第24話 ごまかし方を考えていなかった

 隣町へと向かう電車は混み合っていた。晴奈たちと同じように浴衣などの和服を着込んだ者も多く、この内のほとんどはやはり同じように夏祭りへと向かうのだろう。その中で、向かい合って立つ夏音に晴奈はつい先日、宮澤成司から交際の申し込みがあった事を話した。夏音は分かりやすく大きな目を輝かせて聞いた彼女は、大きく頷いた。


「宮澤君なら、あたし反対しないよ」

「親か」

「冗談ともかく、マジで宮澤君は悪い話聞かないし。特別モテるとかそういうんじゃないけど、人気っていうより人望ある感じ。ていうか、晴奈の方が部活一緒だしよく知ってるでしょ」

「それはそうだけど、なんでそんな人が私に……」

「見る目あるじゃん?自信持ちなよ」


 そんなこと言われても、ともごもご口ごもると夏音は逆に何が不満なの、と面白そうに言った。実際半分くらいは面白がっているのだろう。


「不満とかそういうんじゃなくて。ただ、お付き合いとかなんか、よく分かんないよ」

「晴奈あんたいくつよ」

「恋愛偏差値低くてすみませんねぇ」


 実際、分からない。縁遠いのだ。小説でも漫画でもドラマでも映画でも、恋はどこでだって描かれる。身の回りでだってやはり恋の話題とはあるもので、でもやっぱり自分を主人公に据えた恋愛を晴奈は全く想像できない。というよりは――想像するのを、やめてしまった。恋なんて苦くて怖くて恥ずかしい、一方的な押しつけだ。それなのに成司が告白などするものだから、しかもそれが押しつけと呼べるほど不愉快な物ではなかったから、返事について考えれば考える程晴奈は混乱した。


「あたしも別に高いわけじゃないけど」

「嘘だぁ。今年だけで何人フッたの?」

「え。えー……三人。で、でもさぁ!なんか、運命感じないから……。いやこれは恋愛偏差値の判定基準にはならないでしょ!」


 夏音は夏音で、モテるけれども交際に発展した人数は片手で数えられるほどしかいない。お断りの理由も、破局の理由も大抵いつも同じで「運命を感じない」らしい。急に夢見がちなことを言うものだからはじめは晴奈も瞠目したものだった。ただ理想が高いだけだと思ったら、彼女は本当に運命の相手が現れるのを待っているし探している。


「それはいいから、今は晴奈の話。どうするにしても早めに言った方がいいよ。お互いのためにも」

「そうだよねぇ……。でも、どうしよう……」

「まぁ、晴奈がビミョーだなって思うなら無理に付き合うことないんじゃない」


 実際、成司と交際をしたらそこそこに楽しいのかもしれない。晴奈にとっては数少ない、少しは世間話ができる異性である時点でそれは証明されたも同然だ。だが、それでも晴奈は恋愛が恥ずかしい。断るのも気が引けるけれど、積極的にもなれない。

 晴奈は思う。成司と交際して休日を一緒に過ごすのと、かしゅみを連れて駄菓子屋に行くのだったらきっと――今は後者の方が楽しいのだ。やっぱり夏音に話して正解だった。断るべきだ、なるべく早く。


「うん。……やっぱり断る。それはそれで勇気がいるけど」

「そっかぁ。ちなみに理由は?聞いてもいい?」

「今は夏音ちゃんとか、かしゅみくんと遊んでたほうが多分楽しいから」


 夏音は面白がるでもなく、ただ眉尻を下げて笑った。なにそれ、という彼女の声にはどこか胸をなで下ろすような吐息が混ざっていた気がした。



●●●




――――隣町の神社は広い。その中に所狭しと出店が並び、立ち上る湯気が夏祭り特有の空気を作り出している。この匂いを嗅ぐと真夏と夏の終わりを同時に感じる。楽しさと切なさを連れてくる夏祭りという行事が晴奈は好きだ。


「大玉飴?」

「うん。かしゅみ君におみやげ。出かけるとき拗ねてたから」

「一緒に行くって?」

「そうそう。最終的にはぐれたら帰ってこれなくなるよって言ってお留守番させてきた」


 それでもやはり拗ねてもそもそとハンカチにくるまって不貞寝し始めるものだから、晴奈は罪悪感と愛しさでどうにかなりそうだった。でもきっと、かしゅみはこの色とりどりの大玉飴に目を輝かせるだろう。透明のチープなビニールの巾着袋に入った姿は晴奈だって胸が躍る。普通にスーパーで買うよりも割高なそれは、いくつになっても魅力的なのだ。


