3ニンメガ殺シタ

小川晴央

□0

「3ニンメガ殺シタ」


 百の血痕に、百の顔が反射している。

 すべての僕が呆然としている。いや、もしかしたら、そのうちの何個は戸惑う僕を見て笑っているかもしれない。

 目の前で少女が絶命している。

 微動だにしないその物体はまるでマネキンのようにも見えたが、腹の傷から流れ出ているのは紛れもなく人間の血だった。

「なんだ、これ……」

 僕の手の中にナイフがある。アウトドア用のもので、折り畳み式ではないシースナイフだ。刃先から一滴が床に落ち、血痕がまた一つ増えた。

 記憶はない。こんなナイフは見たことがない。握ったことも覚えてはいない。この手で少女を刺す瞬間など、想像すらできない。

「嘘だろ……」

 遠くへ投げ捨てようとしたが震える腕がいうことを利かず、ナイフは足元に転がった。


   *


 つま先がなにかにぶつかり鈍い音を立てた。見下ろすと、そこには血のついたナイフが転がっている。手の平を見ると、そこにはナイフの柄についた滑り止め用の斑点と同じ模様が赤く残っていた。

 ナイフの刃先から点々と落ちている血痕をたどっていくと、その先で、壁にもたれかかった少女が死んでいる。

 三十分前、この部屋にこんな死体はなかった。

「なんじゃこりゃ」

 教室を勝手に改造し、ソファとローテーブルを並べた快適な空間が、惨劇の場へと一変していた。

 死体の腹から流れる血が教室のフローリングの上を広がりながら、じわりと俺のほうに迫ってくる。


   *


 両手で自分の頭を抱え込もうとする。しかし、僕はその動作を途中でやめた。

 左腕の内側に文字を見つけたからだ。

《3ニンメ ガ 殺シタ》

 返り血をインク代わりにしてその文字は書かれていた。その文字は幼く、まるで幽霊が塗りたくったかのように線が揺れている。

 三人目が殺した――。

 普通の人間ならば意味の分からないメッセージだ。

 だが、僕にとってはそうではない。

 少なくとも、僕はを知っているのだから。


   *


 教室の外で光の筋がサーチライトのように揺れながら、俺のいる教室へと近づいてくる。

「警察です! どなたかいらっしゃいますか!」

 目の前の死体。血まみれの自分。この状況で、最も聞きたくない職業の名前だ。

「どなたかいらっしゃいますか!」

「そりゃ、この俺がいるけどよ……」

 セリフだけ見ればこちらを心配しているようだが、明らかに声には警戒心が混じっている。じりじりと光が迫り、ぴしゃんと扉が開いた。


   *


 窓の外からサイレンの音が聞こえてきた。別の場所へ向かうパトカーであってほしい、という僕の願望を無視して、サイレンは校庭で止まった。

 左手の腕時計を確認する。付着していた血を拭うと、まであと一分を切っていることが分かった。

 なにがどうなっているのかは理解不能だ。だが、僕がやるべきことは決まっている。

 観察し、分析し、これからどうすべきかを考えることだ。


   *


「警察です!」

 扉が開く音と同時に、警官たちが叫ぶ。

「誰もいません」

「なら次だ」

 隣の教室で交わされる会話から、警官たちが二人組であることが分かる。

 また廊下で懐中電灯の光が揺れ、今度は完全に俺のいるこの教室へと狙いを合わせた。

「さて、どうしたもんかね」

 口に出してはみたが、それを考えるのは俺の役目ではない。

 俺は手首の腕時計を持ち上げ、デジタル表示盤の下部にある小さなをボタン押し込んだ。腕時計に仕込まれた小型スピーカーから、に録音された音声が流れる。


   *


 僕は腕時計に向かって、一分後の自分に向けて叫ぶ。


   *


 俺の鼓膜を、一分前の自分が叫んだ言葉が揺らす。


   ***


 ――逃げろ!

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