第10話 ハラキリ

「ほうら。綺麗事を言ってても、腹ん中は真っ黒じゃありませんか」


 生きながらにして、自分の腹の中を見せられる。レントゲンではないが、生身でもない精神体のアバターなので…グロ指定だけは避けられるだろうが。

 一滴の血も流れず、肉も骨もない。けれど人の形を模して夢見の技で組み上げられたユッフィーの身体の腹部には。まるで切腹したサムライのごとく横一直線に鋭利な斬撃の傷が刻まれていた。中は何もない虚無の空間であり、そこから底冷えするほど冷たく、どす黒い霧がドライアイスのように漏れ出ている。


「…ハンターたちを好き放題暴れさせておいて、どうしていまごろ急に?」


 激戦の最中、突然身体を動かせなくなり。あっと思った次の瞬間には、道化が振るった大鎌の一撃が横薙ぎに腹を割いていた。なのに、痛みを感じない。悪夢そのものな光景なのに、夢落ちで目を覚ますことすらできない。


 ユッフィーたちはいま、かつてない窮地に陥っていた。運営でありゲームマスターであり、夢の中で勝手に仮面を送りつけてきたあの「道化人形」が意外にも、事態に介入してきたからだ。

 運営者権限の発動により、仮面をつけた魔女チームの面々は為す術もなく金縛りにされた。エルルだけは仮面を受け取ってなかったので、難を逃れたが。


「ユッフィーさぁん!」

「逃げてくださいませ、エルル様!」


 ハンターたちは追撃の手を止めており、運営者が突如始めたこの見せ物を囲んで眺めている。まるで悪趣味なリアリティー番組でも見るかのように。憎むために見る、ヘイトウォッチングと呼ばれるものだ。イーノもまた、以前に匿名掲示板でその対象になった経験がある。


 エルルは逃げない。予想できたことだが、苦労の末に自分の見込んだ勇者の卵を見出した矢先のことだ。ユッフィーたちを見捨てるはずも無かった。


「ちょっとあんたたち、何考えてるの!」


 今晩は中の人のイラスト仕事で不参加の予定だったが、在宅ワークでついうとうとしてしまったら、夢の中の全体会話で危機を知って駆けつけてくれたモモが道化に問えば。


「これからそこの魔女に、産んでもらうんですよ。彼女の悪夢で育った黒き竜をね」


 ちょっと待て。ユッフィーを演じるイーノも、さすがに内心焦る。唐突な展開に、一同に驚きが広まる。一部のハンターたちからは、狂気じみた歓声があがった。もし中の人がおっさんだと知ったら、何だと思うやら。


「やっぱり、悪趣味ね」

「ユッフィーさん…面目ない」


 身動きできないミカと銑十郎からも、気遣う声と視線がユッフィーに向けられる。


「おや? アナタの憎悪の源は…」

「人の心を、勝手に覗かないでくださいませ」


 道化人形が遠慮も無く、人の腹に手を突っ込んで中を探る。負の感情を元に怪物を作り出せるだけあって、ある程度心を読む力があるらしい。


「ありました。アナタに眠る、特大の憎悪…」


 イーノは小学生のとき、盲腸の手術を受けた。あのときの腹の中を探られる感触がもっと乱暴な形で蘇ってくる。同時に過去の嫌な記憶が鮮明にフラッシュバックしてきて、頭の中が沸騰しそうになる。


 小学生の頃、いじめられっ子たちにトイレで酸性の洗剤をかけられた。その火傷の跡は、今もイーノの身体に残っている。大人になってから調べてみたが、同様なことは他の学校でもあったらしく。悪用防止のためにトイレから洗剤が消えて便器が臭くなったらしい。

 何と愚かな。問題なのは洗剤ではなく、いじめの方だ。日本人はこういう目先だけに囚われた「臭いものに蓋」が多い。ひきこもりの人を拉致同然で外に連れ出し、自立支援施設に監禁する「引き出し業者」も同じ発想だ。そのひきこもりも、今や緊急事態宣言下の日本では倫理的で、国から要請されるほどのライフスタイルになった。


 それから、就職氷河期当時の記憶。ゲームソフトに飽き、理想のRPGを求めていた頃、ゲーム雑誌の怪しげな広告につられて郵便を用いた「MMORPGの原型」とも呼べるテーブルトークRPGの変種に出会った。インターネットも無い時代の話だ。

 そこで見たのは結局、就職活動よりもさらに輪をかけて過酷かつ理不尽な出番の奪い合い。どうしてそんなに、無駄に争うんだ。おかしいと思わないのか。


 イーノのトラウマが、夢見の技を暴走させる。彼は子供の頃から想像力豊かだと、先生からよく言われていた。そしてこの状況は、彼に女性の出産を強く連想させた。どちらかと言えば帝王切開だろうか。


「ワタシは何もしてませんよ? どうやら勝手に想像して、痛みを作り出してしまってるみたいですね」


 ユッフィーの空洞の身体から、引き出された黒いドライアイスが形を成してゆく。醜悪なドラゴンの幼生が、腹の中から顔を見せ…焼けつくような痛みの中で、彼女はようやく気を失った。

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