ただ、愛しい
怜 一
ただ、愛しい
真っ白な生クリームにフォークの側面を、そっと落とす。その下に重なるスポンジやストロベリーの層を辿り、一口で食べられる大きさに切り分ける。最後に、切り分けた全ての層をフォークで一列に串刺しにして、余すことなく口の中へ運ぶ。甘酸っぱい香りと柔らかい甘味が、私の舌を包み込む。自然と口角が上がってしまい、片手で頬を押さえる。
「どうでしょう?美味しいですか?」
そう言って対面に座るシーナは、私の顔を覗き込む。
「ええ、とっても美味しいショートケーキだわ」
「ホントっ!う〜!嬉しいですっ!」
シーナは足をバタつかせ、頭をブンブンと横に振った。その姿は、まるでプードルが短い尻尾を一生懸命振って喜んでいるように愛らしく見えた。
「シーナもほら。一緒に食べましょう?」
私はソーサーに置かれたティーカップに紅茶を注ぎ、シーナに差し出す。白く昇る湯気が、開いた窓から流れ込む心地よい春風に微かに揺られる。
「あっ!いけませんっ!お嬢様に注いでもらうなんてっ!」
「気を使わないで。それに、二人きりの時は、お嬢様ではなくメアリーって呼ぶ約束でしょ?」
シーナは、両手を縮こませてテーブルの縁に指を引っかかるように置き、しょんぼりと唇をすぼめる。
「ごめんなさい。メアリー」
「私のためにやってくれようとした気持ちには感謝しているわ、シーナ。気を落とさないで。それより、早く食べましょう?」
「はいっ!」
シーナの表情がパッと明るくなり、自分のお皿によそわれたショートケーキを勢いよく食べはじめる。年頃の少女にしては少しはしたないが、こういう子供っぽいところも可愛くて、ついつい見ていたくなってしまう。
私は自分のティーカップへ注いだ紅茶を啜り、口の中にあった甘い余韻を溶かす。
一つ、深く息を吐いた。すると、胸の奥で縛られていたなにかが紐解かれたような開放感に満たされる。公務や夜会など窮屈で多忙な日々を送っているため、普段はあまり落ち着いていられる時間がない。そのため週に一度、ルイス家にパティシエールとして仕えるシーナにケーキを作ってもらい、一緒に食べる時間を設け、気分をリフレッシュさせている。
ルイスを眺めていると心が癒される。つぶらな瞳、子犬のような可愛らしい言動、年の割には小さい身体。クルクルと跳ねた栗色の髪。そして、そんな子が私のために一生懸命作った美味しいケーキ。ルイスの全てが私を癒してくれる。
「メアリー。どうしてわたしを見て、そんなにニヤニヤしているのですか?」
シーナが不思議そうに首を傾げる。
ハッと気が付いた私は、慌てて口元を押さえる。自分でも気付かないうちに笑みが溢れていたようだ。
「あっ!もしかして、わたしなにか変でしたかっ!」
慌てたシーナは自分の胸元を覗いたり、腕をぐるぐると回して、自分に変な場所がないかと観察しはじめた。その焦りっぷりに、私はさらに口元を強く押さえ、笑いを堪える。
「いいえ、そうじゃない。そういうことではないの。フッ、ウフフッ」
シーナは余計わからなくなり、さらに身体を捻りはじめる。
よく見てみると、シーナの口の端に生クリームがついていることに気が付いた。丁度いい。私はその生クリームを人差し指で掬い、シーナに見せる。
「私が可笑しく思っていたのは、これよ。もう少し、落ち着いて食べなさい」
「わっ!は、恥ずかしい」
両手で顔を塞ぐシーナを横目に、人差し指についた生クリームを舐めとった。普段、食事中についてしまった汚れはテーブルナプキンで拭き取るのだが、気が抜けていたのか、自然と口に運んでしまった。こういう隙を見せてしまうのも、無邪気でいてくれるシーナの前だからだろう。あまり意識していなかったが、私はシーナに甘え、そしてシーナを甘やかしてしまっている。しかし、シーナ自身の今後を考えると、ここは少し注意すべき点である。
