平内真(偽名)の指先 5

 端的に言うと、振り出しに戻った。


 美々実が言うには、消防は出払っていたらしい。だからロープだけ借りてきたと。


「だけとは失礼だな。他にもいろいろくすねてきた。ハンマーとか」


 美々実はそう言って、いろいろ取り出した。たぶんレスキューの道具が一式入っているのだろう。だが、もう他の救助方法を考えている時間はない。


 消防が出払っているということは、その救援を期待するのがもう絶望的ということだ。すくなくとも、嵐が過ぎるまでは。なぜなら、消防は、おそらく道が封鎖される前に丘を下り、どこかへ出動したということ。だったら、逆に締め出された形になっている。道が通行できるまで水が引かなきゃ、やつらは戻ってこれない。


「問題は、誰が行くかだ」


 俺は全員を集めて説明した。


 誰かひとりがロープを体に結び、救助に行く。反対側は残った者たちでしっかり掴む。そして被救助者のもとに着いたら、被救助者もろともロープを体に結び直す。あとは全員で引けばいい。また、救助に向かう者が途中で溺れかけても、こちらでロープを引けば流されずに済む。危険はあるが、十分救助できる可能性はある。


「あたしが行く」


 言ったのは傘だった。


「たぶんあたしが一番、泳ぎがうまいだろうから」


 不安げな顔ではあったが、自信はあるように見受けられた。


「いや、とはいえ、女性に行かせるわけにも」


 木児が言う。もっともな意見だったが、たぶん解っていた。


 俺は自慢じゃねえが運動音痴だ。木児も、もうひとりいた、木児に似ている男子も、すくなくとも運動のできそうな体つきには見えねえ。また、自信があるようにも見えねえ。客観的に見て「こいつらじゃ無理だ」と俺でも解る。


「兄貴」


 もうひとりの男子が言った。そうか。木児の弟なのか。俺は納得する。


「あれを使おう」


 目配せした。


 その先には、なぜか俺たちから一歩距離を置いて、我関せず、といった様子のふたりがいた。……いや、二機と言うべきか? 片方は天。そしてもう片方は――





 あの白い部屋で、あの超越的態度の幼女(失礼。女性だったな)が言うなら、まだ説得力がある。だが、その場所に出入りしているとはいえ、一介の男子高校生が言うには、やや頓狂だ。それが冗談でないというのだから、ますます滑稽だ。


 だがその姿を見るに、性能については棚上げするにしても、存在自体は疑うべくもない。そう思った。


 青白い機体。ところどころ透明で、その内側を覗かせる。そこに敷き詰められた数多のコード。電線。骨組。『試作』というのがよく解る。同じ『試作』でも天とは大違いだ。ただ機能のみを確認するための造り。自律する、人間型の機械。最終的には人と同じ肌の色をして、人間と区別がつかなくなるようにするのだろうが、『試作』である以上、外形はこれでいいのだろう。


葉太はた――弟が造った。そしてそれを動かすプログラムを俺が組んだ」


 ただロープを握るだけだから、思考に余裕ができたのだろう。木児は話し続けていた。


「我が家は特殊でな。両親ともに頭の螺子が飛んだ科学者・技術者だから。俺たちも幼少期から、いろいろ仕込まれている」


「それであんなものが造れるっつーんだから、よっぽどだったんだろうな」


 俺は相槌をうった。


「たいしたものでもない。……自律型。と言ったが、まだそのレベルではないし。単純な命令を与えてやればその通り動く。……喋れもしないしな」


「だが、今回こうして役に立った。十分すげえじゃねえか」


 本気でそう思う。泳ぐ機能もプログラム済み。肉体にも浮く機能が仕込まれているとはいえ、あの荒波に流されず、目的地に向かっている。


 目的地にいる相手には連絡済みだ。古典的手法――つまり大声で。誰のって? 久米方もがみに決まっているだろう?


