五年越しの桜
颯
五年越しの桜
「今日で最後だ。君の、返事を聞かせて欲しい。」暗がりの中、馬乗りになりながら私の幼馴染である佐々木ひかりは尋ねた。正確には、幼馴染であり許嫁、親の次に長い時を過ごした相手であり、恋愛感情以前に強い絆で結ばれている間柄だ。
「改めて言わせてもらうが、あの日から、僕は君のことが大好きだ。その想いに翳りや曇りが生じたことはないしこれからもない。だが、君の返事がNoだと言うのなら、僕は、諦めよう。それぐらいの分別は弁えているからね。だから、君の、本心を答えて欲しい……5年もまったんだ。この期に及んでまだ待って欲しいなんて言葉は止してくれよ。覚悟はとっくに出来てるんだから。」何時になく顔は強ばっていた。
「さすがにこれ以上は待たせないよ……はぁ、これは私の負けかな」言葉を呑み込むのに手間取っている彼女の唇をそっと、啄んだ。
好きになった方が負け。という言葉は、順番について何かを言っていることはない。先に好きになろうとも、最終的に相手も好きになればそれは引き分けだし、相手からしてみれば自分は「恋愛」という遊戯の敗者に陥った事に変わりはない。かくいう私もその敗者の末席に座す一人と相成った訳だが、悪い気はしない。寧ろかつてないほどの幸福感に包まれていた。
物語は5年前、中学3年生の大晦日まで遡る。
許嫁といっても実はそれ程拘束力のあるものではない。そもそもは両家の愚父が酒席で酔いに任せて約束したもので、後で両家の母たちにこってりと絞られ、本人達が拒否すれば何時でも解消出来るということになった。とはいえ、幼い二人には結婚だなんて言われてもピンと来なく、解消しようなんて思うこともなく数年が過ぎた。その間に、ひかりが小学校を卒業し、私が後を追うように卒業したと思ったら、今度は向こうが高校進学というのを続けて私は中学3年生になった。そしてその年、梅雨に起きた事件の後、雪が舞う大晦日から、事が進み始めた。
「今年ももう終わりか……」炬燵の中でぬくぬくしながら大晦日の特番を見ていると、隣にひかりが入ってきた。
「今年の終わりを名残惜しむのも良いが、来たる来年の目標を今のうちに考えておかないと、一年をなあなあに過ごしかねないよ。」
「目標は既に考えて終えたよ。考え終えてなお時間が余ってるから名残惜しんでるんだよ。」
「それは良い心がけだ。だが、名残惜しむより残りの数時間を有意義に過ごす方が大切だよ。」
「そういうヒカはどうなんだよ。」さっきから説教くさい幼馴染に言い返した。
「僕かい?僕は……心を落ち着かせてるんだ。一世一代の大勝負に備えてね。」
「一世一代って、それはただ事ではないな。何をする気なんだ?」
「それはまだ言えないかな。その時が来たら教えてあげる。」どうやらすぐには教えてくれないようだ。しかし
「その言い方だと、私にも少なからず関係がありそうだな。」
「……今のは失言だったよ。」
「珍しいな。ヒカが失言するなんて。」
「それぐらい緊張してるってことだよ。」
「まあ、これ以上は深掘りしないよ。」
「……ありがとう」少しは落ち着いたのだろうか。さっきよりも表情が幾分柔らかくなったような気がした。
「……少しだけ横で寝てていいかな。」と、徐に尋ねられた。少しだけ眠たそうだった。
「いいよ」とだけ返事をしたら、何かが寄りかかってきて、振り返ろうとしたら今度は首筋に何かが寄りかかってきた。どうやら、ヒカが肩に寄りかかって寝てしまったようだった。しかしながらヒカの方が身長が高い故か、安定感に欠けて落ちそうだったので、起こさないようにしながら膝枕をすることにした。
