エルフの修道女

ディーバ=ライビー

第001話 誰もが最期は白

 白。眼前に広がる一面の白。

 男が最後にみた色がそれだった。

 直後に視界は暗黒に染まる。


「あなたがあなたの神の下に招かれますように」


 声。鈴を転がすような声。

 男が最後に耳にした音がそれだった。


 ごぐ。


 自分の頭が割れる音。

 男はそれを聞き取る前に事切れたから。


 男の頭をすっぽり包んでいる白だったはずの布は、真っ赤に染まっていた。

 男はそれを目にする前に事切れている。


 だから、男が最期に見た色は、白だった。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「ロビン、準備できたわよ」


 ここは、ルールムダル王国の首都ニデ=ベラ市の片隅にある、ちいさなパン屋さん。


 真っ白なエプロンを身に纏い、焼きたてのパンを並べ終えてニッコリと夫のロビンに微笑んでいるのは、店主の妻のマーガレットだ。


「ご苦労様。こっちもだいたい終わったよ」


 厨房から出てきたロビンがそう応える。


 パン職人の夫が使い終わった薪窯の後始末をしている間に、開店準備を整えるのがマーガレットの役割だ。


 結婚して三年目になるが、未だに新婚気分が抜けていないと周囲に冷やかされるほどに仲睦まじい若夫婦だ。決して贅沢な生活はしていないが、平凡な幸せに包まれた生活を送る二人だった。


 からん、からん。


「あ。いらっしゃいませ――」


「ホントにここかぁ? 最近話題になってるってパン屋は。えらくショボい店じゃねえか」

「いえ、店構えはともかく味はピカイチって評判なんですよ」


 この日、いかにも貴族然とした風貌の若い男が客として店を訪れなければ、その幸せな日々は、これからもずっと続いていたことだろう。 



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「とにかく、いい噂を一つも耳にしない札付きの貴族の馬鹿息子ですね」


 多くの屋台とそれに集まる人々で賑わう休日の中央いちの片隅で、軽薄そうな雰囲気を身に纏ったドリンク売りの若い男がそう言った。


「方々で恨みを買っているのかしら?」


 そう尋ねるのは、屋台の脇にしつらえたベンチに腰掛けて、男から買ったオレンジジュースのカップを両手でもてあそんでいる若い女。こちらは、男とは正反対の真面目で清楚な空気に包まれている。


 さもありなん。女は修道女聖職者だった。

 細く鮮やかな金髪と、人間にはありえない長く形の良い耳。エルフだ。

 落ち着いた物腰の割に幼く見えるのは、長寿種族故に当然と言えよう。


「そうっスね。男も女も若いのも年寄りも、どんな層でだってこいつに泣かされてるやつを探すのは、牧場で牛を探すより簡単ですね」


 ときおり屋台に訪れる若い女性客に、お世辞を交えてドリンクを売りながら、男は修道女に話を続ける。


「だけど、聞いている限りでは、弱い庶民いじめに終始しているみたいよね?」

「ですね。他の貴族や、一般市民でも富豪にちょっかいを出すようなことはしてません」


「じゃあ、依頼はどこから来たのかしら」


 依頼。

 そう、この修道女のシャロンは、殺しの依頼を受けていた。

 まとは、とある伯爵家の三男坊だ。


 彼女への依頼は、仲介人を通して行われる。

 仲介人は、依頼人が誰か、依頼の理由は何か。それを殺し屋に伝えることは決してない。

 殺し屋も、それを知ろうとはせずに、ただカネのためだけに標的を殺す。

 それがルールである。


 しかし、シャロンは、殺しを受けることに関して一つの条件をつけていた。

 それは、標的を「生きていては世の中のためにならない奴」のみにする、ということだ。


 それを知っている仲介人は、そういう仕事のみをシャロンに振っている、はずである。

 そして、その「はず」をより確実なものとするために、シャロンはいつも独自の調査を欠かさないのだ。


「今回の依頼料は五十リュールよ。仲介に同額が入るから合計百リュール」

「なるほど、とっても庶民に出せる額じゃぁないっスね」


 ちなみに、贅沢をしなければ、二リュールで夫婦と子供二人が一ヶ月暮らせる額だ。


「しかし、かなり探ってみたはずなんですがね。そんなカネを出せるところに殺しまで考えさせることをしていた話は出てきてませんよ」

「……そう、ね。ともあれ、この的に問題がないのは確かなのよね?」

「ええ、それは請け負います。こいつはぶっ殺した方が絶対に世の中のためだ。高貴なご身分だし、役人もあてにならないですしね」


「そ。わかったわ。ありがとう、ナイジェル」


 言って、封筒に包んだ一リュールを男に手渡してから、シャロンは立ち上がった。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 ここは、ルールムダル王国の首都ニデ=ベラ市の片隅にある、ちいさなパン屋さん。

