第002話 表の顔と裏の顔
ごぐん。
草木も眠る丑三つ時、
「ごめんなさい。あとでちゃんと送ってあげるから」
本当なら一人一人丁寧に祈りを捧げて神の御許へ送ってあげたいのが本音なのだが、さすがに
ここは首都の郊外。とある豪商が女を囲って住まわせている別宅の一室だ。
件の妾と、
残りの二つの的は二階で寝ているはず。いずれも豪商の妾が招いた
潔癖症気味の少女には理解のできない関係だが、そんなことは自分の仕事には関わりないことと、頭を軽く振って気持ちを切り替える。
仕事の続きに取りかかろうと、部屋の扉へ近づく彼女の前で、突然に扉が開いた
がちゃり。
扉の向こうには、片手に抜き身の剣を携えた大柄な男が立っていた。灯りの足りない夜の室内では、顔は全く見えない。
彼は、部屋に足を踏み入れようとしたところで、室内の異様な様子に気がついたようだ。
当然だろう。なにしろ目の前には、血にまみれたメイスを握ったまま、三つの死体を見下ろしている小柄な人影が立っているのだ。
剣士が言葉を発するより早く、その人影は、弾けるように駆けだした。
横殴りにメイスで剣士の顔をねらう。が、紙一重で躱され、剣士からは反撃の刃が振るわれた。
それでも、
剣を避けて身体を沈めたかと思うと、そのままに身体を倒して滑り込むように男の股間を蹴り上げた。だが、対する剣士は、躊躇無く手にした得物を手放して、交差した腕で男子最大の急所の一つを蹴りから守る。
瞬時に距離を取る二人。
真っ向勝負となれば体格に劣る少女の不利は明らか。なんとか乱戦に持ち込みたいと考えを巡らせる少女に――
「久しぶりに仕事がかち合ったようだな」
中年にさしかかったころ、だろうか。
少ししわがれ始めてはいるが、力強い声で剣士は言う。
「……残り二人は、もう片付けたの? ロドニー」
こわばった全身から少しだけ力を抜いて、大きな
☆★☆★☆★☆★☆★
ルールムダル王国の首都・ニデ=ベラ市の裏社会では、三つの勢力が拮抗していた。
それらは相互不干渉を徹底し、争いがない代わりに交流もない。交流がなければ情報の伝達もされないために、まれに複数の組織が同じ相手をねらうことにもなる。
「司教様、少しよろしいでしょうか」
彼女が住み込みで働いている孤児院は、首都東街区を統括する大きな教会の直轄であり、そこでの最高責任者が、いま彼女の目の前にいるクラーク司教だ。
「どうしたのかな? シスター・シャロン」
「孤児院のことでご相談したいことがあります。お時間を少しいただけないでしょうか」
ほんの少しの間、見つめ合う二人。
それだけで、事情は伝わった。
「わかりました。私の部屋で聞きましょう」
「ありがとうございます」
うやうやしく再び頭を下げてから、シャロンは司教に着いて彼の部屋へと足を踏み入れた。
「それで?」
部屋に入るなり、司教の雰囲気が一変する。
先ほどまでたたえていた静かな笑みは消え失せて、冷酷で厳しい目の光がシャロンを射貫く。
「今朝未明に、エドガー別邸で五つの魂が天に召されました」
「聞いています。ご苦労様でした」
「そのうち、わたしがお送りしたのは、三名です」
「……というと?」
「バッティングしました。おそらくは、ミスター・シモンズの手の者かと」
あの場で出会った中年の剣士のロドニー・メイウェザー・アイゼンバーグとは、以前からの知己である。だが。あるいは、だからこそか。そこは言葉を濁して、彼を雇ったであろう仲介人のことだけをシャロンは伝えることにした。
「シモンズですか。最近の彼はずいぶんと羽振りがいいようですね」
ドウェイン・シモンズとは、前述した裏社会の三つの勢力の一つを束ねる男だ。元々はただのチンピラだったのだが、若くして才覚を発揮した彼は、瞬くうちに戦後の混乱で仕事もなく暴れ回っていたならず者どもを配下にしてのし上がった。
いまでは、いわゆるマフィアのドンである。
ちなみに、エドワード・リー・クラーク司教は、首都の大教区を統括する傍ら、その権勢を裏社会にまで広げて身近らの地位を盤石なものとしている。彼もまた、三勢力の長の一人であった。
