「見えないのに?」
「今の技術だと、マイクロレベルで数字刻めるらしいよ?」
「すごっ」
「外すと警告が出るんだって」
「そこまでわかっちゃうんだ!」
タピオカを飲む人、作る人、外の道を歩く人。みんな手首にリストバンドをつけている。
リストバンドは二種類に色分けされている。
レコのは青。
ワミのは黄色。
現実は平等で冷徹。いつも一緒の二人なのに、別々のシフトにわかれてしまった。
「LINE送るよ。あたしが送れば、次の日にワミが見る」
「絶対返信するよ!」
「うん。あたしも」
「その日あったこととか、写真も動画もいっぱい送る」
「うん。あたしも」
メッセージで繋がるから、きっと、さみしくない。
タピオカ屋を出て歩く。手をつなぐ。防染手袋ごしに、触れ合う肌があったかい。
いつもはバスで帰る道。今日は歩いて進む。ゆっくりゆっくり。ゆっくり歩く。
それでも分かれ道がやって来る。レコは右に、ワミは左に。別々に帰る、さよならの交差点。
朝は出会いの交差点。
だけど明日からは。
どんなに待っても、レコは来ない。ワミは来ない。
動けない。歩けない。横断歩道を、渡れない。
信号が変わる。青、赤、青、赤。
レコとワミは動けない。手を握り合ったまま、一歩も動けない。
ここを超えたら、あえなくなる。明日からはワミが眠ればレコが起き、レコが眠ればワミが起きる。すれ違いの一日。もう手をつなげない。一緒には歩けない。
「あーあ」
ワミがため息をつく。
「あと二年遅ければ、一緒に眠れたのに」
「それだよそれ、ワミ! あと二年経てば、自分でシフトを変更できる。一緒に眠って、起きていられるよ!」
「そっか、あと二年だね!」
「パっと寝てちょいと起きればすぐに来る!」
信じて疑わない。
それが少女の一途さ。一生懸命。
浄気マスクをつけたまま、額と額をこつんとくっつける。
今はもう、これ無しじゃあ表は歩けない。
家もお店も学校も、全部全部密閉式だ。
出入りするときはエアロック。
それがあたりまえ。
それが日常。
「パっと寝てちょいと起きれば明日だよ」
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