 だが、この店がパンを焼かなくなってから、どのくらい経ったのだろう。


「ロビン……」

「マーガレット! 起きても平気なのか」

「ロビン、ああ、ロビン……」

「マーガレット!!」


 泣き崩れる妻を、なすすべもなく抱きしめる夫。


「ごめんなさい、ごめんなさいロビン」

「何を謝るんだ、君は何も悪くないじゃないか。ぜんぶあの、あの貴族の小せがれが!!」

「ちがうの、ちがうの、ごめんなさい、ごめんなさい」


 妻が告げてきたことは、夫にとってこの上なく衝撃的な一言だった。


「赤ちゃんが、赤ちゃんが……できたの」

「なっ!!」


 号泣しながら謝る妻を見て、お腹の子の父親が自分ではないことを察したロビンは、マーガレットに声もかけることができずに、ただ膝を落として静かに涙を流すだけだった。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 数年前に終わった隣国との戦争のあと、急激に広がり続ける首都の市域は、周辺の農地を次々と石畳の街並みへと生まれ変わらせていた。


 街の西側に位置する未開発地域。

 この辺りもおそらく数年内には住宅地として整備されるはずなのだが、いまはうち捨てられた農地が広がるただの荒れ地であった。


 そこを南北に横断する一本の道がある。かつては農道として多くの農民や荷馬車が利用していたものだが、いまではほとんど通るものすらいない寂れ方だ。それが、夜間となればなおさらであろう。


 クロズビー伯爵家の三男、アーロン・レイフ・クロズビーは、週に三度ほどその道を一人で歩いている。北に位置する自邸と、稽古に通っている騎士団の修練場への近道なのである。


 仮にも伯爵家の令息が日の落ちたあとに選ぶには不適な、あまり安全な道とは言えないはずなのだが、これで腕には覚えのある若者の不遜さ故か、周りの心配の声など馬耳東風なのだった。


 ランタンを片手に帰宅の道すがら、アーロンは自分のものではないランタンの灯りを前方に認めた。どうやらこちらに近づいてきているようだ。


「ふん? この道を夜に通る奴が俺以外にいるのか」


 多少の警戒心を抱いたまま、だが歩みはそのままに、アーロンはもう一つのランタンに近づいていく。辺りは真の闇だ。すれ違うほどの距離にならなければ、どのような人物がランタンの持ち主なのかはわからない。


 果たして、彼の目の前に現れたのは、大きな帽子を目深にかぶった、背の低い子供のような体格の相手だった。帽子の影で軽く会釈をしながら、すれ違い去って行こうとするその姿に、アーロンはふと興味を抱いた。