私はシーナの主として、そして、家族であり姉妹のような存在として小言を口にしてしまった。
「シーナ。もうすぐ17にもなるのだから、もっと上品な振る舞いを身につけなさい。そうでなければ、良い婚約者と巡り会えませんよ」
その言葉に、シーナの身体が一瞬だけ跳ねた。そして、恐る恐る顔から両手を外し、弱々しい声で呟く。
「わたしのような女の子が、誰かのお嫁さんになれるのでしょうか?」
今まで見たことがなかったシーナの曇った表情に、私は動揺を隠せなかった。
「シーナ?なにかあったの?」
シーナは俯き、ぽつぽつと呟く。
「最近、わたしも結婚のことを考えることがあるんです。でも、いっぱい考えていくうちに自分の嫌なところばかりが見えてきちゃって。顔や身体が子供っぽいし、小さい頃からパティシエールになるために必死だったから、一般的な教養もない。気品なんてもってのほかで、おしとやかに振る舞うのも苦手。周りにいる魅力的な女の子と比べたら、ないものだらけなんです」
「…ッ」
普段、シーナがそんなことを悩んでいるそぶりを見せることはなかった。しかし、だからこそ悩みに気付いてあげられなかったことや、自分の軽率な物言いにやり場のない怒りを感じ、奥歯を強く噛みしめた。
「な、なんて言ってもしょうがないですよね!ちゃんと素敵な方と巡り合えるように、わたし頑張りますねっ!」
顔を上げたシーナは、とっさに笑顔を作り、場を和ませようとおどける。気丈で健気な態度に、私は頭を下げた。
「シーナ。ごめんなさい」
「えっ?」
不意をつかれたシーナから、無意識に声が漏れた。
「アナタが私に仕えてから6年にもなるというのに、アナタがそんなに思い悩んでいることを察してあげられなかった。本当にごめんなさい」
「そ、そんな!わたしなんかに頭を下げないでくださいっ!メアリー」
あまりのことに驚いたシーナは、両手を前に突き出し慌てふためく。
「いいえ。シーナ。私は、アナタだから謝りたいの」
私は頭を上げて、真っ直ぐにシーナを見つめる。シーナの動きがピタッと止まり、僅かに静寂が流れた。
「わ、わたしだから?」
「ええ。アナタだから」
「え?え?それってどういうことですか?」
混乱しているシーナの両手を、私の両手で覆い、優しく握った。
「アナタは、私にとって大切な人だから」
「ッ!?」
一瞬、二人の髪を靡かせるほどの強い風が吹き抜けた。
「幼い頃に母が死に、姉妹もおらず、友達といえるほどの誰かもいなかった。そんな時、アナタと出会った。私の地位や財産に目が眩んで、私の機嫌をとる人間はいた。だけど、アナタは違った。純粋に私を喜ばせようと、必死で美味しいお菓子を作ってくれた。それが、とても、とても嬉しかった」
握る手に、自然と力が入る。
「唯一の肉親であるはずのお父様と違い、アナタはずっと私の側にいてくれた。私が笑っている時も泣いている時も、いつも寄り添ってくれた。そして、いつしかアナタは、私の中で家族のような存在になっていたの」
「家族…」
シーナは予想外の言葉に、呆気に取られた。
「そう。大切な、家族。血の繋がりはないけれど、誰よりもかけがえのない大切な家族」
私はシーナの元へ近づき、抱きしめた。
「だから、傷つけてしまってごめんなさい。シーナ」
「メ、メアリー…。う、うぇ、うわぁぁぁぁぁん!!」
シーナの号泣に戸惑いを感じつつ、さらに深く抱きしめた。
「どうして泣くのよ?シーナ」
「わ、わかんないです。えっぐ。わたしにもわからないんです。でも、涙が。ひっぐ。涙が止まらないんです」
嗚咽で揺れるシーナの頭にそっと手を置いて、包み込むように撫でる。
