2話
結局俺が泣き止むまで奈留に慰められてしまった、なんと恥ずかしいことか、自分で穴を掘って埋まってしまいたい気分だ。
「ごめん、もう大丈夫だから、心配かけてごめん」
「私の方こそごめんね、いきなりだったからびっくりさせちゃったよね」
「うんそうだね、すごくびっくりしたよ」
まさか天使に地獄の日々へ案内されることになるなんて。
「そうだよね、だけどどうしても我慢できなくなっちゃって……でも、花ちゃん達は絶対成功するって言ってたから信じて良かったよ」
「え!? これって佐伯さん発案だったの!?」
「へ、え!? 違うよ! 私だけだったら絶対こんなことできなかったもん!」
慌てた様に否定する奈留を見て俺は心を撫で下ろした、もし黒幕が奈留だったら今この場でフェンスを飛び越えていたかもしれない、危ないところだった。
というかその言い方だと俺にバレてしまいそうだが奈留的には大丈夫なのだろうか、
「あと、佐伯さんに戻ってるよ、もう」
「う、その、こういうの慣れてなくて」
「私もまだちょっと慣れなくて恥ずかしいけど、けど……早く慣れてくれると嬉しい、です」
頬を染めながらそんなことを宣う彼女に図らずもときめいてしまう。どうしてこの子は急に心臓を止めてこようとするのか、新手の暗殺者かなにかなのだろうか。
いや、これもあのギャル達のシナリオ通りだと気づけば心臓に冷たいものが落ちた、そのシナリオ力をもっと他に活かせないのか。
「と、とにかく、今日はもう帰ろうか、大分暗くなってきちゃったし」
まだゴールデンウィーク明けで日が落ちるのが遅いとはいえ、既に時刻が17時を回っていた。まだ運動部の元気な掛け声が聞こえてくるが、これから一気に暗くなることを考えると早く帰るに越したことはなかった。
「あ、そうだね、ごめんね遅くまで付き合わせちゃって」
「ううん、むしろ俺のせいでこんなことになっちゃって、本当にごめん」
「……? 幸也くんは何も悪くないと思うけど?」
可愛く首をかしげる彼女が尊くてしんどい、どう考えても俺が陰キャでコミュ障なのが原因で、そしてきっと偶然隣の席だったという理由だけで奈留を巻き込んでしまったことは明らかなのに、彼女は俺を責める気配が一切ない。
その優しさが眩しく、罪悪感がチクチクと胸を突き刺す。
それからすぐどちらからともなく屋上を後にする。一通り話し終えたからか、先程までとは一転して気まずい沈黙が過る。下駄箱までの道のりをここまで遠く感じたことがあっただろうか。
歩きながら先ほどのことを思い出していると、奈留が告白の際に言っていた言葉を思い出した。
奈留は1年生の頃から俺のことが気になっていたと言っていた、確かに俺と奈留は去年もクラスメートだったし、一応の面識はあるが、気になる『きっかけ』のようなものは一切記憶にないため気になった。
もちろん
「その、奈留は俺のこと1年生のときから気になってたって言ってたけど、どうして? 俺たちそんなに面識なかったよね」
「へ、あ、あ~それはそのぉ――笑わないで聞いてね?」
そう前置きをすると彼女は語り出した、どうやらちゃんと設定してあったようだ、罰ゲームに本気出しすぎだろ……
「今年のお正月明けに幸也君、雪で滑って車に撥ねられそうになってた女の子を助けたでしょ? しかも何も言わずに立ち去っちゃう姿がかっこよくて……それから度々幸也君のことに目が向くようになっちゃったの、廊下で他のクラスの子が落とした山積みのプリントを黙って一緒に拾ってあげたところとか、体育で怪我した服部君を抱きかかえて保健室に連れて行ったところとか、他にも――」
「ちょ、ま、ストップ! わかったからそれ以上禁止!」
驚いた、まさかそんなところまで見られてるとは思いもしなかった、確かに撥ねられそうになった女の子を助けたのは事実だけど、その後は泣きだした女の子に対してどうすればいいか分かんなくて逃げ出してしまったのだ、今思えば不審者と間違えられてもおかしくはない。
プリントを拾ってあげたのだって偶然目の前で落とされたから居た堪れなくて拾っただけだし、服部君の件は大した怪我でもないのにパニクった俺が暴走した結果だ、この件でしばらくの間何故か一部の女子にひそひそ陰口を叩かれるようになったことも思い出して身をよじりそうになった。