 いまからそちらに救助ロボットが行きます。ロボットはロープを結び直したりできないのでそれはあなたでお願いします。こちらからロープを引き上げるので心配せず、ロボットに身を任せてください。そんな感じだ。


 そして、アンドロイドは目的地に着いた。被救助者とともに、再度水中へ入る。


 ここからは俺たちの仕事だ。アンドロイドが泳ぐと、関節部分の隙間に被救助者の肉体が挟まる場合がある。だからアンドロイドはほとんど泳げない。浮く動作だけを命じてある。せーの。と連続してかけ声を叫ぶ。それに合わせて少しずつ、手繰り寄せる。見ている感じ、アンドロイドはちゃんと浮いている。アンドロイドの背に隠れてよくは見えないが、被救助者も特段に怯えている様子はない。思いの外、安定している様子だ。


 何十度目かの「せーの」のあと、先頭にいる傘が言った。「もう、大丈夫だ!」。どうやらアンドロイドが足をつけたらしい。とはいえ、まだ荒れている。波にのまれることもある。ロープを離すわけにはいかない。じわじわと、アンドロイドが歩いて来る。そして水位が膝くらいになったあたりで、被救助者が待ちきれず(あと歩きにくかったのだろう)ロープを解き、走ってきた。ありがとうございます。ありがとうございます。繰り返す。俺は達成感よりも、アンドロイドのすごさに心惹かれていた。


 被救助者は美々実に連れられ学校へ。木児と葉太がアンドロイドを気にしてそばに寄るので俺も後から追って――


「危ねえ!!」


 そのとき見た光景が、目に焼き付いて離れない。




 俺が叫んだ理由。それは、波だった。津波だ。とびきりでけえ。それが、アンドロイドと木児と葉太を飲み込むところだった。死の間際は世界がゆっくりに見える。そう聞いていたが、そんな感じだった。いや、どちらかというと、これも火事場の馬鹿力だ。体ではなく、脳が馬鹿力を発揮して、あらゆる情報を受信・解析しているのだろう。


 津波に飲まれるのは、先に言った三人。いや、ふたりと一機。あとに続こうとした俺が多少危ないが、おそらく飲まれはしない。そのすこし後ろに久米方もがみ。さらに後ろに傘。そしてもっとはるかに後ろに、天がいた。だから危ないのは俺より前にいるふたりと一機だけだった。


 そして、飲まれる。一番背の高い木児の髪の毛に、波が触れる瞬間。その瞬間を写真のように鮮明に覚えている。そしてその直後、ふたりが吹っ飛んでくるのも、アンドロイドが波に消えるのも、その消えた手を掴もうと、ふたつの手が伸びたことも。そのまま引きずられて、ガードレールに体をぶつけたのも、隣を見たら久米方もがみと目が合ったことも、全部鮮明に、覚えている。


「重……。普段なに食ってんだよ!」


 洒落を言ってみる。そうでもしねえと気が抜けちまいそうだった。


 手の先にいるアンドロイドは答えない。ああ、そういえば、木児が「喋る機能はない」って言っていたっけ?


「これ、たぶん波に引っ張られてるね。彼女の体重じゃないよ」


 久米方もがみが言った。そんなことは解っている。ガードレールの下は、崖じゃなくていまは荒れた海の中だ。どちらの方が幸運であったかは考えても詮無きことだが。


「つーか、彼女?」


 どうでもいいことだったが、なにか話していないと意識が持って行かれそうな気がした。どちらかというと腕にかかる負荷、ガードレールの圧迫感で苦しくて、意識なんて飛ばせる環境ではなかったが。


「え? 女の子でしょ? この子」


 久米方もがみは言う。なんでもなさそうに。


「いや、べつに性別はない」


 木児が俺の後ろで言った。木児と葉太は俺。傘と天は久米方もがみを支えてくれている。それでも、アンドロイドが上がらない。


「というか、上がらないなら離していい。べつに僕は気にしないから」


 葉太が言った。最初はなにを言っているのか、本当に解らなかった。


「はあ?」と俺が言う。


「ええ?」と久米方もがみが言う。


 それは同時だった。


「「見殺しにはできない!!」」




 アンドロイドは、なにも言わなかった。


 木児が言うには、表情すら作れないはず、なのだそうだ。


 だけど、俺は見た。


 俺と久米方もがみは見ている。


 感じている。


 アンドロイドは、俺たちの手を離す直前、たしかに笑った。


 笑って言った。




『ありがとう』




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