「そう。それなら涙が枯れるまで、私が側にいてあげるわ。アナタが私の側にいてくれたように」
シーナは私を見上げ、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で微笑む。
「ありがとう。メアリー」
私も、微笑み返す。
「いいのよ。シーナ」
数十分後。
泣き疲れて寝てしまったシーナを私の寝室のベッドまで運び、一人、枕元の椅子に座って寝顔を眺めていた。
「食べて、泣いて、寝ちゃうなんて、まるで赤ちゃんみたいね」
赤くなったシーナの頬を人差し指で軽く突っついてみる。ぷにぷにとした弾力が面白く、ついつい何度も押してしまう。
私も十九歳と若い方だが、ここまで柔らかく綺麗な肌には、少し嫉妬してしまう。
先程、シーナは自分をないものだらけと言っていたが、決してそんなことはない。
私達の周りにいる女性は貴族が多く、魅力的に見えるように着飾り、振る舞うのは貴族としてある意味、当然だ。そして、その使用人達も主人に恥をかかせないようにと躾けられているため、ある程度の気品や礼儀、教養などを身につけている。しかし、そんな上部だけを比べて、落ち込む必要はない。
アナタは他の誰もが持ち合わせていない、素直で、健気で、純粋で、相手を想いやる気持ちを持っている。それに、どのパティシエだって敵わないくらい美味しいお菓子を作れる最高峰の技術を身につけているじゃない。そして、いつも底抜けなく元気で、太陽のように明るい笑顔を振りまいてくれる。顔だって、アナタが卑下するほど悪くない。むしろ、愛くるしくて私は好きよ。
「アナタのように可愛い女の子を放っておく男性なんていないわよ」
そう。アナタもいずれ誰かと恋をして、結ばれ、私の元を去っていく。いや、去っていくべきなのだ。こんな鳥籠のような屋敷で私に囚われることなく、もっと広い世界で愛する人と自由に生きるべき———。
「…?」
ふと、自分の右頬に手を当てる。すると、暖かい滴が頬を伝い落ちていた。それに気がついた途端、私の両眼から止めどなく、しかし、静かに涙が溢れ出てきた。
「まって。止まって。お願い。お願いだから…」
声を潜め、必死に涙を拭うも、さらに勢いを増して溢れてくる。
あぁ。そうか。もっともらしい言い訳を考えたところで、私は、シーナと離れたくないんだ。この子の幸せより、自分の幸せを諦めきれないのか。私は、なんて身勝手な人間だ。
「大丈夫だよ。メアリー」
太陽のように暖かく、私の孤独を何度も溶かしてくれた声が聞こえてきた。視線を移すと、シーナが眠たそうな眼で私を見つめ、ニッコリと笑っていた。
「シーナ!アナタ、起きていたの?」
驚いた私は、思わず声を上げてしまった。
「ううん。メアリーの泣き声が聞こえたから、わたしが側にいてあげなくちゃって思って」
私は少し顔を伏せ、涙を隠して、再びシーナの顔を向ける。
「大丈夫よ、シーナ。私、もう泣き止んだから平気よ」
「本当に大丈夫?寂しくない?」
その言葉を聞いて、また涙が溢れそうになる。しかし、ここで泣いてはダメだ。シーナに心配させてはダメなんだ。
私は声が震えるのを抑え、なんとか言葉を絞り出す。
「大丈夫。もう、寂しくないわ」
「えへへ。よかったぁ。メアリーが泣き止んでくれ、た…」
シーナは安心したように目蓋を閉じ、寝息をたてはじめた。
私は幸せだ。こんなに私を想ってくれる人が側にいてくれるのだから。だから、いつかシーナが私の元を去ってしまうその時まで、私がシーナを幸せしよう。
「ゆっくりおやすみ。シーナ」
私はシーナの額に口付けをして、寝室を後にした。
end
ただ、愛しい 怜 一 @Kz01
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