千手観音菩薩

姶良守兎

千手観音菩薩

 西暦二〇XX年、とある研究所にて。


「ついにやりましたね」助手は博士に尊敬の眼差しを向けた。

「うん、かなり苦労したが、その甲斐があったな」博士はそう答えると、金色に光り輝く円筒形の巨大な装置を見た。


 装置の周囲には、冷却液を通すための無数の配管が取り巻いており、独特の雰囲気を醸し出していた。そしてその光り輝く神々しい姿から、『千手観音菩薩』または単に『千手観音』と呼ばれていた。もっともらしい由来の正式名称は、他にあったのだが、すっかり忘れ去られてしまっていた。


「この『千手観音』を用いれば、全宇宙のあらゆる天体のふるまいを、原子レベルでシミュレートすることができるのだ。ここまでの性能を持つマシンは、世界広しといえども、まだ他にはない。まさに究極のコンピューターだ」博士は誇らしげにそう言った。「さっそく試してみよう」


 博士はなにやらゴーグルのようなものを二個、デスクの引き出しから取り出し、一つを助手に渡した。「これをかぶってみてくれ。このコンピューターの中で行われているシミュレーションを、三次元映像で見ることができるんだ」


「これと似たやつ、私も持ってますよ。ゲームとかで使うやつだ」助手はゴーグルのようなものを受け取り、まじまじと見つめ、羨ましそうに言った。「しかも、念力インターフェース付きの、一番いいやつじゃないですか」


 博士は、助手を見てにやりと笑うと、念力インターフェース付きゴーグルを掛け、『千手観音』の作り出す仮想現実バーチャルリアリティの世界へ飛び込んでいった。助手も手近な椅子に腰掛け、それにならった。


「博士……青白く光る人魂みたいなものが見えますが、それ以外、真っ暗で何も見えません」

「人魂みたいなやつは、私の分身、つまりアバターだ。ちなみに君は緑色に見えてるぞ」博士が答えた。「何も見えないのは当然で、今はまだ何もない時代だ……もう少しだけ待ってくれ。これから、ビッグバンが始まるところだ」


 その言葉を合図にするかのように、何もないところに、突然、光り輝く小さな点が現れた。それは突然、この世の終わりかと思うほどの大爆発を伴って一気に膨張した。爆発の後に残されたのは、一面に立ち込める真っ白い霧だった。


 いや、霧というのは言い過ぎかも知れない。本来、霧とは、大気中の水蒸気が飽和状態になって溶けきれなくなったものであり、見えたものは『霧のようなもの』というのが正解だろう。

 そもそもこの三次元映像は、分かりやすいように可視化してあるだけで、人間の目でそのように見えるかどうかとは、また別だ。

 それはともかく、二人が見る限り、霧のようなものは徐々に晴れ渡り、次第に漆黒の闇と変わっていった。


「す、すごい迫力ですね……」助手は腰を抜かした。彼は正直、椅子に座っていて良かった、と思った。

「驚くのはまだ早い。お楽しみはこれからだ。今から一気に時代を下っていくぞ」


 そう言うと博士は、ゴーグルの念力インターフェースを通じて千手観音に念を送り、時間の進むスピードを早めた。

 すると漆黒の闇の中に、ぼんやりとした雲のようなものが現れた。ガス雲だろう。もちろん分かりやすいように可視化してあるだけで、本来の姿とは必ずしも一致しない、というのはと同じだ。

 はじめは均一に見えたその雲だが、次第に密度の差が生まれ、密度の高い部分はより濃く、低い部分はより薄くなっていった。やがて中心部分はぼんやりと光り始め、そして、太陽のようにまばゆい光を放つようになった。周囲を見回すと、そんな星が次々と誕生しはじめ、ついに満天の星空となった。まさに壮観そのものだ。


「へえ、すごいなあ……しかし当たり前ですが、星にも色々あるんですね。明るさも色もさまざまで……これが全部シミュレーションとは……」助手はただ感心するばかりだった。「ところで惑星とかもあるんですか?」


「もちろん、太陽系に似たのもあるはずだ。探してみるか?」博士が答えた。

「いいですね! でもどうやって?」助手が聞いた。「それこそ、星の数ほどありますが……」

「もちろん、千手観音に探してもらう」そう言うと博士はゴーグルを通じて念を送り、太陽系に似たタイプの恒星系を探させた。すると、千手観音はあっという間に検索を終え、ゴーグルを通じて博士に念を送り返してきた。


「どうやら見つかったようだぞ。よし、行ってみよう。と言っても、千手観音に連れて行ってもらうんだがな」博士の姿は青白く光る人魂でしかなかったが、ウキウキしているのは助手からもよくわかった。

「博士、私はどうすればいいんですか?」

「そうだな……私を追いかけることをイメージしてくれ。そうすればゴーグルと千手観音が連動して、勝手に誘導してもらえるはずだ」


 二人は何万光年もの距離を一気にジャンプし、まるで神になったかのような全能感を味わった。ヒャッホーー!!