膝枕というのは、イメージ的には女性が男性に対して行うものというイメージが強い。筋肉質な男性よりも体つきが柔らかい女性の方が適任だと思いもしたが、とある女性は男性の逞しさを感じられるからむしろされたいし今しろと彼氏に抱きついていたという事例から察するに、珍しいかどうかは母数が少なすぎて判断できないが、論理的に考えると不自然などという事はないだろう。また、実際に膝枕をしていて気づいたのだが、相手の髪の毛を触れるというこれ以上ないメリットも確認できた。悲しいことに私よりヒカの方が背が高いからか、なかなか髪の毛を触る機会がない。なでるふりをして触ろうにも、逆に子ども扱いされてなでられてしまう。実際こちらが年下なために精神的なアドバンテージを向こうに持たれている故、よくなでられるのだが……実は少しだけ気持ちいいなんていうのは口が裂けても言えない。しかしながら改めて髪の毛を堪能していると、何とも言えない心地になる。別に触っているだけだし、普段の仕返しと考えればそれ以上のことなど何もありはしないのだが、なんとなく背徳感を覚える。自分が仕返し以上の「何か」を感じているからだろう。欲情などという低俗なものではないにしても、知られてあまり気持ちの良いものではない「何か」があった。
「……触るのは良いけどグシャグシャにはしないでね。」髪の毛を堪能していると、いつの間にか起きたヒカに注意された。
「……それってグシャグシャにしなければいくらでも触って良いってこと?」さすがにそんな訳は
「いくらでも触って良いよ。なんなら、ついでに胸も触る?」そんな訳あった。なんならそれ以上だった。そして、良いと言われると罪悪感というのが消えてしまい、いつの間にか触っていた。ガッツリと、躊躇なく、幼馴染であり許嫁であるヒカの胸を堪能していた。
「……非常に言い難いんだが……実はさっきのは冗談で……ひゃうっ!」びっくりして強く揉んでしまった。なんかもう、我ながら最低だ。
「……ごめん。」許されるとも思えないが、取り敢えず謝って気持ちを伝えたかった。
「……この程度のことで君に腹を立てるほど、僕は度量が狭い人間では無いよ。それに、君には海よりも深く、山よりも高い恩義がある。変な話だが、もし君が過ちを犯し、僕のことを蹂躙しても、僕にはそれを咎める権利などない。なんなら、君からなら僕は進んで蹂躙されよう。それが僕の、君からの恩義に対する責務だ。」
「……そんな、馬鹿みたいな恩義はヒカには無いし、如何なる恩義があろうとも、救ったものを粗末にされちゃ、何のために助けたか分かったもんじゃない……って、今の俺が言っても説得力は無いけどな。」
「……少なくとも性犯罪者には最も似つかわしくない言葉だ。」
「それを言われるとさすがに弱るよ。」
「……ふふ。そうに違いないわ。」と、柔らかい笑みを浮かべていた。偶にしか見せない、
その後は特に何もなく、年越し蕎麦を啜った後、例年通りに二年参りに行く事にした。地元の神社だが、それなりのご利益があるらしくかなりの盛況ぶりだ。特にこの時間帯はかなり混雑するのだが、なんとなくこの時間に行ってしまう。しかも毎回わざわざ和装でだ。
「もう少し待ってもらえるかい?」とはヒカだ。女性の召し物は男性のそれより複雑故にどうしても時間がかかる。そんな訳で待つこと少々、ヒカが出てきたのだが驚いた。何時になく綺麗だった。鮮やかな着物ももちろんそうだが、何よりも淡い化粧がより一層美しさを引き立てていた。派手過ぎず、地味過ぎず、可憐という字を体現しているかのような美しさだった。
「そこまで褒めてもらえると、頑張った甲斐があるものだ。」どうやら心の声はダダ漏れだったが、ヒカも満更でもないようだった。
二年参りの途中、いつも寄り道する所がある。ちょっとした丘で、頂上には一本の桜が生えているのだが、この桜は五年に一度、冬に狂い咲く珍しい桜だ。その珍しさ故か、この桜が狂い咲く時期にこの桜の前で想いを伝えると成就するという言い伝えがある。今年はその年なのだが、なんともベタで、夢のある話だ。しかしながら、現実的にこんなシチュエーションで告白されて、断るという選択を取る奴は居ないだろう。何しろ桜以外にも、月が良く見える場所なのだ。夜桜と月。この2つの組み合わせに勝るものはそうそうない。などと思案しつつ桜を眺めている時だった。
