[3-2]王家の罪


 人身供犠くぎ。耳慣れない単語にセスは隣のラファエルを見、息を詰める。彼の顔色が見るからに蒼ざめたからだ。驚きよりも強い感情が内側からあふれ出したような。

 だから、交渉の席だというのに思わず声を掛けていた。


「ラフさん……大丈夫ですか?」

「う、ああ、大丈夫だよセス。人身供犠、だったね」


 我を取り戻したかのようにラファエルは一度大きく息をつき、表情を改める。さっきの絶望的な様子からでは虚勢にしか見えないが、少なくとも、国家的犯罪行為に彼が関わっていないのは明らかだった。

 こちらの様子をじっと観察していた魔王と魔将軍が二人で目くばせし合い、小声で囁く。


「やっぱりラファエル王子はシロと見て良さそうだね」

「ああ、シロだな」

「……僕を、試したのかい?」


 王子の声音にほんのりと不機嫌が混じる。ネプスジードは猛禽もうきん双眸そうぼうを細め、口角を上げて言った。


「俺としては、貴公の無実を信じていたさ。末王子は離宮に押し込められ、日がな命を狙われていたと聞いていたし、臣下や国民から伝え聞く評判も好ましいものだったからな」


 魔将軍からの思わぬ肯定的評価に驚く。政治的な話が苦手なのか、あるいは人間たちの事情に口出すつもりはないのか、銀竜クォームは沈黙を保ったままだ。彼が何も言わないところ、魔王も魔将軍も王子への害意を持っているわけではないのだろう、と少し気が楽になる。

 平静を取り戻したらしいラファエルが、挑むように相手側を見返した。


「魔王、ネプスジード。鵜呑うのみにするつもりはないが、父と兄の言動については僕自身も常々、疑わしく思っていた。戦火神に誓って、エルデ・ラオ国が第二王子、ラファエル・エーレ・ブルーメンタールは王族による国家ぐるみの不法行為に関与しておらず、偽神の神託を受けたこともない。もちろん王族の末席として、知らなかったで済まされないのもわかるけど、今の僕に答えられるのはこれだけだ」

「確かに。王子の言葉は真実のようだな。この件に関する証拠と関係者からの調書は後ほど渡そう。しかし貴公が王家の一人としてエルデ・ラオ国に戻るのであれば、王族たちが行なった悪事の後始末もせねばならない。その意志と覚悟はあるか?」


 おそらく向こうはある程度の事実確認を済ませた上で、ラファエルの出方をうかがったのだろうと察することができた。

 しかしこのネプスジードという人物、いったい何者なのだろう。ナーダムの話からすれば占有下の治世を行なっていたのは彼らしいので、ただの神官戦士でもなさそうだが。

 ラファエルの反応を見るに、既知の神官というわけでもないようだ。言っていることは正論かもしれないが、無関係なラファエルを断罪されているようで面白くない。口出す権利がないのは重々承知で、それでもセスは尋ねずにはいられなかった。


「魔王軍がエルデ・ラオ国に侵攻した理由は、そのためですか?」


 翡翠ひすいの目と猛禽もうきんの目、二人が同時にセスを見る。余計なことを言った自覚に耳が熱くなる。しかし魔王は瞳を和め、穏やかな声で答えた。


「もちろん、理由の一つではあるよ。……実はね、魔王業とは別に『偽神信奉者の不法行為を探ること』は、伝承者バルドであるディヴァス・ウィルレーンのライフワークでもあって。これはエルデ・ラオ一国だけの問題ではなく、帝国にも巣食っていた問題なんだ」


 思わぬところで巻き込まれ、セスは返答に詰まった。一瞬、意味がわからなかったが、すぐにアルテーシアの話を思いだす。

 彼女は神託により、産まれてすぐ殺されそうになったと言っていた。魔王は兄として、その神託を『偽神』によるものと疑ったわけだ。とはいえ魔王もセスに答弁を求めるつもりはないのだろう、すぐに視線をラファエルへと転じる。


「魔王軍は、人間種族を鏖殺おうさつするつもりなどない。しかし、人間の国家にくだるつもりもない。僕は、の枠に入れてもらえないを率いる王として、生き延びるための道を模索している。飛竜と強い絆を結んだラファエル王子となら、こういう話もできるんじゃないかと思っていてね」

