第1話

 レグノ北端の地から南下し、数日馬を歩かせた彼は西部平原にある小さな町に到着した。大きな農園のそばに作られた町で、看板にはラルゴと書かれていた。

 時刻は夕方。長々と歩き続けたおかげで馬も目に見えて疲れを貯めていた。彼は大陸縦断を共にした友人を撫でた。

「もう少ししたら休憩にしよう」

 自分だけでなく、馬も休まなければならない。彼は宿と食事のためにひとまず酒場へ向かった。

 酒場へ向かう道すがら、農園の片隅から銃声が轟いた。反射的に腰のホルスターに手を伸ばすが、すぐにその必要がない事を悟った。

「三番! 手が止まっているぞ!」

 散弾銃を右に、拡声器を左手に見張り台に立つ男が叫んだ。農園の見張り台というものには二種類あり、この場合は内側を監視するためのものだ。もちろん、手にした獲物も外敵に備えたものではない。

 かつてレグノが真っ先に奴隷制を廃したという話は今や常識のようなものだ。しかし現実にはどうだったのか? それは、当時を生きた多くの人間が証言を残している。

「お前らアウトローカス共の代わりはいくらでもいる! 虫も殺せないような能無しは追放だぞ!」

 法喪失者アウトローと一口に言っても、その経歴は様々だ。ある者は犯罪を犯して追い立てられ、またある者は謂れなき罪で追放され、多くの者は戦災によって共同体の庇護を失った。

 アウトローの全てが成るべくしてなったわけではないのだ。

 数いるアウトローの中でも、力なき者は不幸な存在である。誰も彼もが泥を啜り他者から奪い生きられる倫理の欠如したタフガイではなく、特別な技能もなく出来るだけ善人でいたい人々もいる。むしろ、そちらの方が多い。

 この農園で農奴として生きる人々はたとえ使い捨ての労働力と扱われているとしても、唯一自身を庇護してくれる農園にすがるしかないのだ。

 力なき者は力ある者に奪われ、死ぬ。共同体の庇護を失った人間には避けられぬ運命なのだ。

 奴隷には奴隷の事情がある。無暗に介入したところで彼らが救われるわけではない。彼は自身に害がないと悟ると、町の中心地へと歩みを進めた。

 町の酒場は探すまでもなかった。馬留の前には鞍を付けた二本馬が並び、中からは客達の喧騒が漏れている。これが酒場でなければなんだというのか。

 酒場の扉を開くと、彼は姿の見えないバーテンをカウンターで待った。

「おっと、悪いね。注文は?」

 二分ほどでバーテンが裏口から現れた。リクノオウジャという、大きな魚に人の四肢を差し込んだような魔族である。珍しいリクノオウジャ用の衣服を身につけて人類社会に溶け込もうとしているあたり、かなり知能の高い個体であることがうかがえた。

「適当な飲み物と飯を。あと、後でいいから馬用の飼料をくれ」

「待たせた詫びだ、今食わせる分なら代わりにやるよ。どんな馬だい?」

「青毛の四本足」

「ここいらじゃ見ないのだな。わかった、酒と飯を出したらやっとくよ」

 この国では恒例の酒もどきとマカロニトマト。正面の出入り口からバーテンが出て行くのを見届けた彼はパスタに手をつけた。その時、女が彼の隣に立った。

「素敵なオジさま。どこまで行くの?」

 酒場のもう一つの恒例である商売女。彼は宿を探す手間が省けて安堵した。種族があれだがこのバーテンだ、宿としても信頼出来るだろう。

「悪いが、他をあたってくれ」

「男の子の方が好み? 可愛くて若い子がいるわよ」

「そっとしておいてくれないか」

 完全に脈なしと判断したのか、商売女はそれ以上食い下がることはせずに立ち去った。

 ああ、やっと静かに飲める。そう思っていると、また誰かが隣にやって来て、また話し掛けてきた。

「やあどうも。あなたも旅の人ですか」

 視線をやると、黒髪に黄色い肌の平らな顔をした男だった。噂に聞いた大和人というやつだろうか。それにしてはユーロネシアでも高価な眼鏡を掛けている。それが彼にはどうもちぐはぐに感じられた。

 怪しげな人間は無視に限る。ショットをちびちび。

「ジン・チークホースと申します。以後、お見知り置きを」

 完璧な一切の訛りがないリールランド語でジンは名乗った。いちいち他人の警戒心をあおる男だが、無視していても付きまとってきそうだと判断した彼は適当に相手をしてやることにした。

「ジョー・モンコ」

「それ、本名ですか?」

 かんに障る物言いだが、嘘で嘘を塗り固める気にはならなかった。

「好きに捉えてくれ」

「そうさせていただきます」

 不気味な男め。ジョーが視線を食事に移しても、ジンは勝手に話し始めた。

「こういう場所の仕事は気が滅入ります。右を見れば怒り、左を見れば憎しみ。あらゆる感情が、この地に渦巻く争いを連鎖させている」

 二〇〇年もの間、ほぼ不毛の地で内輪もめを繰り返している国だ。そのぐらい、茶飯事だろう。サービスのマッツの実をつまむ。

「どんな仕事であれ、復讐みたいなドロドロしたものではなく、綺麗さっぱり後味スッキリな戦いをしたいものです。そうは思いませんか?」

 不運にもこの酒場に耳障りな声をかき消してくれる演奏家はいなかった。適当に追っ払ってやろうかと考えていた時、バーテンが戻ってきた。

「よう、ちゃんと腹一杯食わせてやったぜ。あまりは鞍に積んどいた」

「ありがとう。ところで……」

 因縁の相手について尋ねようと考えたが、ふと隣の存在が頭に浮かんだ。こういう手合いは面白そうな話を耳にすると、知りもしないくせに食らいついてくる。

 そうなって困りはしないが、腹は立つと思ったジョーは隣を睨み付けた。すると、先ほどまで彼のいた場所では酔っ払いが仰向けに転がっていただけ。振り返っても人が隠れられるような場所はなく、出て行った気配も感じない。

 白昼、いや黄昏の夢だろうか? どちらにせよ、厄介に思っていたから消えてくれてせいせいした。ジョーはあの、なんとかという誰かを思考から追い出すと、鞄から写真を取り出した。

「この男を知ってるか?」

 今はキル・カーチスと名乗っている男の顔を見て、バーテンは表情を強張らせた。

「……どこでこいつの写真を見つけたのか知らんが、関わらない事だ」

「知っていても話す気はないと?」

「悪いな」

「気にするな。話を変えよう、もう一杯頼む」

「それなら大歓迎だ」

 収穫はこの反応だけで十分。やはり、キル・カーチスはこの町に現れたのだ。もちろん、顔を見ただけで渋顔をされるような真似をして。

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