「待て」

「……はい? わたしですか?」


 若い女の声だ。あるいは、幼い声とも聞き取れる。


「こんな時間にこんな道をどこに行くんだ」

「あの、家に帰るところです。それでは――」


 おびえの混じった声できびすを返し、足早に逃げるように立ち去っていくその後ろ姿。

 それは、アーロンのような男には決して見せてはいけない背中だった。


「まあ、待てよ!」


 男と少女の追いかけっこなど最初から勝負は目に見えている。


「や。やめて、なに!?」

「こんな時間に外を歩いてるとどうなるか教えてやるんだよ!!」


 男に押し倒された勢いで少女から大きな帽子キヤスケツトがこぼれ落ちる。

 中から漏れる細く鮮やかな長い金髪と、同じく細長く形の良い耳。


「エルフかよ、はじめてだぜ、ラッキーだ!」


 男の目に点った情欲の炎が勢いを増す。

 が。


「ぐおっ――」


 短いうめき声を上げたかと思うと、苦痛に耐えるように抑えつけていた少女の身体から離れて辺りを転がり始めた。


「て、てめえ、ふざけたことしやがって、殺してやる」


 エルフの少女――シャロンが、自分の身体にまたがろうとしていたアーロンの股間を蹴り上げたのだ。


「もう少し調べてからと思っていたんですけど、やっぱり、的は確かだったみたいですね」

「ああ? ふざけてんじゃねえよ。服を脱いで今すぐ四つん這いになれ!」


 腰の細剣を抜き払い、頭一つ小さいくらいの少女にすごむその姿には、この上なく醜悪なものを感じる。


「いやです」

「なら死ねやああああああああ!!」


 修練場でもそれと知れた腕前の剣士が振り下ろす必殺の一撃。

 だが、シャロンはそれよりも早く、低く、腰を落とし、剣を避けた転がりざまに背中に隠しておいた得物を抜き取った。


「ああああ???」


 初太刀を躱されたいを崩したアーロンの眼前に広がる一面の白。

 直後に頭を覆われてから、それが厚手の布であることに気付く。


「あなたがあなたの神の下に招かれますように」


 鈴を転がすような声が聞こえる。

 男が最後に耳にした音がそれだった。


 ごぐん。


 頭蓋骨が陥没するいやな音が低く小さく、誰もいない暗闇に響く。


 シャロンの信仰する神は、聖職者に刃傷を認めていない。

 やむをえず戦場に出るときには、いま彼女が右手に握っているメイスを用いるのだ。


 シャロンの所属する教会では、死者の頭を白い布ですっぽり覆ったのちに神の下に送り出す。


 他の神を信じるまともときにはいるが、それは自分の神に正しい方法で送り出しさえすれば、きっとあちらでよろしく他の神様に連絡を取ってくれるだろう。そう考えている。


 殺し屋などに身を落としてはいるが、これで、修道女シャロンの信仰は本物なのである。


 もっとも、彼女の神の教えに、復讐の代行殺人を正当化できる教義などあるはずもないのだが……それは、また、別の問題なのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「ねえ、聞いた? あのパン屋さんの話」

「聞いた聞いた。ダンナさんが奥さんを刺し殺して心中を図ったんでしょ?」

「なんでもさぁ、奥さんが他の男の子供を孕んで、それでも産むって言ったかららしいよ」

「えー、マジ? どんだけ面の皮が熱いのよ、その奥さん」

「なかなか子供ができずに悩んでたから下ろせなかったとからしいけどさ」

「それにしたってねぇ、そりゃダンナだって刺し殺したくなるよ」

「そういえば、ダンナさんの方は生き残ったんだよね」

「うん、まあ、死罪だろうけどね」


 ずずずずず。

 中央いちの片隅の屋台の脇にしつらえたベンチで、もうなくなりかけのレモンジュースを音をたてて啜っている修道女がいる。少しはしたないかもしれない。


「口さがないこと」


 しょせん、他人の不幸は己の娯楽ということか。

 幸せだった夫婦を襲った惨劇を、面白おかしくそして無責任に広げて回る“普通の人々”の姿を大きく愛らしい青い瞳で追いながら、シャロンはそれだけをつぶやいた。


「亭主の方は完全否認してるらしいですよ」

「……心中を図ったのなら、いまさら言い逃れをしようとはしないわよね」

「そうっスね。本当にやってないのかもしれません」

「アーロンでもないわよね」

「しばらくオレやシスターがずっと貼り付いてましたからね。たぶん違います」


 ずずず。完全に空になったカップをナイジェルに渡し、シャロンは座ったまま大きくのびをする。


「クロズビー伯爵って、どういう人なのかしら?」

「うーん、さすがに偉いさんすぎてあんまり世間と直接の関わりはないですけどね。アーロンとは違って人格者だとは聞きますが。あとは、伯爵家を守るためには強引な政治手腕も発揮するとか、その程度ですかね」


 長い髪をもてあそびながら、つぶやくようにシャロンは言う。


「アーロンが週三であの暗い道を一人で歩いているって、わたしは仲介から聞いたのよ」

「オレの調査だといつも取り巻きと一緒って言ってましたからね。さすが、カネのあるところの調査は違うってとこですかね」


 頭を掻きながら、ちょっとばつの悪いようなナイジェル。


「たぶん、つい最近じゃないかな。一人で歩くようになったの」

「どういうことです?」


 あくまでも想像だけどね、と前置きして、シャロンは続けた。


「依頼人は、伯爵なんじゃないかって」

「……実の息子を殺させたわけですか」

「そのために、取り巻きを遠ざけて一人で歩かせた、というのはどうかしら」


 そして。


「パン屋の奥さんのお腹にいたのは、伯爵家の血を受け継いだ赤ちゃんよね」

「……それも、まさか、伯爵が?」

「家を守るために……」


 わたし以外の誰かに依頼して殺させていたとしても、不思議は無いよね。 

 だが、それは口にせずに、シャロンはゆっくりと立ち上がる。


「ありがとうね、ナイジェル。これ、ボーナスよ」

「え、あ、これはどうも」


 お金の入った封筒をベンチに置いて、シャロンは憂鬱な顔でゆっくりと歩き出す。どこか、上手く利用されてしまった感が拭えない。


「仕方ないわよね。伯爵の殺害依頼は受けてないんだから」


 わたしはただの殺し屋で、正義の味方なんかじゃないんだから。

 ため息を一つ。続けて深呼吸。

 

「さぁて、孤児院に戻って夕食の支度しなきゃ」


 神に仕える修道女シャロンの仕事は、年中無休二十四時間営業なのだ。

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