「ええ~、幸也君武勇伝まだまだ沢山あるのに」
「武勇伝って……え、ちょっと待って、まだ半年も経ってないのにまだあるの?」
「えへへ~」
にへらと笑う奈留を余所に俺は戦慄していた、一体どこまで見られているのだ。
もちろん全て彼女自身が見たわけではなく、ギャル達の集合知なのは間違いないだろうが、それにしたって過剰戦力といったものだ、どれだけ俺を辱めることにベストを尽くしているのか、もはや病的だ。
ここまで調べ上げられていることを鑑みるに、どうやら彼女たちは本気で俺で遊びつくす構えのようだ。もしかしたら奈留も同じように弱みでも握られているのかもしれない、冷静に考えれば表面上とはいえ俺なんかの前でニコニコしていられないだろう。1度考え始めたらそうとしか考えられなくなった。
奈留の演技力に感嘆しているとやっと下駄箱に到達した、後は靴を履き替えて帰宅するだけだ、いつもなら。
奈留がこちらを見つめてくる、もちろん一緒に帰るよねという無言の圧力、定番だからまぁそうなるだろうなとは思っていたが。まさか向こう方から仕掛けてくるとは思わなかった、すっとぼけてくれれば少なくとも今日はこれで終わったというのに。
というかこれ一体いつまで続くんだ、この遊びは学校の中だけで完結すると思っていたが、外でまで監視されるとなるともうプライバシーなど無いのではないかと不安になる。
もっとも常識的に考えればそんなことあり得ないのだが、このとき既に精一杯だった俺は気づくことが出来なかった。
「そういえば、奈留の家ってどこら辺なんだ?俺の家は駅と反対方向だけど」
「私もそっちの方だよ、商店街の近くに大きいマンションあるでしょ、あそこ」
「あのやたらでかくて高級感溢れるやつか……もしかして奈留って結構お嬢様?」
「否定はしません、ふふん」
言葉通り胸を張る奈留の言うマンションは俺たちの住むプチ田舎には相応しくないくらいに立派なマンションだ、前からお金持ちしか住んでいないと話題になっていたが、その伝説の住民が目の前にいることが何となく不思議だった。
ちなみにうちはド庶民だから世が世なら身分違いの恋ってことになる。そもそも始まってすらいないけど。あと小さくない胸を強調するのはやめてほしい、もう心臓が過労死寸前だ。
「それじゃあ、はい」
校門をくぐると奈留が手を差し出してきた、その意図を察せられないほど鈍感ではないつもりだが、そもそもさっきまでまともに会話していたのでさえ奇跡だったというのに、コミュ障にはあまりにハードルが高い。
しかし彼女も色んな意味で恥ずかしい想いを我慢してやっているに違いないのだ、そんな彼女に恥を掻かせるわけにはいかない。
俺は決死の覚悟を決めると奈留の手を取り、所謂恋人つなぎの形に持って行く、急に指を絡めたためか奈留が一瞬ピクリと震えたことを繋いだ手から感じ取った。緊張していたのか、その掌は既に汗ばんでいた、いやそれとも、自分のものだったのかもしれない。
「なんていうか、定番中の定番だけど、やっぱり恥ずかしいね」
「お、おう」
どうしたって意識してしまう奈留の手の温度に心臓は限界を超えてバクバクだ、今日だけで普段の倍は心臓に負担をかけているような気がする、これがもし毎日続いたら精神より先に肉体の方が限界を迎えそうだ。
その後は無言でひたすら通学路を歩いた、しかし奈留はやはり俺と歩くのが恥ずかしいのか、すこし俯きがちだ。
お互いに無言だが、むしろ気持ちのいい静寂は逆に奈留の存在を近く感じさせて、甘酸っぱい青春を感じさせてくれた。偽りのだけど。
そうしていつもより少し余分に歩き、奈留をマンションの入り口まで送り届けると
奈留の姿が見えなくなると同時に俺は元来た道を引き返した。そういえば今日は毎週妹に頼まれている雑誌の発売日だが、怒涛の展開に疲れたので明日でいいだろう、今日くらいは兄の我儘に付き合ってくれと思いながら、寂しくなった右手の感覚を振り払うように家を目指した――
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