「報告は以上ですね? では、残りの半金を受け取ってください」
クラーク司教に手渡された金貨の入った袋を確認して、シャロンは言う。
「御
「かまいません。そのまま収めてください」
「そうですか。ありがとうございます」
謝儀とは、ここでは殺しの報酬を指す。
五人を始末するための報酬を受け取ったが、実際は三人しか手にかけていないことを気にかけての念押しであった。
その上で貰えるものなら貰っておこう。このエルフは、そういうところがある。
☆★☆★☆★☆★☆★
「シスター。お買い物ですか」
それから数日の後。
孤児院の子供たちの夕食のために、市場に買い物に出ていたシャロンに話しかけてきたのは、ときどき教会に顔を出す馴染みの騎士であった。
「はい、騎士様。子供たちの晩ご飯の買い物です」
「それはご苦労様です。些少ではありますが、今日も御寄進させていただけますか」
教会の敬虔な信者でもある彼は、ことあるごとに子供たちのために身銭を切っては、寄付をしていた。
「いつもありがとうございます。あなたに主の祝福がありますように」
そう言うシャロンに小袋を手渡すと、騎士は一礼して去って行く。
その背中に深々と頭を下げてから、シャロンは子供たちの待つ孤児院への帰路につくのだった。
「シスター、今晩のごはんなに?」
「ねぇ、シスター、マイケルがぶったの!」
「なに言いつけてんだよおまえ!」
「わーん!!」
「ねえねえ、お腹空いたよ」
ようやく
育ち盛り、暴れ盛りの子供たちは、少しの油断も許してはくれないのだ。
「あなたたち、ケンカをするなら晩ご飯は抜きですよ」
「「ひっ!」」
好きに買い食いなどできるはずもない孤児の彼らにとって、最も恐ろしいお仕置きが食事を抜かれることなのだ。
見た目から柔和で献身的な印象を抱かれやすい彼女だが、やると言ったら必ずやる厳しさも兼ね備えていて、子供たちはそれをよく知っている。
「食事抜き」と言われたら、ぜったいに食べさせて貰えないのだ。
あっという間に静かになった子供たちに、続けて促す。
「さあ、本もおもちゃも片付けて。今夜のお手伝いはミアとジャックよ。皮むきをしてもらうからこっちにきて」
「「「「は~~~い」」」」
毎日大変なことばかりで、心身への負担は決して小さくない。
それでもシャロンは、この孤児院での子供たちとの共同生活が、大好きだった。
夕食を終えて、後片付けも終わると、もう子供たちの寝る時間だ。
年長組が眠くなってぐずる小さな子供たちをあやす姿を、少し離れたところからシャロンは見守っていた。自分たちのことはなるべく自分たちでできるようにさせたい。それが、彼女の教育方針なのだ。もちろん、彼らに無理なことはどれだけ大変でも自分がかぶろうとする。
そう信じているからこそ、子供たちはシャロンを慕うのだ。
「ミシェル、わたしはちょっと教会の方へ行ってきます。鍵をかけて、みんなと寝ていてね」
「はい、シスター」
施設で最年長の少女にそう告げてから、シャロンは夜の孤児院を後にする。
だが、彼女の向かう先は、併設されている教会ではなかった。
☆★☆★☆★☆★☆★
「待たせたかしら」
「いや、おまえさんが忙しい時間に呼び出したのはわかっているしな」
教会から少し離れた廃屋の中で、シャロンは昼間に出会った騎士と待ち合わせていた。すっかりとフランクな話し方になっている二人を知らない者が見れば、身分違いの密会現場と勘違いするかもしれない。
しかし、両者の関係は、そんな色気のあるものではなかった。
「助っ人を頼みたいって、メモにはあったわね」
寄進と言われて騎士から受け取った小袋の中には、お金と一緒に短いメモが入っていたのだ。
「そうなんだよ。ちょっと一人ではやりにくい仕事でね」
「あなたが言うくらいだから、相当に面倒なことなのね。ロドニー?」
そう。
騎士の正体は、エドガー別邸で
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