「返答次第だが、我々はエルデ・ラオ国の正統なる王として貴公を迎え入れるつもりだ。その代わりに貴公には、国家を挙げて魔王様を庇護ひごして欲しい。要するにラファエル王子、俺たちと手を組まないか?」


 まさかの逆勧誘。形としては、ラファエルが望んでいたものに近い。しかし、当人は茫然ぼうぜんとするのみで、答えに迷っているようだった。

 当然だろう――と、わからないなりにもセスは思う。家族を殺され、部下を殺され、国家を奪われたのだ。脳裏に、怒りをぶつけてきたティークの姿が過ぎる。十年経っても彼の恨みは薄まることはなかった。

 ましてやラファエルにとって故国陥落は、ごく最近、降りかかったことなのだから。


「……王子、なにも今ここで返答しなくていいだろ」


 ふいにクォームが発言した。ラファエルははっとしたように瞬きし、頷く。


「クォームの言う通りだ。この問題は、すぐには答えをだせない。少し、考える時間をもらってもいいかな」

勿論もちろんだ。魔王軍は、ラファエル王子とその連れに手出しをしないと約束しよう。何なら、くだんの証拠を見て決めたっていい」

「ふぅん……ずいぶん親切だ」


 饒舌じょうぜつに語る魔将軍へいぶかるような視線を投げたあと、ラファエルはソファを立ってセスとクォームを促した。


「クォームは、万が一にもセスが何かをされないように、ついててくれる? 僕は少し、一人で頭を冷やしてくるよ」





「ラフさん、待ってください!」


 離宮はラファエルがずっと暮らしていた場所であり、邸内についても知り尽くしている。案内は必要ないと言って魔王と魔将軍の退出を見送ったあと、一人でふらり立ち去ろうとするラファエルを、セスは慌てて呼び止めた。


「なに? 悪いけど、少し一人になりたいんだ」


 振り向き微笑む姿は、いつもの自信たっぷりな様子と違ってはかなさが漂っており、不安が募る。クォームがセスの肩を軽く叩き、囁いた。


「オレ様、テキトーな場所から全体を眺めておくからさ、おまえはついててやれよ」

「わかった。俺たちのこともだけど、万が一にもルシアたちに危険が迫るようなことがあれば、教えてくれ」

「おー、了解だぜ」


 にぃと笑んで片目をつむるクォームに後押しされ、ラファエルの後ろ姿を追いかける。彼が向かうのは、外庭――だろうか。

 見失う前にと急いで駆け寄れば、彼は気づいてくれたのか足を止めた。


「セス、和平交渉の最中だといっても、単独行動は危険だよ?」

「ラフさんこそ! それに、今のラフさんを一人になんてさせられません!」


 彼に対しては基本的に、聞きわけのいい新人であるつもりだ。でも今は、引きさがれないと思った。

 ラファエルは黙って目を瞬かせたが、ふいに口元を手で隠し、笑いだす。


「ふふっ、はは、やっぱりセスは上官の言うことを聞かない困った新人だな。わかったよ、じゃあ……付き合って」

「えぇ!? はい!」


 ラファエルからの評価が自己評価と真逆だったのは衝撃だが、側にいる許可が貰えたからよしとする。

 二人連れ立って向かった先は思った通り飛竜たちを置いてきた外庭で、蒼飛竜マリユス翠飛竜ギディルだけでなくナーダムがいた。翠飛竜に食餌しょくじを与えていたらしいエルフ青年は、二人の足音に気づいたのか視線を向ける。


「あんた、……王子。こいつ、僕の手からじゃ食べようとしないから何とかしなよ」

「マリユスは、僕があげたものじゃないと食べなくてね。気にかけてくれて嬉しいな」

「……別に」


 ちらと視線で示した先には、芝生に転がった大きなかご。色とりどりの果物が入ったそれが、マリユス用なのだろう。

 当の蒼飛竜はラファエルの姿を見て、嬉しそうに首を上下に揺らしている。翠飛竜のギディルが一声「クァゥ」と鳴き、ナーダムは頷いた。


「じゃ、僕らは邪魔にならないよう行くから。人間用の夕食は、食堂に行けば食べられると思う」

「わかった。ありがとう、ナーダム」


 ラファエルは柔らかく微笑んで魔王軍の竜騎士を見送り、甘えて頭をこすりつけてくるマリユスを撫でながら、籠の果物を与え始めた。リンゴやオレンジ、セスが見たことのない大きな果実などをまるごと噛み砕いて豪快に飲み込むさまは、さすが大型幻獣だ。辺りには甘酸っぱい香りが充満し、セスの腹までがぐぅぐぅと鳴きだした。