「綿菓子は嵩張るかなぁ」

「りんご飴は?それか、カルメ焼きとか」

「カルメ焼き!それにしよう……!」

「かしゅみって、食べ物以外は興味ないの?おもちゃも好きなら、ほら、水に浮く魚とかあるじゃん。ああいうのは?」

「どうだろう。でも……洗面器とかに一緒に入れて泳がせたら絶対かわいい……」

「じゃあやってこ。あそこにちょうどあるし」


 ころころと足元の下駄が鳴る。鼻緒で擦れた指がそろそろ痛くなってきた。


「おじさん、一人一回ずつお願いしまーす」

「はいよ」


 渡されたのは小さめの味噌こしのような網。それで一度に掬えた分だけもらえるらしい。小さな流れるプールの中をプラスチックの熱帯魚が泳いでいる。クマノミ欲しい、と夏音は早速しゃがみ込んで狙いを定めた。それならナンヨウハギも一緒に欲しいでしょ、と晴奈も隣にしゃがんだ。浴衣の袖を濡らさないように、そうっと網を構える。水に半分沈んだ網にカチャカチャと音を立てて色とりどりの魚が溜まっていく。


「……よし。クマノミもナンヨウハギも取れた!」


 夏音は一足先にすくい上げた網の中身をビニールの巾着に入れてもらう。晴奈もそれにならって網を持ち上げた。静かに持ち上げたがいくつかこぼれて逃げていった。結果として、夏音よりも一匹少ない魚を袋に移してもらうことになる。こういう細かなところでいつも自分の不器用さを感じる。


「晴奈のはチョウチョウウオかな。それもかわいいね」

「かしゅみくん喜んでくれるといいんだけど」


 心配しなくとも、かしゅみは喜ぶだろう。あの短い手足で水を掻きながらオモチャの魚と戯れる姿を想像して早速多幸感を得る。二人はこのまま花火の場所取りをしようと河川敷に向かう。きっと楽しい思い出になるはずだ。



――――それだというのに。



「いいじゃん、花火だけでも一緒に見ない?」

「俺ら良い場所知ってるからさ。穴場穴場」


 二人組の大学生らしき男に絡まれてしまった。正確に言えば恐らくは夏音をメインターゲットとしているナンパだ。祭りを楽しむ人々はよくある光景に足を止めない。夏音は当然あっさりと断ったが、相手がしつこかった。向こうも断られ慣れてるのかもしれない。夏音は自然と晴奈を庇うようにして立って対応している。それが申し訳なくて、だが前に出ることもできずただ隠れている。嫌悪と情けなさで下唇を噛む。――――嫌、嫌、嫌。晴奈の脳内はしつこい二人組への敵意で満たされていく。その時、気付いた。出店から立ち上る湯気が――最早霧と呼べるほど、異様に濃い。どこかで火事でもあったかと心配になる程に。周囲でも何人かが辺りを見回して不思議そうにしている。


「やめなよお兄さん。困ってんじゃん」

「……あ?」


 バッと視線を夏音の先、二人組の男の方へと戻すとその隣に黒髪で長身の、少々顔色の悪い男が増えていた。その男に晴奈は見覚えがある。カスミだ。家で夏祭りに一緒に行くと最後まで駄々をこねて最終的にふて寝しているはずのかしゅみの、真の姿。それがなぜか笑顔で立っている。突如現れたカスミを二人組の男は苛立たしげに見上げるが、みるみるうちに表情を強ばらせていく。それもそのはず、カスミの目は全く笑っていない。深いエメラルドグリーンの瞳は貫くような眼光を放ち、今すぐにでも目の前の獲物を丸呑みにしそうな獰猛さを宿している。晴奈と相対していたときの穏やかさなどどこにもない、悪魔の姿をしている。

 ナンパ男達は何か、もごもごと口を開けたり閉めたりしている。それにカスミの口元の笑みが深まる。その青白い横顔に、夏音が後退るのに気付いて晴奈はやっと喉から文字通り声を絞り出した。


「あ、あのっ!」


 わずかに裏返った声にカスミが反応する。晴奈と夏音をその視界に捉えた途端、彼は表情をパッと明るくした。二人組の男はもうどうでもいいらしい。二人組の方もそそくさと逃げていった。確かにあの目を真正面から見たら逃げたくもなる、と晴奈は内心頷いた。楽しい時間を邪魔されたにも関わらず少々同情する程度には、深く。


「かわいいの持ってる!甘い匂いもするし、お祭りっていいねぇ」

「な、なんでここに……?家でお留守番してるって……」

「あー、我慢できなくて遊びにきちゃった。でもやっぱ体力限界っぽいから……そろそろ帰るね」


 出店の照明が暖色系だから多少誤魔化されているが、やはり顔色が悪い。あの小さい妖精の姿でもすぐに疲れて眠ってしまうことを考えれば、この大きい姿で移動するのは相当負担なのかもしれない。


「あの……あ、ありがとう。その、一人で帰れますか……?」

「大丈夫。はるちゃんはちゃんと楽しんで帰ってくるんだよ。俺は帰ってママにお菓子でももらえばすぐ元気になるから。いいね?」

「……わかりました。気をつけてね」

「うん。お土産楽しみにしてるね。ほら、花火?だっけ?始まっちゃうよ」


 カスミは晴奈と夏音を促す。夏音は未だに呆気に取られて晴奈と彼の顔を交互に見ていたが、晴奈に腕を引かれてやっと意識がしっかりと戻ったらしい。歩きながら彼女は得心がいった様子で呟いた。


「……あれじゃ宮澤君、適わないわ」

「そういうんじゃないからね!?」


 言いながら振り返った先に、カスミの姿はもうなかった。

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