第2話

 哀しい真実だった。俺は自分が凡庸な男と気付くのに時間がかかった。俺の人生でたった一度だけ、これだけは譲れないと思えることがあった。俺は歌が好きだった。ストーンズやビートルズ、オアシス。彼らの作る曲は最高だった。まだ少年だった俺は彼らの新譜が発表されるたびにレコードショップへ駆け込み、貪るように買い求めた。レコード代のために食事を抜いても苦ではなかった。とにかく手当たり次第に聴いた。そしてゴミ捨て場から拾ってきたぼろっちいギターを片手に、あやふやなコードで歌った。演奏の出来は決して良いとは言えなかったが、歌っているときは最高にハイな気分だった。

 ギターのコードをほとんど覚えた頃、俺は煙草のヤニくさいパブの片隅で流しを始めた。安っぽいジンとフィッシュアンドチップスが唯一の売りのその店は決して流行っているとは言えないが、週末の夜はほどほどに混んだ。およそ「ロンドンの善良な市民」とは思えない連中が、腕一面に掘られた悪趣味なタトゥーを見せびらかしにやってきていた。俺は奴らに言われるままに、ビートルズやストーンズを弾いた。しくじると、すかさずコロナビールの空き瓶が俺の頭めがけて飛んできた。その一方で、最高のプレーをすれば拍手で称賛してくれた。いかついスキンヘッド、頭の悪そうな若い女、ジンをあおる老人、目の焦点が合わない男。こいつらが愛すべき俺のオーディエンス。

 奴らは俺の演奏が気に入ると、必ずトイレに誘う。そして、魔法の粉をプレゼントしてくれる。そいつをおもむろに吸い込めば、どこにいようが俺はたちまち宇宙の果てに飛んでいける。

 俺は自由だ。誰にも邪魔されない。俺は最高に無敵な気分だ。きっと今なら誰に何をされても死なない。俺の精神は、肉体は輝いて地球を明るく照らす。アメリカのレストランで一キログラムのビーフステーキにかぶり付く親父も、アフリカの集落で指をくわえる子どももまんべんなく照らす。全てを白日にさらすとはこのことだ。この矛盾ばかりの世の中をあぶり出してやる。現実がいかにゴミに溢れた下らない世界かをお前らに教えてやる。俺はさらに高みへと昇ってゆく。お前らに真実を、この世の厳しさを、思い知らせてやる。よく見ておけ。目をそらすなよ。今まで俺の存在を無視してきた人間を、俺を捨てて逃げた人間を全員見返してやるんだ。俺を嘲笑ったあいつらが猿のごとく交尾に夢中になっているところを暴いて、全地球上の人間に知らせてやる。ざまあみろ。

 俺は高笑いした。俺には見える。俺には分かる。あいつらの顔が、たちまち真っ赤になって行く様が。そうかと思えば次の瞬間に真っ青になり、泡を吹いて崩れ落ちる様が。俺には聞こえる。
地球上に生息する全生物から発せられた称賛の声が。

「よくやった」

「お前はヒーローだ」

「お前は誰の手にも負えなかった偉業をやってのけたのだ」

 怠け者も、兵隊も、アメンボも、口々に俺を讃える。彼らから発せられる割れんばかりの拍手喝采が俺に向けられる。その音が宇宙いっぱいに響き渡ってぱちんと音がして宇宙が壊れる。俺は飛んでいられなくなり、とんでもない速さでたちまち地球に落ちてゆく。雲を突き抜け、テムズ川の濁った水面が光り、ビッグベンのとんがりが次第に見え、ゴミに溢れた地面が俺の鼻先に迫る。

 そこで俺はいつも目が覚める。気づくと俺はまたいつもの殺人的に平凡な日常に戻っている。ここにきて初めて俺は涙を流す。ふと、日本という国はどんな形をしていたか思い出そうとしたが、思い出せなかった。

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