「……君に、伝えたい想いがある。」ヒカがそう、告げてきた。
「まず君に、改めてお礼を言いたい。梅雨の一件の時は、本当にありがとう。君があの時助けてくれなければ、僕は死を選んでいただろう。君は命の恩人だ。」
「……幼馴染が苦しんでたら、困っていたら、助けるのは当然だ。ヒカだって、私が困ってたら助けてくれるだろ。」
「ああ、もちろんだよ。たとえ命に代えても君のことは助ける。絶対だ。」
「そういうことだ。わざわざ礼を言われるようなことでは……」
「もし君になにかあって僕が助けても、君は今の僕と同じように礼を言うだろうし、同じような恩義を感じているだろう。」
「……だろうな。ヒカが言うんだ、きっとそうしてるだろうな。」ヒカは続ける。
「君にとっては当然のことであっても、それでも助けられた僕としては、嬉しいんだよ。まるで白馬の王子様が颯爽と助けてくれたような、そんな気分だったんだよ。」
「白馬の王子様ってのは、少し大袈裟じゃ……」なんだか気恥ずかしくて照れてしまう。
「大袈裟なんかではないよ。あの状況で僕を救ってくれた君は、間違いなく王子様で、ヒーローで……無自覚に、私の心を奪っていったんだよ。」
「え?」無自覚に……奪っていった?私が?何を?
「……僕は、君のことが、華宮頼政の事が好きです。どうしようもなく好きです。許嫁とか関係なく、純粋に、堪らなく好きです。僕と、結婚してください。」
情けない事だが、しばらく状況を理解する事が出来なかった。その上、出した答えは
「返事はしばらく待って欲しい。」という、最低なものだった。そして、あの日から丁度五年になる今日までずっと、返事を待たせていた。なんて最低な男なのかと、時々自己嫌悪に陥ったが返事は出来なかった。返事など、出来るはずもなかった。佐々木ひかりは、私にとって幼馴染だ。許嫁なんてものの前に、気心の知れた古くからの間柄で、今更それが変わる事を恐れ、拒絶していた。この距離感が変わるのが、堪らなく怖かった。
だが最近、とあることに気付いた。気付かされた。人と人の関係は、移り行き、変わるものなのだと。不変などない。たとえ距離感が変わらずとも、関係そのものは変わる。恋人から夫婦、夫婦から親と、常に変わる。そして距離感は、変わることもあれば変わらないこともある。熱々のまま続くこともあれば、すぐに冷めることもある。ずっと隣に居続けることもあれば、離れ離れになることもある。だから、私とヒカの関係も、変わらねばならないのだろう。親友以上恋人未満というより、親友≦恋人という、歪ともとれる関係から変わる時なのだ。≦恋人という虚像から、実像である=恋人へと変わる時なのだ。
唇を啄んだ後、ヒカをそっと抱き締めた。言葉というのは不十分だ。想いを伝えるには、不足し過ぎる。
「……言葉では不十分というのなら、是非やまとうたで伝えて欲しい。」ヒカが意地悪そうに言ってきた。
「……やまとうた?」
「万の言の葉である和歌は、『をとこをむなのなかをもやはらげ』ると言われているから、言葉が嫌なら是非一首読んでもらいたいものだ。」
「さすがにそれは無茶が……」ふと、一つ思い浮かんだ。
「思い浮かんだようだから、お願い出来るかな?」
「……ああ」五年前の夜の風景と共に
有明の
桜舞い誇る
夜更けより
筒井筒なる
我らが間
今年も桜は、咲いているのだろう。
五年越しの桜 颯 @hayatetukihime
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