 考えてみれば、まともに食事したのは朝早くで、以来何も口にしていない。ラディオルが持ってきたクッキーも、結局手をつけないでしまった。ずっと一緒に行動していたラファエルも、相当空腹だろう。


「ラフさん、マリユスのお世話が終わったら、俺たちも夕食もらいにいきましょう」

「夕食、そうだね。セスには、ちゃんと食べさせてあげないと」

「ラフさんだってお腹空いてますよね?」


 最後の一個をマリユスの口に押し込み、籠のそばに置いてあったタオルで飛竜の口元を拭いてやりながら、ラファエルがうつろに応じる。どこか引っ掛かる言い方に思わず突っ込めば、彼は困ったように笑って言った。


「うーん……。これはセスだから話すけど、実は僕、この離宮では物を食べることができなくてさ。以前に毒を盛られて死に掛けたのが原因なんだけど、あのときから、なにも喉を通らなくなって」

「え、でも、ラフさんここに住んでたんですよね?」

「うん。その時は、僕の天使……ルーファが作ってくれた料理を食べていたんだよ。まあ、砂漠都市サグエラみたいな大衆食堂でも、身分がバレてないなら大丈夫なんだけどね」


 僕の天使、と呟いた声音が甘やかだったので、セスは遅まきながら二人の関係性に気がついた。

 外庭はほんのりと魔法光が照らしているとはいえ、薄闇に覆われた時間。視線を落としてしまったラファエルの表情は、曖昧あいまいな闇に阻まれよく見えない。


 どうしよう、とセスは逡巡しゅんじゅんする。ルフィリアは砂漠都市に置いてきたので今ここにいない。通っていた騎士育成訓練所で野営の実践練習をしたことはあるが、セスにとって料理は未知の領域だ。かといって無一文の自分では外に行って買うこともできないし、そもそも土地勘がまったくない。

 だとしても、ラファエル王子に何も食べさせず一日を終えるわけにはいかなかった。

 砂漠の国で心細かったときも、友との対決に心折れそうなときも、グラディスやナーダムと決着をつけたときも――、彼がいて支えてくれたからこそ自分は生き延び、やり遂げることができたのだから。


「ラフさん! それじゃ、外に食べにいきましょう。俺、護衛しますから」

「外といっても……僕はほとんど外出したことがなくて、街のどこに何があるかを知らないんだよね。僕のことはいいから、食堂に――」

「ラフさん食べられないなら意味ないです。それじゃ俺、魔王か誰かに聞いてきますよ。何なら街で住民の方に聞けば、美味しいところを教えてもらえるかもですし!」


 セスの熱い主張に出掛ける空気を察したのか、マリユスが首を傾げ「ファ?」と鳴く。ラファエルはそんな愛竜の首を叩いてなだめつつ、苦笑を返した。


「もう時間も遅いし、君の身体も心配だ。街に行って食事できそうな店を探し回るとか、僕は上官として許可しないからね?」

「ならば、俺と一緒に出るのはどうだ?」


 言い返す前に入った横槍は、耳に覚えのある声だった。二人一緒に振り向いた先には、グリフォンとともにたたずむ猛禽のような魔将軍。マリユスが前傾姿勢を取って「ファッ」と威嚇いかくする。

 一瞬、呆気に取られたセスだったが、蒼飛竜マリユスの声で我に返った。


「何のつもりですか!?」

「そう威嚇いかくするな、他意はない。夜警の一巡りを終えたところで偶然、貴様たちの話が聞こえただけだ。俺も魔王軍では唯一の人間だからな……奴らと一緒の食事は舌が合わぬ」

「そう。でも、君が僕らに同伴する意味はあるのかい?」


 マリユスの首を撫でて落ち着かせつつ、ラファエルも警戒心をあらわに問い返す。

 魔将軍ネプスジードは喉の奥で笑ったようだった。鷲に似た琥珀こはく双眸そうぼうが、淡い魔法光を呑み込んでゆるりとなごむ。


「貴様たち、土地勘がないんだろう? 俺はこう見えて、エルデ・ラオ国出身だ。街には夜間外出禁止令をいているが、宿屋付属の食堂ならいけるだろう。庶民しょみん向けで構わんなら、俺がおごってやる」





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