いつか、七色の空を君に
深海亮
第一章
第一話
不幸なんかじゃない。
これは、わたしが選んだ。
誰かに強制されたわけじゃない。誰でもない、わたしが選んだ道だ。
【いつか、七色の空を】
その日は雨だった。教会の中は昼だというのに薄暗く、幾つもの燭台に火が灯されている。
雷鳴が轟く度に、ステンドグラスには雷光が閃く。
「――では、誓いのキスを」
そんな悪天候の中、参列者もなく、式を挙げている二人の男女がいた。
新婦はニーナ、新郎はレクセル。
二人は神父の声に導かれ、二人の影は静かに重なった。唇が触れる一瞬だけ。そして、二人はすぐに離れた。
ニーナは躊躇いがちに翡翠色の目で、男を見上げてみた。すると、緩やかに波打つ黒髪の隙間から、冷たい藍色の瞳がニーナを見下ろしていた。
ニーナはその視線を下から受け止めると、長い睫毛を伏せた。
二人の間に愛などない。これは、契約上の結婚だ。
ニーナは金のために。レクセルは、自身の目的を果たすために、この結婚を受け入れたのだから。
そして二人は結婚証明書に淡々とサインをし、晴れて夫婦となったのだった。
その後、二人は新居に戻った。新居、といってもレクセルがもともと住んでいる家だ。
外観は古い煉瓦造りだが、中は綺麗に手入れされており、古めかしさは感じられない。
掃除も行き届いている。
「そこがあんたの部屋だ。勝手に使ってくれて構わないから」
レクセルが開いた扉の先には、決して広くはないが、ベッドと化粧台、チェストが置かれていた。
「分かりました。ありがとうございます」
ニーナは小さく頷いた。
「おれの部屋は突き当りだ。おれがいないときは勝手に入って掃除してくれて構わない。ただ、ものは動かさず、触ってくれるな」
「はい」
「当然だが、これは白い結婚だ。おれはあんたの部屋には入ったりしない。干渉は最小限に。おれは今までの生活を変えるつもりはない。だから、あんたも好きにしてもらっていい。外で恋人をつくるのも結構だ。だが、子を作るようなへまはやめてくれ」
淡々と頷くニーナに、夫となったレクセルは片眉を上げて見下した。
ニーナはくすみがかった赤毛を後ろで一つに編み込み、式の時だけ外していた丸い眼鏡をかけている。
「……他に何か、聞きたいことはあるか」
ニーナは自身の爪先に視線を落として幾ばくか考えこんだ後、眼鏡越しにレクセルを見上げた。
「お食事は、毎日用意してよろしいですか」
「あんたが構わないなら。不要な時は事前に連絡する」
「分かりました。なら、今から夕食を作りますね」
「……ああ」
全く表情を崩さない妻に頷くと、レクセルは気だるげなため息をついて自室へと戻っていった。
夫の姿が見えなくなってから、ニーナもため息を吐き出した。
(……思っていたより、割り切ってる人ね)
レクセルは、ニーナよりも二つ年下だ。それなのにえらく落ち着いている。そして、冷ややかだ。まあ、そうでもないと若くして事業で成功などできないのかもしれない。
彼は大学を卒業するや否や、友人と共に自動車事業を立ち上げた実業家と聞いている。
(そんな人が、形だけの伴侶となるなんて……)
ニーナは与えられた自分の部屋に入ると、小さなトランクケースの中からエプロンを取り出した。
エプロンを身に着けながら、ふと、部屋を見渡す。
木のベッドには真新しいシーツが敷かれ、その上にふかふかの布団が用意されている。窓はたっぷりのドレープを使った深緑色のカーテン。鏡台の鏡には、汚れ一つついていない。
(身に余る部屋ね……)
ニーナは一人苦笑すると、足早にキッチンへと向かった。
そして、ここに至るまでの出来事を思い返すのであった。
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