天武天皇は"蘇我入鹿の子"である。

営為つむぐ

はじめに

 2019年5月、約30年ぶりに皇位の継承が行われ、それに伴い、今上陛下の弟君である秋篠宮あきしののみや様が"皇嗣"の座に就任された。今年(2020年)4月には"立皇嗣の礼"が予定されていたが、新型コロナウイルス蔓延の影響により、目下のところ延期されている。

 (2020年11月8日 実施)

 陛下の御息女である愛子様を待望する意見も存在しているが、女帝の婚姻により皇室以外の家を父系に持つ"女系天皇"が誕生することを忌避する見解が いまだ一定数 現存。愛子天皇誕生の道筋は 今のところ立ってはいなかった。

 ただ、女性皇族の即位(女性天皇)を認めることに関しては、国民の半数以上が賛意を示している。

 当代の天皇の弟が 次代の皇位継承者に選出されるのは、何も今回が初めてのことではなかった。最も著名な例としては、7世紀後半の大海人皇子(後の天武天皇)が挙げられるだろう。彼は、大化の改新の主人公 天智天皇(中大兄皇子)の"皇太弟"だとされていた。

 だが、彼は一部では、。当時 倭国は国家存亡の淵に立たされていたが、その危機を回避するために 彼が出自を超えて立ち上がったというのだ。危急の折に偏狭的な想いに囚われてしまえば、国家が転覆する恐れがある。この時節、倭国は 外交方針を巡る重大な転換点を迎えていた。


-この国のいにしえの歴史は、主に8世紀初頭に完成した『古事記』や『日本書紀』を基礎としている。これらは 天武天皇が命令して編纂されたものだと一般に考えられているが、彼の死後 20年以上経過した後 完成していた。

 その間に、様々な事件や出来事が起こり、それらは もはや誰のための書物か分からなくなっていた。そして おそらく、その流れの中で、天武の本当の素姓は隠されていた。

 この国の根源・起源ルーツは、大方 この時代に明確に形造られたと私は考えている。同様に、女系天皇を嫌う気風も この時代に醸成されたものと私は愚慮している。文書には得てして嘘が交じり、正史やもう一つの歴史書の記述が正確なものだとは必ずしも言えないが、それらから読み取れる対立関係や断片的な真実は確かに存在した。これらの情報から当時の時代背景や状況をとらえ、また、歴史書のに主に秘められた投射や暗喩なども踏まえて、天武天皇の正体,ひいては 古代史の隠された真相を明らかにする。

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