「見てみろ、あの惑星、どうやら水があるらしいぞ!」博士は、新しい惑星を発見し、喜びのあまり、そう叫んだ。

「うわ、本当だ。行ってみましょうよ!」助手もその惑星に目を奪われた。


 人魂の姿を借りた二人は、惑星の地表に降り立ってみた。荒涼とした光景がそこにはあった。豊かな水をたたえた海と、それとは対照的な、岩だらけの大地。動くものは、これといって見当たらず、せいぜい、風に吹かれて立つ波ぐらいしかなかった。


「生き物はいないようですね」助手が寂しそうに言った。

「いや、液体の水があるということは、生命がいてもおかしくない。もう少し詳しく調べてみよう」博士はまだ諦めていなかった。彼がゴーグルを通じて千手観音に問いかけると、すぐに答えが返ってきた。


「残念だが、ここには、何もいないようだ。条件が整っていないらしく、将来的にも生命が生まれる可能性は殆どないらしい」博士は残念そうに言った。

「それなら、生命が住んでいる、地球みたいな……いや、地球そっくりの惑星を探してくださいませ、千手観音さま……」助手が思いつきでお願いしてみた。すると……。


「博士、ここからかなり遠いらしいですが、地球と瓜二つの惑星があるそうです」


 無論、二人はそこへジャンプすることにした。今度は数十億光年のかなたへ……。ヒャッホッホーーーゥ!!


 すると二人の前に惑星が現れた。大きな衛星を一つ従えた、青い惑星。彼らは思わず惑星の地表へ近づいた。青い海が見えた。


「凄い発見じゃないか……いいことを思いついてくれた」博士は助手を褒め称えた。「しかも、どうやらこの海には微生物が住んでいるらしい」


 まもなく二人はその惑星に夢中になった。時代を下り、またさかのぼってみたり、何度も行き来した。まるで、シミュレーションということをすっかり忘れ、本当に未知の惑星を探検しているかのようだった。

 彼らは、いろいろな生物に出会った。初めの頃に見たのは、光合成を行い、酸素を生み出すバクテリアと、その酸素を呼吸する、ごく小さな生きもの。そして次に、より複雑な生命。魚類、昆虫、恐竜、そして馴染みのある哺乳類たち。どれも図鑑で見たことのあるような生き物ばかりだった。


 そうこうしているうち、ついに二人は、二足歩行の動物を見つけた。その姿は、背格好も歩き方も、まさに人間そのものだった。

 その姿は、腰蓑だけを身に着けた、上半身裸の若い男性のように見えた。体つきは逞しく、よく日焼けしていた。頭髪もヒゲも伸び放題で、ワイルドそのもの。手には、太い木の枝を削って作ったような、棍棒のようなものを持っていた。今から狩りにでも行くのだろうか?


「おい、今の見たか?」博士は言った。

「ちょっと、話しかけてみます」助手は答えた。


「やあ、こんにちは」助手はその生物に挨拶した。しかしその呼びかけは、あっさり無視された。「そうか、我々の姿は見えてないんでしたっけ……まるで透明人間みたいに」

「ああ、我々の姿をシミュレーションに投影することも、技術的には可能だが、今のところ、そういう設定にはしていない……まあそもそも、人魂に挨拶されたら腰を抜かすだろうが」

 だが博士は笑っていなかった。「そんなことより、まるで人間そっくりだ。というか似すぎている」


 助手が何かを思い出した。「そう言えば昔の人が、この宇宙はよく出来たシミュレーションで、人類はそれに気づいていないだけなんじゃないか、という説を唱えていましたよね。ええと……たしか『シミュレーション仮説』とか」

「おいおい、やめてくれよ」博士は気の利いたジョークで返したかったが、動揺を悟られまいとするのに必死で、それどころではなかった。


 二人はゆっくりと時代を下っていった。人間に似た生き物は、服を着、住居を構え、次第に数を増やしていった。やがて文字を発明し、街が作られ、乗り物に乗って移動するようになった。

 文明の発達による弊害だろうか、幾度となく繰り返される戦争……そしてその副産物とも言える、目覚ましい科学技術の発達……環境汚染とそれに対する反対運動。


 ついに、二人はどこかで見たことのあるような建物を見つけると、先を争うように、しかしお互い無言でそちらへ向かった。そして実体がないのをいいことに、青と緑の人魂は、壁をすり抜け、ある部屋に入った。


 その部屋には、千手観音像のように金色に光り輝く、神々しい姿の装置が鎮座していた。そして隣には、椅子に腰掛け、ゴーグルのようなものを身につけた二人の人物が……。

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