眠れない夜とスマートフォン

夕凪

眠れない夜とスマートフォン

 静寂に踏みつけられているような、そんな息苦しい夜だった。


 バイトをサボった日。サボることを決めた時のあの開放感はとっくに消えてしまい、僅かな罪悪感を引きずるだけの下らない夜を迎えていた。


「これで何度目だろう」


 思わず言葉が漏れてしまう。逃げ癖のついた人間の行き着く先なんて想像が付きそうなものなのに、流されている自分が嫌になる。きっとこの癖は死ぬまで治らない。なら死ぬだけなんて思えるはずもなく、これから先も逃げ続けるのだろう。


「そういう人間なんだろうな」


 暇な時にメッセージを送る相手もいない。それはとても寂しいことだと思う。人間関係の悩みから逃げ続けた結果がこれなら、立ち向かっておけばよかったと思わないこともない。


「暇だし、チャットでもしようかな」


 幸い、僕の手元にはスマートフォンがある。文明の利器と誉めそやすには少々時代遅れな感があるが、まあ、文明の利器と呼んで差し支えないだろう。


『暇潰し チャット』で検索をかけ、ヒットした胡散臭いアプリをインストールする。別に騙されたっていいのだ。目的は暇を潰すことなのだから。昔、ネットで所謂ネカマと言う奴に釣られた経験を思い出す。ネタばらしをされた後少しだけチャットのやり取りをしたが、中々面白い奴だった。自分を偽っている人ほど面白いと思ってしまうのは、気の所為だろうか。


 インストールが終わり、アプリを開く。アイコンと簡単な自己紹介文が並ぶ画面は、アリの大群のようだった。自分でインストールしておいて言うのもなんだが、なんでこんなアプリが流行っているのか分からない。


「みんな寂しいってことなのかな」


 みんな寂しいなら、寂しくないじゃないか。自己紹介の欄に、そう書き込む。そんな僕の心の叫びも、社会の喧騒に掻き消されて誰にも届かないのだろう。だが、それでいい。


『誰でもいいから話しませんか?』と手当り次第にメッセージを送る。すると、一人の女性アイコンのユーザーから返信が来た。


『こんばんは。暇なんですか?』

『返信ありがとうございます。そうです、暇なんです。こんな寂しい夜を一人で乗り越えるのは僕には無理なんです。話し相手になっていただけませんか?』


 相当痛いメッセージになってしまったことを反省しつつ、この文面に満足している自分もいた。決まったなんて思っていないが、悪くないのではないか?いや、多分悪いんだろう。自分も信じすぎてしまうのも考えものだ。


『すみません。もう眠いので、話し相手になることは出来ません。でも、アドバイスなら出来ます。夜を乗り越える必要なんてありません。お酒でも飲んで、布団に入るのがいいですよ。夜から逃げるんです。もう寝ますね。おやすみなさい』

『夜から逃げる、ですか。いい言葉ですね。逃げ癖が付いている僕にはピッタリの言葉だ。生憎お酒は飲めないんですが、参考にさせていただきます。では、おやすみなさい』


「夜から逃げる、か」


 会話モードに入っていた頭を睡眠モードに切り替え、水を一口飲む。乾いた喉を濡らす水道水に若干の違和感を覚えながら、布団に潜り込む。


「明日は晴れるといいな、ペス」


 実在しない犬に話しかける自分を笑いながら、僕は今日も眠りにつく。







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眠れない夜とスマートフォン 夕凪 @Yuniunagi

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