愛情深い女
坂本 ゆうこ
夜の電話
「好きかどうか分からないんだ」
珍しく僕から電話をかけ、彼女に普通は言わないであろう言葉を投げかけた。
『えええっ』
驚きが返ってくる。電話越しに聞く苺ちゃんの声はいつも通り高めで、明るい。
僕と苺ちゃんは、4ヶ月ほど前からお付き合いをしている。事前に考えておいた話を、雰囲気に気を付けて話す。こういう作戦なんだ、ごめんと思いながら。
「いや…あのね、前回会った時に、苺ちゃん、好きって言ってくれたでしょ。その時、僕もだよって言葉がすぐに出てこなかったことが引っかかっていて。実はあの日からずっと悩んでいるんだよね」
ため息まじりに話す。本当は、前回のデートでの行動も作戦の一部だ。
苺ちゃんはあまり自分の事を話さない。僕がデートに誘わなくても、どんなにデート中にスマホを弄っても文句を言わない。自分が弄る時は必ず僕に許可を取る。いつも微笑を浮かべていて、僕が何をしても怒らない。好きなら、嫉妬とか、寂しいとか、独占欲とか湧いてくるものではないだろうか。
僕が行きたいところに行き、したい事をする、そんな付き合いの中で、微笑を続ける彼女が、本当に僕の事を愛しているのか、もしかして他に男がいて、僕はキープされているのではないか、それを確かめるための作戦なのだ。
『…そうなんだね。ただ、わたしが言いたくてそう言ったのだから、気にしてほしいなんてわたしは思ってないのよ』
明るさに優しさを足した声が返ってきた。
「うーん…。……。苺ちゃんも気がついていたかもしれないけれど、あの日以降僕は、正直苺ちゃんからの連絡に返信するのが億劫だったんだ」
『……』
苺ちゃんは集中して聞く時は相槌をしない。話を続けることにする。
「しかもその後、お父さんに僕の事話したって苺ちゃんから連絡が来て、もう僕やばいと思ってしまって。とにかく、今のままではいけないと思ったんだ」
『ああ、だから返事が暗めだったんだね。別に、話そうと思って話したわけじゃないのよ。転職の事お母さんに相談して、その後お父さんに相談したら既に知ってたから、お母さんが教えたんじゃないかな。既に知ってるならと思って少し話しただけだから、そんなに大ごとじゃないよ』
まだ押しが足りないらしい。苺ちゃんは冷静だ。僕より6つ歳下だけれど、妙に落ち着いている所は、彼女の魅力の一つだ。
「その転職だって、僕が大阪に転勤になるかもしれないって話したすぐ後だったし、自分にはまだ覚悟が足りないんじゃないかって不安になったんだ。…僕は29歳だし当然結婚を意識している訳で。君を、親に紹介しても恥ずかしくないと思ったから付き合ったんだけれど、今回の件で苺ちゃんも僕との結婚を意識してくれているのかなと思ったんだけど、なんだか怖くなったんだ」
電話越しに、苺ちゃんが笑う。
『そっか、親にね、ありがとう。でもね、転職はマコちゃん関係なしにも、するつもりなの』
しょうがない、最後の一手と行こう。苺ちゃんはどんな反応をするだろうか。流石に泣くだろうな。困りきっているけれど、希望を持っている、そんな雰囲気を意識して話す。
「いや、付き合うときにね、僕は自分の感情を全く考えていなかった事に気がついたんだ。例えばさ、ギャルとか礼儀のなっていない子だったとしても、自分が好きなら親に反対されても結婚して幸せにやっていけると思ったんだよ」
遠まわしで、ずるい伝え方。苺ちゃんは馬鹿じゃないから、ただの好きじゃないではなくて、最初から愛はなかったという意味を読み取るだろう。
本当はこんなことしたくないけれど、これも苺ちゃんの愛情を、本心を確かめるためなのだ。
『……』
『…そっかあ…。マコちゃんは、それでどうしたいの?』
小さな沈黙があったという事は、やはり傷付いてくれたのだろうか?
「それが、悩んでるんだ。とにかく、君と真剣に向き合わなきゃいけないと思ったんだよ。…でももう今本当に悩んでいて、友達にもめちゃくちゃ相談したんだ。そうしたらちゃんと彼女に話した方がいいって言われて、それで今に至るんだけれど」
友達に相談したのは本当だ。内容は彼女の愛情を確かめる方法だったけれど。
『そんなに悩んでるんだね。…うん、分かった』
「そうなんだよねえ。もうご飯もろくに食べられなくてさ」
『あらあ。マコちゃん、栄養はきちんと摂ってもらわないと。だって今月と来月はお仕事忙しいんでしょ。倒れちゃったら大変だよ』
いつも通り、僕の心配をしてくれている。
「そうなんだよねえ」
苺ちゃんはあまり傷付いていないのだろうか。普通、彼氏からこんなことを言われたら傷付いて、泣いたり、別れると言ったり、とにかく落ち込むものじゃないだろうか。
『…そしたら、マコちゃんの気持ちがまとまるまでは会わない方がいいのかな』
「うん、そうだね。ごめんね。あ、でも、これまで通り世間話とかはウェルカムだから! 」
『了解。わたしはいつまででも待つから、とにかく自分が納得するまでとことん悩んでね。どんなに心が落ち着かなくても、おいしいものしっかり食べなきゃだよ』
「……」
『……』
「…なんか、泣かないんだね…」
つい口をでて本心が出てしまった。
『え?』
「いや、この話したら、苺ちゃん絶対泣いちゃうだろうなあって思ってた。だから話しづらかったんだけど、でも、泣かないんだね」
期待外れと思っている僕がいる。僕は、苺ちゃんを泣かせたかったのだろうか。泣いてくれたら僕の事を愛している、そう思っていたのは確かだ。
『そりゃあ、あなたがこんなに弱っているのに、わたしが先に泣くわけにはいきませんから! だから、安心して悩んでいいのよ』
「それ、友達にも言われた。お前の彼女お前が思っているほど弱くないぞって」
『あはは。まあ、明日は月曜なんだし、早めに寝た方がいいよ。疲れを取らなくちゃ』
「うん。話してすっきりした。じゃあ、おやすみ。繰り返しになるけど、本当に世間話とかはこれまで通りしていいからね」
『はあい。おやすみなさい。加湿しっかりして寝てね』
通話を終えた。最終手段だと思って実行した作戦だったが、思った結果は得られなかった。彼女の愛情がいまいちよく分からない。でも、他の男がいる訳ではなさそうだ。
「苺ちゃん、泣かなかったな」
印象に残ってしまったらしく、珍しく見た夢の中で、苺ちゃんは泣いていた。僕に背中を向けて。
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